教え子との遭遇

公立学校の先生でしたら、校外で在校生や卒業生に出会うというのはよくあることでしょう。しかし、筆者が勤めていたような国立大学の附属中学校は通学範囲が広く(筑附の場合は都内23区、多摩東部、埼玉県南部数市、千葉県西部数市、神奈川県川崎市-合計人口約1500万人の地域)、筆者自身が学校から電車で片道1時間半近くかかる場所(通学圏外)に住んでいるので、お互い学校を出てしまえば、どこかで会うということはあまりありません。

 

そのような中で、筆者は過去に数回、思いもよらない同じ場所で教え子(卒業生)に出会ったことがあります。それは、今夏にもお世話になった某国立大学の附属病院です。その病院には2017年以来これまでに計7回入院しているのですが、教え子の何人かが医師としてそこに勤めていたからでした。

 

1回目は最初に入院したときでした。入院2日目の朝、病室のカーテンの向こうで「こいぬま先生!」と呼ぶ声が聞こえました。面会時間でもないのに筆者のことを「先生」と呼ぶのは誰だと思ってカーテンを開くと、懐かしい顔がそこにありました。

 

「先生、朝のカンファレンスで先生のお名前があったので、ビックリして会いに来ました」。そう言った白衣姿の若い医師は、筆者が筑波大附属中で2周目に担任した学年の卒業生でした。筆者がお世話になっている科の医局員として働いているそうです。彼の顔を見たのはそれきりでしたが(自分の担当外の患者に関わるのはご法度なのでしょう)、1年後に再度入院したときにはスタッフ一覧の中に名前がなかったので、どこか別の病院に転勤したようでした。

 

そのことを主治医に話すと、「筑波大附属の卒業生はこの病院にいっぱいいますよ」とのことでした。確かに毎年学年で十数名が全国の医学部に進学していますから、27年も勤めていれば、都内の病院に入ったら、どこでも教え子に会いそうだなと思いました。

 

2回目は今年の8月、つまり直近の入院時でした。服用し始めた薬の関係で眼に異常が起こる可能性があったので、眼科の診察がありました。そのときはまだ他の階に行くときは車椅子で行く必要があったために介助の人が必要で、眼科に行ってからは看護師がそれを担ってくれました。いくつかの検査を終えていよいよ診察になったときは、担当の若い男性医師が車椅子を押して診察室に連れて行ってくれました。

 

ところが、診察室に入って診察台につくと、その男性医師から「筑波大附属中の肥沼先生ですよね?」といきなり言われました。マスクをしていたので誰だかわからずに聞いてみると、附属中で4週目に担任した学年の卒業生でした。再び同じ病院で働く教え子に出会ったというわけです。彼によれば、筆者がずっとお世話になっている科にも同級生が新しく入ったということで、いつかその卒業生にも会うことでしょう。

 

彼とは検査・診察中にいろいろな思い出話をしました。驚いたのは、彼が1年生の最初の英語の授業のことを覚えていたことです。「最初にいろいろな国の言葉で話しかけてくれて、最後に英語で挨拶をしてくれましたよね」。そうなのです。私の最初の授業の定番として、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ヒンディー語、韓国語、中国語などで挨拶と自己紹介をし、最後に Hello! と呼びかけるのです。それを覚えてくれたというだけであの導入は成功したなと思いました。

 

他にも、教え子ではないのですが、おもしろい出会いがありました。あれは2回目に入院したときの手術を終えた後の最初のいわゆる「教授回診」のときでした。担当医師(助教)と教授の回診が終わったあと、なぜか准教授の先生だけがそこに残っていました。

 

「准教授の◯◯と申します。私も執刀医の一人でしたが、少しお話をしてもよろしいですか?」

 

年頃は50代前半であろうと思われる立派な風貌の先生にそのようなことを言われて、一気に緊張感が高まりました。「これは何か重大なことを宣告されるのかな…」。

 

「これは申し上げるかどうか迷っていたのですが…」

 

そこまで言ってもまだ迷っているようだったので、筆者がゴクリとつばを飲み込むと…

 

「実は私の息子が先生の学校でお世話になっておりまして…」

 

へっ?私の病気のことじゃないの?直前の極度の緊張が一気に解けました。話を聞くと、先生の息子さんは自分が教えている学年の1つ下の学年で、授業は担当してもらってはいないが、筆者のことを覚えていたそうなのです(教務主任として何度か保護者の前で話したことがありました)。とても教育熱心なお父さんであるようで、その後も何度か学校でお目にかかりました。

 

というわけで、思わぬところで教え子や学校関係者に出会ったという話でした。(11/25/2023)

 

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