1.指導理論の理解

はじめに

 

よく「大学で習ったことは机上の空論ばかりで、実社会に出たらまったく役に立たない」と嘆く声を聞きます。自分が就いた仕事によってはそういうこともあるかもしれませんが、こと教育においてはそのようなことはありません。むしろ、大学で習う理論を無視した指導を行う方がよくありません。自分では気付かないうちにまちがった指導を続けることになり、結果的に自分の生徒に迷惑をかけることになるからです。

 

英語教育を効果的に進めるためには、言語習得理論や指導法に関する理論をしっかり理解していることが重要です。それは、理論を知らずに指導していると、生徒の学習が非効率であったり、場合によってはまったく進まないばかりか、かえって悪くさせてしまうこともあるからです。ちなみに、筆者がこれまでに出会った「授業の名人」と思われる先生方は、全員が理論を大切にした指導をなさっていました。つまり、けっして“名人芸”や“勘”で指導しているわけではないということです。

 

そこで、改めて英語教師として知っておくべき理論を整理しておきます。ここではそれらの理論に基づいて、その中で特に注意すべき項目をいくつかピックアップし、それらについて実際の指導場面との関連で議論していきます。なお、これまでに提唱されてきた個々の指導法などの内容については、ご自分で教科教育法の教科書等を参照してください。

 

◇「音声」から「文字」へ

 

英語学習指導では、音声を重視した指導を行ってから文字で確認して定着を図る方がよいという考え方が一般的です。この考え方は、日本の英語教師の間でもほぼ一致していると思われます。しかし、実際の授業ではその考え方に則っていない指導場面に出会うことがあります。例えば、現在進行形の文を導入した後に口頭練習を行うための指導場面で考えてみましょう。

 

「では、みなさん、黒板に書いてある He is running in the park. を実際に声に出して言ってみましょう。」

 

新文型を練習する際によく見かける指導場面です。この指導には大きな問題点があるのがわかるでしょうか。答えがすぐに出ない人は、この指導の目的が新文型の構造を身につけさせるものであるという視点から考えてみてくだい。

 

この指導の問題点は、黒板に書いてある例文をそのまま読ませていることです。これは「読んでいる」のであって、「言っている」のではありません。これでは新文型の構造が頭に残りません。なぜなら、この活動では生徒は黒板に書かれている文を、意味も文構造も考えずに単に字面を追って音声化しているだけだからです。このような指導をしていて、生徒が大きな声で言ったのを聞いて、「きちんと言えている」と考えて指導を終えてしまったら、大変なことになります。おそらく、その時間が終わったらこの文を再生できない生徒が少なからずいるでしょうし、次の時間のときには多くの生徒が覚えていないでしょう。生徒が教えたことを覚えていないのは、彼らの記憶力が低いからではなく、覚えられるような指導をしていないからです。

 

ここで大切なのは、口頭練習をさせる際に言わせたい英文を見せないことです。全文を消してしまうのが一番良い方法ですが、それでは生徒への負荷が大すぎる場合は、内容語(主語、動詞、目的語等)は残したまま、習得させたい文型の構造がわかる部分(動詞の変化等)は消したり、ヒントとなる単語や内容がわかる絵等だけで文を言わせたりします。こうすることで、生徒は新文型の構造と文の意味を頭の中で意識しながらその英文を言うようになります。新文型の構造と意味を音声で頭に残す、つまり英文の「聴覚心像」(acoustic image)を構築させるのです。

 

◇「予習」から「復習」へ

 

筆者が埼玉大学の「中等英語科指導法A」で過去7年間に指導した学生計約350名に尋ねたところ、中学校や高校の英語の授業で予習を課されていた人の割合は、年によって多少異なるものの、平均して約85~90%でした。つまり、ほとんどの学生が中高の英語の授業で何らかの予習をさせられていたことになります。予習内容は、「新出語句の意味調べ」が最も多く、「単語や本文をノートに書き写す」、「本文の意味を書く」、などがそれに続きました。そして、それらの学生のほとんどが英語の授業では予習をすることが当然であり、自分が教師になった場合も自分の生徒に予習を課すつもりであることもわかりました。しかし、はたしてこのような予習をさせることは、英語学習指導上で望ましいことなのでしょうか。

 

まず、教師として授業を行う立場から考えてみると、上記のような-特に「本文の意味を書く」-予習をさせた場合、教師は授業で何をするのでしょうか? もし、それが予習してきた内容の「答え合わせ」レベルのものであるとすれば、授業をする意味はありません。いや、百歩譲って何らかの意味はあるとしても、生徒が意欲的に参加するような授業にはなりません。もちろん、授業中は言語活動をできるだけ多く行うために、それ以外の学習内容はできるだけあらかじめ生徒にやらせておく、という考えからそうしている先生もいるかもしれません。しかし、このような予習を行わせることは、新しい言語そのものを学ぶ英語科のー特に中学校のー指導としては不適切です。

 

生徒にとって未知の言語であり、授業で指導して初めて理解できる内容が多い英語学習では、それを授業前に生徒に自学自習させることは、適切な指導とは言えません。なぜなら、そのような指導は、理解する前は単なる「記号」でしかない英語に対して、自分でそれを勉強してこいという命令を出していることになるからです。また、それは1つ前の項目で取り上げた「『音声』から『文字』へ」という考えとも矛盾しています。予習としてノートにいきなり単語や本文を書かせるのは、発音も意味もわからない間に記号を書かせていることになるからです。したがって、このような予習はさせるべきではありません。ちなみに、筆者の前任校、筑波大学附属中学校では、代々一人の教員もそのような予習を課したことはありません。もっとも、自分の意志や保護者の考えなどから、勝手にやっている生徒はいますが…。

 

では、英語の学習指導では何をさせるべきでしょうか。それは「復習」です。改めて考えていただければその理由は明らかです。英語は「教養」であると同時に「技能」です。そして、これからはますます後者が身についていることが重要視されます。例えば、技能を身につける習い事の代表例として、ピアノを習う場合を考えてみましょう。レッスンではどのように弾いたらいいかの基本的な技術は教えてもらえますが、それがきちんと弾けるようになるには、自宅での練習が欠かせないというのは常識でしょう。英語学習も同じです。授業で習ったことをいかにしっかり頭に入れておけるか(覚えているか)と、それをいかに運用できるか(実際に使えるか)は、復習で決まるのです。

 

したがって、「予習」をする時間があるのなら、「復習」をする時間に振り向けさせるべきです。そうすれば、単語や本文を書いたり、教科書本文の意味を自分で整理してみたり、文法演習をしたり、という活動を行うことに何の問題もありません。筆者の前任校でも授業で学習したことの復習を徹底的にさせています。そして、私たち英語教師は、予習を前提としない授業を行うべきです。単語の意味や発音も、新出文型の意味や使い方も、本文の意味も、授業で導入することで生徒に理解させるような指導過程を組むべきです。

 

◇「理解」から「表現」へ

 

字面を読んで、多くの先生は経験的にこの考えに賛成でしょう。ところが、頭ではわかっていても、実際の授業では-特に高校の授業では-それが飛んでしまっているかのような指導場面を時々見かけます。例えば、教科書本文の意味を確認したり、それを音読させたりする指導の場面で考えてみましょう。

 

「○○(生徒の名前)、教科書5ページ・3行目の文を読んで訳してみなさい。」

 

筆者が高校生のときは、英語の授業では当たり前であった典型的な訳読式の指導例です。いや、そのような指導で育った先生が、現在も同じような指導をしているかもしれません。

 

この指導の問題点は、音読をさせてから文の意味を言わせている点です。つまり、理解の確認をする前に表現させていることになります。もしかしたら、音読は字面どおりに正しく発音できるかどうかを確認するためのものなのかもしれません。しかし、それでは正確な意味がわかる前に音声化しているわけですから、その音声には発声者の意図や気持ちなどはまったく乗せられていない、つまり単なる「記号の音声化」でしかないことになります。音読が学習者の表現力を高める活動であることに、意識が行っていない証拠です。

 

この考えからすれば、理論的には次のような指導手順にする必要があります。

 

① モデル音読を聞いたり黙読したりして、本文の全体像を把握する。

② 概要や要点を英語または日本語で確認する。

③ 音読を行う。

 

◇負担の「軽い」活動から「重い」活動へ

 

生徒に何か活動をさせたいときは、負担の軽い活動から始めて負担の重い活動に移るようにすることが大切です。ところが、実際の授業ではそうではない場面を見かけることがあります。例えば、新文型を含む英文を示した後に口頭練習させている場面で考えてみましょう。

 

「今示したモデル文を使って自分のことを表現しなさい。では、○○(生徒の名前)。」

 

個人的に表現させることで新文型を使えるようにさせるということをねらった指導ですが、たった今示したばかりの新しい表現を、いきなり個人的な情報を入れて仲間の前で言わせようとするのは性急な指導です。どういう点がそうなのかを考えてみましょう。

 

まず、新文型の理解が十分でないまま表現(アウトプット)をさせている点です。新文型には主語や動詞等によって様々に変化する部分もあるので、バリエーションを網羅した十分な量の英文を聞かせたり読ませたりする、つまり十分な「インプット」をすることが大切です。最近は、コミュニケーション活動を重視するという理由から、インプットが不十分なままでも表現活動を行う指導が増えていますが、そのような指導を続けていると、その時はその表現をなんとか言えていても、授業が終わったり次の時間になったりしたときには、その表現を覚えていない、つまり身についていないという可能性が大きくなります。

 

次に、いきなり個人に対して全体の前で自己表現させていることです。英語を理解することだけでも大変なのに、応用的な表現をいきなり衆目の中で個人的にさせるというのは、心理的な負担が相当なものになります。こうした指導を続けていると、生徒にとって英語の時間は「恐怖」や「苦痛」の時間となってしまいます。そして、結果的に英語嫌いの生徒を大量生産してしまいます。

 

ここで大切なのは、生徒が一歩一歩階段を上っていくような細かいステップを用意するということです。これは言語指導理論に基づいたものでもありますが、学習者心理に基づいたものでもあります。なぜなら、先述したように負担の重い活動が真っ先にあると、それだけで学習者がいやになってしまうからです。できるだけ平易な活動から始め、徐々に負荷をかけていくようにすることが大切です。具体的には、次のようにするとよいでしょう。

 

① 目標文をいろいろなパターンの文で聞かせたり読ませたりする。

② 目標文の意味や使用場面、文の構造などを確認する。

③ ①の文を口頭練習させる。ただし、その場合は先に全体で練習し、その後に個人で言えているかを確認する。

④ 目標文のバリエーションを準備した教材を使って口頭練習させる。やり方は③と同様。

⑤ 自己表現活動の達成目標を説明する。

⑥ 自己表現させたい表現を各自に考えさせる。

⑦ ⑥の表現をペアやグループで発表させる。

⑧ ⑦で発表した表現を数名に全体の前で披露させる。

 

終わりに

 

ここまで読んでいただいて、効果的で実りのある英語学習指導を行うには、理論に則った指導を行うことが大切であるということをご理解いただけたと思います。実は、細かいことまで話せば他にもいろいろあるのですが、それらは紙幅(?)の関係で割愛します。それらをすべて列挙するよりも、これまで取り上げてきた基本的な事柄に共通することを理解していただければ、残りのこともおのずと理解する(気づく)ことができると考えています。ぜひ、指導理論をしっかり頭に入れてください。

 

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