(4) 映画の登場人物-陪審員8番[建築家]

「書籍等で出会ったロールモデル」の第4弾は、唯一の演劇・テレビ・映画作品である『十二人の怒れる男』(12 Angry Men)の登場人物です。アメリカの陪審員制度を題材にした、元々は1954年に放映されたテレビ・ドラマで、放映時に好評であったことからその後舞台化され、さらに1957年にはドラマと同じシドニー・ルメット監督で映画化されました。日本では、この映画に多大な影響を受けたという脚本家の三谷幸喜氏が、『12人の優しい日本人』というパロディー作品を制作しています。

 

この映画は、アメリカの陪審員制度に大きな影響を与え続けてきた作品であると同時に、日本の裁判員制度にも少なからぬ影響を与えた作品と言われています。裁判員になることは一般的には“面倒なこと”と思われていますが、この作品を見て感動した人の多くは、「自分も裁判員をやってみたい」と少なからず思っているのではないでしょうか(筆者もその一人です)。

 

物語は、ある若者が犯したとされる殺人事件に対して、12人の陪審員が有罪か無罪かを審理する場面を描いています。それまでに数回行われた裁判の内容からすると、誰もが若者は有罪だと信じていました。そこで、陪審員の中の一人が話し合いをする時間がもったいないので、最初に有罪か無罪かの投票をしようと提案し、無記名の投票が行われました。次々に "Guilty"(有罪)の票が発表され、誰もがそれで決着が付くと思った瞬間に、1票だけが "Not guilty"(無罪)と発表されました。そして、その後に続く白熱した議論の中で陪審員一人一人の性格や経歴なども明らかになりながら、だんだんと陪審員たちの考えが変わっていき…という話です。

 

◇人物像

 

この映画は、そのほとんどのシーンが12人の陪審員が話し合いをする小さな部屋の中で撮影されたものですが、ここで取り上げるのは、その映画版に出てくる登場人物の一人である建築家です(テレビ・ドラマも舞台も基本的には同じ人物設定です)。映画では、製作権を取得した名優ヘンリー・フォンダがその役を演じていました。物語の中ではあくまでも「陪審員8番」となっていて、最後の最後まで本当の名前はわからないまま話が進んでいきます。

 

最初の投票で "Not guilty" を投じた陪審員8番は、「有罪となれば犯人の若者は死刑になるにちがいない。せめてしっかり話し合ってから結論を出そう」と他の陪審員たちに呼びかけます。最初はその話し合いにしぶしぶ参加していた他の陪審員たちも、陪審員8番が裁判で示された証拠や証言の不自然さを次々に明らかにしていったことで、気持ちが変化していきます。

 

周囲を見て易きに流れたり、長い物に巻かれたりするのではなく、本当になすべきことは何なのかを見極めた上でそれを実行する強い意志を持った人間。それが陪審員8番の姿です。様々な問題や矛盾点を抱えるアメリカ社会において、真の“正義”とは何かを見る者に訴えかけてくれる人物です。

 

◇出会い

 

筆者がこの映画と出会ったのは、実に偶然のことでした。それは大学1年生のときでした。確か、土曜日の午後に放映されていたテレビの洋画劇場であったと記憶しています。「何かやってないかな…」とたまたまつけたテレビで、なにやら白黒の映画をやっていました。ちょうどまだ物語が始まったばかりの頃でしたので、「なんだろう?これは…」と思いながらもしばらく見てみることにしました。

 

登場人物たちがただ話し合いをしている場面だけでしたので、しばらくして見るのをやめようかと思っていたところ、その話し合いがだんだんとまるでサスペンス映画のように白熱したものになっていくではありませんか。結局は最後までそれを見続けてしまい、見終わったときには「自分がこれまでに見てきた映画の中で№1かもしれない…」と思うようになっていました。

 

テレビでは日本語吹き替え版でしたので、すぐに当時出始めたばかりのレンタル・ビデオ店で字幕版のビデオを借りてきて、再度むさぼるように見直しました。すると、テレビでは見逃していた細かい場面や台詞などにも目と耳が行くようになり、上記の"感想"は"確信"に変わっていました。

 

そして、自分も「陪審員8番」のように、易きに流れたり長い物に巻かれたりすることを拒み、真に大切だと思うことを実行していこうとこのときに思ったのでした。それは、「(1) 教科書の登場人物」から受けた影響と同じかそれ以上でした。

 

◇教育活動との関連

 

自分が良いものだと思う作品は、自分が教えている生徒にも紹介したいというのは教師の性であることは前にも述べました。この映画のことも、生徒に「先生が好きな映画は何ですか?」と聞かれる度にこれを一番にあげていました。しかし、ただ映画のタイトルを教えたところで、さして有名ではない古い映画でもあるので、生徒がそれを見てくれるとはかぎりません。そこで、英語の授業や特活の時間でこの映画を丸々見せてしまおうと考えました。

 

最初に勤めた県立高校はいわゆる“教育困難校”と呼ばれる生徒指導が大変な学校で、毎日のように何か問題が起こっていました。生徒たちもそのような環境で暮らしていると、前向きな気持ちを持ちにくくなります。そこで、2年次に自分の担任クラスのロング・ホーム・ルームの時間を2時間使って、この映画を生徒に見せてみました。

 

そうしたところ、それまで周囲の様子からおとなしくしていた“善良な”生徒たちを中心に大きな反響がありました。そのことによって直接普段の生活が改善されたわけではありませんが、運動会や文化祭などでは、そうした生徒たちが中心となり、クラスが一丸となって素晴らしい活動をしてくれました。 

 

2校目に勤めた国立大学教育学部附属中学校では、放課後に希望者を募ってこの映画の鑑賞会を開きました。授業等をとおしてあらかじめ映画の内容を伝えた上で関心を持った生徒が集まってくれたので、見た生徒からはとても好評でした。ただ、それが具体的にどのような場面で生きたかはわかりませんでした。

 

3校目に勤めた国立大学附属中学校では、学年担任団の同意を得て、HRH(ホームルームアワー=特活と道徳の時間を融合した、各学年全クラス合同の2時間続きの授業)の1回分を使わせてもらい、担任学年約200名全員に見せました。筆者はその学校で過去に5周、1~3年の学年担任をしたことがありますが、そのうちの2〜3学年でそれをやったと記憶しています。もちろん、大切なHRHの時間を5クラス分(個々なら計10時間の授業に相当)もまとめて使わせてもらうので、担任団の先生方向けの企画書や生徒向けのハンドアウトなども作成し、ただ単に見せておしまいにならないようにしました。

 

上映時間が約1時間50分もあり、授業時間内ではそれを鑑賞することしかできませんので、その学年によって終礼(帰りの会)や次週のHRHの授業を使ってまとめの活動を行いました。2年次に見せた学年と3年次に見せた学年があったのですが、思春期に入って易きに流れがちな2年生に対して見せたのと、自分の進路に具体的な心配をし始める3年次に見せたのでは、返ってくる反応が少しちがったように感じました。生徒の具体的な声は残っていませんが、平素からやる気の高い生徒だけでなく、普段はおとなしくしている生徒からも、「自分も陪審員8番のように生きたいと思う」という反応があったと記憶しています。

 

自分の生き方に影響与えたというだけでなく、生徒の心にも何かを残すことができた作品です。

      

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