『らんまん』と前勤務校の関係者

タイトルの「らんまん」とは、現在放映されているNHK朝の連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)の『らんまん』のことです。「日本の植物学の父」として知られる実在の人物・牧野富太郎(まきのとみたろう)をモデルとする槙野万太郎(まきのまんたろう。演:神木隆之介)を主人公にしたドラマです。『エール』(2020年度前期)以来久しぶりに男性を主人公にした朝ドラですが、主人公だけでなく周囲の人物まで掘り下げて描くストーリーは大変面白く、主人公が発する「雑草という草はないですき(土佐弁)」という台詞の趣旨をドラマ作りにも反映させている秀逸なドラマだと感じて、毎回欠かさずに見ています。

 

その“周囲の人物”の中に「日本初の植物学の博士」と呼ばれた東京帝国大学(東京帝国大学理科大学)の田邊彰久(たなべあきひさ)教授という登場人物(演:要潤)がいます。万太郎の大学への出入りを許可した一方で、独自に研究を進めて成果を出し始めた万太郎に嫉妬して、彼の大学への出入りを禁止してしまうという、『らんまん』の中では数少ない「鼻持ちならないヤツ」キャラクターの人物です。

 

この人物にも実在のモデルがいて、名前を谷田部良吉(やたべりょうきち)と言います。ドラマの田邊教授は谷田部教授のことをほぼ正確にトレースしており、コーネル大学に留学したこと、東京帝国大学で若くして教授になったこと、東京植物学会(現・日本植物学会)を創設したこと、植物学以外に芸術等にも造詣が深かったこと、東京高等女学校(現・お茶の水女子大学附属中・高等学校)の校長を務めたこと、そうした多方面の活躍がうとまれて東大を非職になったこと、牧野富太郎を大学への出入り禁止にしたこと、最後は鎌倉で水泳中に溺死したこと、などがドラマのエピソードとしても描かれていました。

 

一方、ドラマに描かれなかった谷田部教授の経歴として、東大を非職になった後に東京高等師範学校(以下「高師」。現・筑波大学)の教授に就任し、後に同校の校長を務めたという事実があります。そこまでのことについては自分で Wikipedia 等を調べて知っていたのですが、つい先日新たな事実が判明しました。それは、高師の教官になる前の明治27年から高師附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)の英語科の教官を務め、明治31年6月からは高師の校長との兼任で附属中学校の校長も務めていた(明治32年8月死去により在職1年余り)ということでした。つまり筆者にとっては英語科の大先輩でもあったということです。

 

そう言えば、ドラマの中でも英語を流暢に話すシーンが何度も出てきていました。当時高師の校長であった嘉納治五郎から請われて附属中の教官となり、英語の授業を担当することになったそうです。実はそのことは「英語科教官列伝」というコーナーにアップされている『卒業生列伝』の番外編である『教官伝』の「英語科編3」に書かれていたのですが、これまでそれとドラマの登場人物のことがつながっていませんでした。

 

同記事にもドラマで描かれたような谷田部教授の経歴が書かれていますが、面白いのは当時の附属中の卒業生(10回生)の谷田部教官に関する思い出話です。

 

「先生は植物学の大家であるが、英語も達人で、ふだんはニコニコしておられるようなお爺さんである。お爺さんといっても勘定してみれば、私共の教わった時は44, 5歳くらいであったはずで、ほかの先生が、もっと若かったせいか、私共にはかなり老人に見えた。ふだんはよい先生であるが、怒るととてもおっかない先生であった。」

 

なんだかドラマの田邊教授のキャラクターを彷彿とさせるようなエピソードですね。

 

また、ドラマにも出てくる教授夫人のモデルである矢田部順氏の回想もあります。

 

「酒は家では一滴も飲みませんでしたが、煙草が好きで葉巻の大箱もたくさんありましたが、高師の附属中学で英語を教えるようになった時、生徒が煙草を喫んではいけないというので禁煙してしまい、死ぬまで飲みませんでした。」

 

ドラマでは家でやけ酒を飲むシーンもありましたが、実際の谷田部教授は下戸だったようです。また、煙草を吸うシーンはドラマではありませんでしたが、現在の世相から設定されなかったものと思われます。

 

さらについ先日、『列伝』執筆者の山口先生から次のようなよりディープな情報もうかがうことができました(菊池大麓の経歴に関する内容の一部は筆者調べ)。

 

矢田部教授が後妻の順(ドラマでは聡子。演:中田青渚)との間にもうけた3人の男子(ドラマでは先妻との間の女子2人だけで男子は登場せず)は、いずれも附属中の卒業生だそうです。長男の雄吉氏は17回生、次男の達郎氏は20回生、三男の勁(い)吉氏は24回生で、達郎氏は心理学者として、勁吉氏は音楽家として有名になった人だとのことでした。

 

また、東京帝国大学で田邊教授と犬猿の仲の人物として描かれた美作(みまさか)秀吉教授(演:山本浩司)のモデルとなった人物は日本初の動物学博士である箕作佳吉(みつくりかきち)教授のようですが、田邊教授を非職に追い込んだのはその兄という設定になっていました。その兄とは菊池大麓(きくちだいろく。旧姓:箕作)のことで、矢田部教授を重用していた森有礼文部大臣が暗殺された直後に文部省専門学務局長となり(さらに後に東京大学総長、文部大臣にもなった)、矢田部教授と権力争いをした末に彼を負かした人とされています。1879年に東京博物館(現・東京国立博物館)の館長を解任された矢田部教授の後任館長が菊池の父・箕作秋坪(旧姓:菊池)であったなどの事実もそれをうかがわせます。その菊池氏の息子3人も附属中の卒業生だそうです。長男の泰二氏は20回生、次男の健三氏は28回生、三男の正士氏は29回生です。泰二氏は物理学者として、健三氏は数学の東大教授として、正士氏は物理学者で元大阪大学学長としてそれぞれ有名になった人だとのことでした。

 

仲違いしていた人同士の子供たちが同じ学校に通っていた(しかもそのうちの2人は同学年)というのは、子供たちにとってやりづらいこともあったのではないかと思います。

 

いかがだったでしょうか。『らんまん』ファンのみなさん、要潤ファンのみなさん、そして何より附属中関係者で同ドラマの大ファンのみなさんにはとても興味深い情報であったはずです。件の『教官伝』「英語科編3」の現物は「英語科教科列伝」のコーナーで読むことができますので(「矢田部良吉」のリンクをクリックするとPDF記事が立ち上がります)、どうぞそちらをご覧になってみてください。

 

なお、『列伝』著者の山口先生は今後も『らんまん』を注意深く見て、附属中関係者が登場したら教えてくれるそうです。新たな情報が入りましたら、パート2としてお伝えします。(9/16/2023)

 

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