(4) 九州・西中国編

 
期  間
地  域
走行距離
バイク
備  考
1981. 2.28~3.14 九州全域、西中国
3,421㎞
CB400T 往路の川崎→日向はフェリー

 

 

◇南国の気候
 九州を訪れたのは関東ではまだ肌寒い2月末でしたが、宮崎はもう春爛漫という陽気でした。さすが日本一の日照時間を誇るだけはあり、街道にはフェニックスが立ち並び、まるでハワイのようでした。また、都井岬には野生馬が生息していて、草原で草をはむその姿が南国ムードを盛り上げてくれます。さらに、日本本土最南端の佐多岬にはハイビスカスまで咲いており、まさにトロピカルな気分となれるのです。[写真は都井岬]

 

◇火の国
 九州のことをよく「火の国」と呼びます。どうやら火山がいっぱいあるからのようです(もちろん、肥後の「肥」もかけている)。事実、活火山だけでも3つもあり、他に類を見ません。雲仙普賢岳の「火砕流」による大惨事は記憶に新しいと思います。また、皮肉にもこうした場所は観光地としても楽しめるところでもあります。広々としたしたカルデラの阿蘇山外輪、溶岩流の跡が生々しい桜島、温泉が豊富な雲仙など、どうしても長居をしたくなるような魅力的な土地がいっぱいあります。

 

◇異国情緒
 江戸時代、西洋文化のほとんどが九州を経由して日本中に伝えられたことから、各地に今も西洋風の建物や通りなどがたくさん残っています。長崎には大浦天主堂(ついこの前、火事で焼失してしまいましたが)などの国宝級の教会や旧邸宅が数多くあり、異国情調を味わうにはこと欠きません。また、鎖国によってできた平戸や出島(長崎)の周辺は、今も西洋人が建設した街並みがわずかながら残っていて興味深いところです。
[写真は大浦天主堂]

 

◇歴史の舞台
 「『邪馬台国』は九州か近畿か」という論争には未だに決着はついていませんが、九州が日本の歴史において重要な舞台であったことは確かです。神話で日本を創ったとされる天照大神をまつる天岩戸神社、学問の神様とされる菅原道真が流された太宰府、「漢奴倭国王」の金印が発見された志賀島、キリシタンの弾圧が行われた島原周辺など、歴史の教科書などでなじみ深いところが多くあります。

 

◇原爆の爪痕
 今回の旅の目的のひとつは、昭和20年(1945)に原爆の被害に遭った広島と長崎を訪ねることでした。教科書やニュースなどで知ってはいても、その惨劇を実際にこの目で見たことがなかったからです。とは言っても、今では両市とも立派な都市となっているので、記念碑や博物館の展示を見ることができるだけです。しかし、それだけでもその悲惨さは十分伝わってきて、大変なショックを受けました。アメリカ留学中にスピーチの授業で核兵器の根絶を訴えたのも、このときのショックからです。両市は日本人ならば一度は訪れるべきところだと思います。
 ところで、原爆における広島の注目度に対して、長崎のそれは非常に低いと言わざるをえません。この点について、長崎ユースホステルのペアレントさんが「長崎では異国情緒を味わうだけでなく、ぜひ原爆を見て帰ってほしい。」と強く訴えていたのが今でも心に残っています。[写真は長崎の平和記念像]

 

◇人間の産物、自然の芸術
 その他にも今回のルートにはたくさんの面白いところがありました。
 自然の創りだした芸術と言えるのが、薩摩半島の最南端で海に突き出るようにそびえる「薩摩富士」こと開聞岳。東洋一の規模と言われる秋吉台の秋芳洞は、そのスケールにおいてまさに日本一の鍾乳洞です。
 一方、人が造った方の代表は、日本三名橋の1つとして今も現役で活躍する岩国(山口県)の錦帯橋、大きな鳥居と社が特徴の出雲大社(島根県)、千数百年の時を経てなお壮大な姿を残す西都原古墳(宮崎県)などでしょう。特に、大社は恋愛の神様として日本一有名なので、ここはぜひ好きな人と結ばれるように祈りたいものです。忘れてはならないのが「日本三景」の1つの宮島です。広島側から船に乗って島へ渡り、瀬戸内海の景色と壮大な神社(厳島神社)のマッチングを楽しんでください。[写真は錦帯橋]

 

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