教員採用試験あれこれ④

「教員採用試験」シリーズ第4弾(最終回)です。“教員採用試験”の話と言っても、基本的には過去のエピソードばかりで、試験勉強にはほとんど役に立たない話ばかりしてきました(③を除く)。最終回の今回も試験にまつわる個人的なエピソードについてで、学生のみなさんには役立たない話ですが、どうかお付き合いください。

 

前回の話のラストの部分で、「事情があって3年後に2度目の採用試験を受けた」と書きました。もちろん、最初の試験に不備があったわけでも途中で首になって受け直したわけでもありません。その理由は、「作者略歴」で筆者の職歴を見ていただければわかりますが、途中で高校から中学に"鞍替え"したからでした。

 

高校の教員になって3年目のある日、教育実習でお世話になった故真尾正博(さなおまさひろ)先生(当時は埼玉大学教育学部附属中学校、後に埼玉大学教育学部教授)から電話があり、先生の転出に伴う後任として翌年から附属中で働くことになりました。ただ、採用の条件として、将来埼玉県の中学校の教員になるかもしれないので、附属中で働きながら埼玉県の中学校の教員採用試験を受けて合格する必要があるとのことでした。

 

これは考えてみれば不思議な話です。同校は国立大学の附属中学校ですから、採用自体は埼玉県とは関係がありません。しかし、同校の先生方は筆者を除くと同県の中学校の教員経験者で、県と大学の交流人事で採用された人ばかりでした。筆者も埼玉県の教員だったわけですが、中学校と高校では教育委員会内の管轄がちがうというのがその理由でした。すなわち、中学校は「指導第一課」(現義務教育指導課)、高校は「指導第ニ課」(現高校教育指導課)で、筆者は義務教育の教員として採用されたわけではないので、その試験に合格して名簿に搭載され、その上で採用を辞退するという形にする必要があるとのことでした。

 

したがって、書類上は埼玉県の高校教員は「退職」扱いになり(退職願を書きました)、国立大学の附属中の教員として働くのに、埼玉県の中学校の採用試験を受けなければならないという変な立場となったというわけです。しかも、採用試験の願書を提出する際には当時の副校長に呼ばれて、「一次試験も二次試験もトップで合格した上で辞退するように」などというとんでもないプレッシャーをかけられたりもしました。そして、この特殊な状況によって、採用試験時にはいくつかの面白い(?)ことが起こりました。

 

まず、その年に教育実習で指導した多くの大学4年生と試験会場で一緒に試験を受けたことです。筆者の姿を見た実習生達がみな驚いた顔で筆者のところに来て、「先生、なんでこんなところにいるんですか?」の質問責めに会いました。適当にごまかして変な誤解を受けるといけないので、事情をいちいち学生に説明しなければならないことが大変面倒でした。

 

次に、2次試験の面接と合格後の事情聴取でも同じようなことが起こりました。事情を知らない面接官の先生方(おそらくどこかの校長先生)が履歴書を見て、「ん?これはどういうこと?あなたは附属中の先生なのに、なぜ採用試験を受けているの?」 もちろん、ここで適当な話をするわけにはいかないので、実習生に対するときよりも事情を詳しく説明する必要がありました。

 

一方、そんな中でも楽しく受けられたものもありました。それは二次試験の英会話面接試験でした。附属中着任と同時に埼玉県中学校英語教育研究会(中英研)の本部事務局をしていたのですが、英会話試験の面接官が中英研の幹部の先生だったのです。お二人とも事情をご存知だったので、過度の緊張をせずに気楽に話をすることができました(もちろん、手心を加えてもらったなどということはありません)。

 

小学校6年生を想定した国語の模擬授業も、3年以上も常勤教員として働いてきていましたから自信を持って行い(ただし、ことわざの意味を間違えて自信たっぷりに教えたことに直後に気づいて冷や汗をかきましたが…)、なんとか二次試験も無事にクリアーすることができました。

 

以上が筆者が2度目の採用試験を受けた事情とそのときの面白いエピソードでした。

 

なお、その7年後に今度は埼玉大学から筑波大学の附属中に「平行移動」ならぬ「平行異動」をしたわけですが、このときも結構面白い経験をしました。それは上記のような高校の教員から中学校の教員になったときの事情もあったからでした。それについてはいずれまたどこかでお話しすることにします。(11/28/2020)

 

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