「育てたい生徒像」を目指した指導と評価-中学校英語

※記事の一番下に雑誌記事の現物(PDF)があります。

1.実際性のある指導・評価計画

筆者は、年に数回、日本各地で行われる授業研究会に参加する。そのとき、学習指導案があらかじめ手に入る場合は必ず事前に目をとおしておく。提供される学習指導案にはいろいろなタイプがあるが、残念ながらその時間の評価計画を細かく書いている先生ほど実際の指導があまり上手でないことが多い。それは、授業の明確なゴールとそこへ至るまでのしっかりとした指導の流れや生徒の活動に対する配慮よりも、実際には行うつもりのない評価項目を整えることに目が向いていることに気付いていないからである。もっとも、このような現象は、かつて観点別評価が導入された際に、授業内に行われるすべての活動に対して四つの観点から評価項目を設定し、それが詳細に示されているものがよい指導案であるかのような実践例がたくさん紹介されたことに起因していると思われる。

 

一方、評価について講演を依頼された際に参加者に必ず質問することがある。それは「提出した評価計画どおりに評価をしている先生は挙手をしてください」である。これまでに伸べ五百人以上の先生方に尋ねているが、現時点で挙手の数は「ゼロ」である。

 

以上のことから、よりよい指導を先生方に行っていただくために、各学校の管理職や教育委員会の先生方に次のことをお願いしたい。

 

・最初から教師がやる気のない、できないとわかっている詳細な評価計画の提出は即刻やめる。

・その代わりに、本当にやる価値のある、英語科として共通実践できる、厳選した内容の評価計画を作るよう主導する。

 

ちなみに、筆者が勤務している筑波大学附属中学校(以下「本校」とする)英語科が、四人の教師で共通実践を行うものとして作成した三年間の評価計画と指導実践記録を表1に示した。詳細な評価計画を見慣れている先生方にとっては「なんだこれは?」と驚かれるほど単純なものである。しかし、そこに示されていることが「四人の教師の誰がどの学年を担当してもほぼすべて実施していることである」と言えば、これだけのことを共通実践する意義に気付かれるであろう。

 

2.「育てたい生徒像」の構築

(1) 「育てたい生徒像」を持つことの意義

指導計画や評価計画を作成する際の第一歩は、中学校でいえば三年後の最終的な達成目標を設定することである。これが決まらなければ、各学年の達成目標も決まらず、単元(課)や単位授業の達成目標も決まらない。この達成目標は、英語科ではコミュニケーション能力の育成に関して設定されることが多い。それは、新旧どちらの学習指導要領においてもそれが目標の一つとして示されていることも大きいであろう。ここでいう「コミュニケーション」とは、知識のように目に見えないものではなく、実際の生徒の行動に現れるものである。したがって、コミュニケーションという行動に関して達成目標を考えるのであれば、卒業するまでの三年間で生徒に身につけさせたい技能のレベルをどこに置くかを議論しなければならない。それを本校英語科では「育てたい生徒像」としている。

 

(2) 「育てたい生徒像」のイメージ化

公開授業の指導案などでは、指導目標として「積極的にコミュニケーションを図る生徒を育てる」という表現がよく見られる。しかし、ここでいう「積極的に…」とはどの程度それができている生徒をイメージしているのであろうか?ここで大切なのは、それが個々の教師、さらにはその学校や地域の英語科として、その生徒の姿がイメージできているかどうかということである。そのイメージが無ければ、達成目標として挙げられていることばは何の意味も持たない。逆に、「ここまでできる生徒に育てたい」という具体的な生徒の姿がイメージできていれば、それが指導を行う上での目標となり、評価を行う上での規準ともなるのである。

 

 本校英語科では、平成8年度に次のような二つの「育てたい生徒像」を考え、以来十五年間にわたって全教員で共有してきている。

 

①「生きたことば」でコミュニケーションできる生徒

②困難に対して、臨機応変に粘り強く取り組める生徒

 

ここで、①の「生きたことば」とは、本当に伝えたいと思って話したり書いたりしているか、本当に知りたいと思って聞いたり書いたりしているかということを意味する。一方、②の「困難」とは、伝えたいがなかなか伝えられない、知りたいがなかなかわからないと生徒が感じるような課題(活動)を指す。

 

さて、先述のとおり、これらをどのようにイメージ化できるかが大切である。本校の場合は、活動をすべてビデオで録画し、その中でパフォーマンス・レベルの高い生徒達のベスト版を作成して、その学年を指導する複数の教師間でそれを「育てたい生徒像」として共有するほか、英語科全員で見合って本校が目指す生徒像の候補にするという方法をとっている。こうすると、個人の教師としては自分の指導結果を評価できるだけでなく、次の指導を行う際の達成目標に利用することができる。また、同僚の指導結果を見ることにより、自分の指導の足りない点に気付いたり、その映像を利用して自分の生徒の意欲向上に役立てたりもできる。さらに、同じ活動を下級生に行わせる場合は、それを生徒に事前に見せることで、生徒自身に達成目標を明確に示せるのである。

 

3.「育てたい生徒像」の指導と評価

では、実際に平素の授業で「育てたい生徒像」を目指した指導と評価はどのように行ったらいいのであろうか。そのすべてを紹介するには余りにも紙幅が足りないので、ここではほとんどの教師が行っていると思われる、音読の指導にしぼって述べることにする。

 

(1) 「育てたい生徒像」を目指した指導

  最初に、音読は本校では「読むこと」ではなく、「話すこと」に位置づけていることを断っておく(表1参照)。それは、音読という活動が「話すこと」における表現力の基礎を支える活動であるととらえているからであり、指導過程上では内容を読み取るという理解の活動には含まれないからである。

  その音読活動は、筆者の授業では通常の教科書を使って行う授業であれば毎回必ず指導過程に入っている。しかも、指導項目数からするとかなり重点が置かれた活動である。それは、以下のような復習の際に行う音読の典型的な指導過程の例からもわかるであろう。

 

① Listening for Reading

② Pronunciation of the New Words

③ Choral Reading after the Teacher 

④ Buzz Reading

⑤ Practice in Pairs

⑥ Individual Reading (sentence by sentence)

⑦ Read-and-Look up Reading

 

さて、上記の中で「育てたい生徒像」と関連して特に指導上の重点として取り上げたいのは③、④、⑦である。③では教師が個々の発音や音のつながりなど英文を上手に読むことができるようになるポイントを示すほか、登場人物の心情や内容を意識した感情の込め方のモデルを示す。④は個人練習であるが、「自分ができる最高の声で読む練習する」という指導を徹底して、生徒自らの意志でより豊かな表現方法を生み出すように促す。⑦は復習音読の最終目標であり、単語、文節、文を意味を含めて一瞬のうちに脳裏に焼き付けさせることをねらう。では、なぜこれらの重点が「育てたい生徒像」と関わるのかというと、それは本校の「育てたい生徒像」の①、すなわち「『生きたことば』でコミュニケーションできる生徒」を育てるためである。すなわち、音読は単に教科書に書かれている英文を音声化する活動ではなく、そこに書かれている内容を「自分のことば」として表現する経験を積ませ、やがて自分が本当に伝えたいと思う活動(スピーチやスキット演技等)でその力を思う存分発揮させるためである。

 

(2) 「育てたい生徒像」を目指した評価

日頃から音読指導に力を入れていることもあるが、本校の生徒は平素の授業から音読活動に非常に熱心に取り組んでいる。その姿は毎年数百名の先生方に見ていただいているが、「授業中にどのように音読の評価をしているのですか?」という質問をよく受ける。答えは「まったくやっていない」である。つまり、音読練習をしている間は評価は一切行わないのである。これは、冒頭で単位授業の中に不必要な評価項目が設定されていることへの批判とも合致するものである。では、いつ評価を行っているかというと、それは「リーディング・ショー」という特別に設定した時間である。なお、このような評価を行うことに的をしぼった活動が本校では各学年にたくさん設定されている。

 

本校では、全学年とも夏、冬、春の長期休業後に必ず「リーディング・ショー」という音読テストを行っている(それ以外に追加で行うこともある)。それは、平素の授業における音読活動や家庭学習の成果と長期休業中に課した音読練習の成果をみるためである。そのやり方は主に次のとおりである。

 

・一時間で学級全員が仲間の前で発表する。

・一人五十秒の持ち時間で発表する。

・教科書または基礎英語のテキストを読む。

・評価項目は「態度」「発音」「演出」で、生徒同士の相互評価も行わせる。

 

この活動では、生徒は実に素晴らしい音読発表を行う。平素の音読練習はRead and Look upを最終目標としているので、この活動でもそれを条件としているが、自分のことばとして表現するために Recitationまで高めて発表する生徒も少なくない。生徒の互選によって選ばれる各組のベスト5は、三年生ともなれば教師さえしのぐレベルまで達しており、まさに「『生きたことば』でコミュニケーションできる生徒」の代表格となっている。

 

4.指導と評価の盲点

評価を行うときの留意点として、その評価が妥当性と信頼性のあるデータに基づいたものであるかどうかということが議論される。このことについて筆者は何の異論もない。しかし、妥当性と信頼性が確保された評価であれば、それが「正しい」評価なのであろうか。

 

筆者は研修会で先述のリーディング・ショーを使って参加者に観察法の評価を経験してもらうことがある。大抵は5点満点で評価することだけを伝えて、発表がとても上手な生徒とそうでない生徒の二つの映像を見せる。すると、前者に対しては多くの5点と若干の4点が、後者には3点を中心に4点から2点までがつく。事前に規準も基準も議論していないのだから、そのような評価のばらつきが出るのは当たり前である。しかし、筆者が問題にしたいのはそこではない。それは、この生徒たちがどのくらいのことができる生徒なのかという事前情報がないことである。実は、この発表を行った際に、筆者はこの生徒たちならもっと素晴らしい発表ができるはずであると思った。それは、三年生の夏休み後に行ったこの活動では、マンネリ感からか、生徒のパフォーマンス・レベルはかえって以前より下がってしまったように感じたからである。そこで、一学年上の先輩のベスト版を見せたところ、生徒たちは自分たちのふがいなさに気付き、「もう一度やらせてください!」ということになった。そして、行事をはさんで一ヶ月後に再度行った発表はまさに前回とは雲泥の差と言えるほど素晴らしいものに進化していた。その進化後の二人の発表も研修会の参加者に見ていただいたが、二人の余りの変化に驚き、最初の発表で行った評価結果を全員が見直さなければならくなった。

 

このことから、たとえどれだけ事前に評価の規準や基準を議論していようとも、一度目の発表で評価を終えてしまっていたら、それが本当に「正しい」評価だったのかという疑問が残ることがわかる。本来はもっと高いレベルの発表をできるはずの生徒を、そこまで引き上げる指導を行わずに評価しても、それはその生徒の力を正当に評価したものにはならないからである。

 

 以上のことから、正しい評価を行うには、その前に指導の充実を図ることがいかに大切かということをここで改めて強調して、本稿を終了したいと思う。

 

(『指導と評価』2011年4月号、図書文化)

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