大学院に通うということ

月刊『英語教育』2020年7月号(大修館書店)の第2特集に、「わたしが大学院で学んだこと」という記事がありました。それを読んだことと本コーナーで前回大学時代の話をしたことで、今から20年余り前に大学院へ通うことになったいきさつを久しぶりに思い出しました。そこで、今回は筆者が大学院へ行くことになった経緯についてお話しします。

 

筆者にとって、大学院へ行くということは夢のまた夢のことでした。大学に通っている頃はこれっぽっちも考えたことはなく、就職してからしばらくの間もそれは変わりませんでした。それは何も筆者だけのことではなく、当時は大学院へ行くよほどの理由(研究者を目指している、頭が良すぎて勉強し足りない、等)が無ければ、大学を卒業すれば就職するというのが一般的でした。しかし、何がそういう気持ちを変えるかわかりませんね。アメリカの大学へ留学したときもそうでしたが、あることがきっかけで急にムクムクとその気持ちが沸き起こってきたのです。

 

それは、働き出して5年ほど経った頃のことで、知り合いの教員が大学院研修制度を使って上越教育大学の大学院へ2年間通ったということを聞いたときでした。1年間は校務を免除されて勉強に専念し、2年目は校務に復帰しながら修士論文を書くという道があることを知ったのです。自分も行ってみたいなと思ったのはごく自然のことでした。しかし、それを知った約30年前当時(埼玉大学教育学部附属中学校在勤時)は、365日ほとんど毎日仕事をしており、勤務の拘束時間もとんでもなく長かったので(帰宅が「午前様」というのはしょっちゅうでした…)、自分だけがそういうことをすることは許されない状況で、その方法はあきらめるしかありませんでした。

 

その状況が変わったのが、現任校に転勤した3年目の1997年でした。その年に東京学芸大学の大学院が現職教員を受け入れやすくするために授業の多くを5限(18:00-19:30)と6限(19:40-21:10)に移動したのです。そして、現職教員を別枠で採る制度を始めました。つまり、仕事を続けながら大学院へ通うという道が開けたのです。たまたまその1年目に自分の知り合いがその制度でそこに通うことになり、いよいよ自分にもそれができるかなと思ったのです。

 

ただ、その時自分は中2の担任でした。「来年は中3の担任だし、やはりまだ無理かな…。」そう思う気持ちもあったのですが、40代になるのを数年後に控えて、「今やらなくて、いつやれるのか?」という思いの方がそれを上回りました。ただし、入学試験を受けるには管理職の許可が必要です。そこで、副校長に相談に行きました。「それでなにかい? 担任や部活の顧問をはずしてくれという相談かい?」「いいえ、担任を含めてすべての仕事はきちんとやります。ですから受験を許可してください。」こうして同大学院を受験することになりました。

 

受験することが決まってからは、校務のかたわら久しぶりの受験勉強をしました。一番のポイントは、同大学院の入試の過去問を分析することでした。大学の図書館に行って過去5年分の入試問題をコピーし、過去問の分析を行いました。すると大半を占める専門知識の問題にある出題傾向があることがわかりました。そこで、その出題傾向に合った勉強を集中的に行いました。

 

試験は10月にありました。専門知識の分野を含めて問題は全体的に予想どおりの内容で、1~2問を除いてほぼ完璧に答えられたと思います。1つだけ不安だった長文読解も、題材がたまたま教育心理を専攻していた友人からよく聞かされていた話題(行動心理学に関すること)だったので、自分のスキーマを利用して簡単に理解することができました(おしゃべりな友人に感謝です!)。

 

そして、11月に見事「合格」をいただきました! 合格発表の後に面接があり、学科長の先生から「大変優秀な成績で合格しました。さぞかし日頃から研鑽を積んでいらっしゃるのでしょうね」とお褒めのことばをいただいたのですが、そのときは「それは出題傾向をしっかり分析したおかげです」とは口が裂けても言えませんでした(笑)。もう20年以上も前のことですから、今なら言ってもいいですよね!

 

こうして1998年の4月から東京学芸大学大学院教育学専攻科英語教育専攻に通うことになりました。その後2年間の在学中の学習内容や通学事情等については、機会を改めてお話しすることにしましょう。(7/4/2020)

 

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