永遠の少年?天の邪鬼?それとも…

筆者は、よく同僚のU先生に「肥沼先生は『永遠の少年』だから…」と言われます。それを妻に話すと、「それはね、あなたが“面倒くさいヤツ”ということなのよ」と笑われます。まあ、あと半年余りで還暦を迎える歳になっていながら「少年のようだ」と言われるのもどうかと思いますが、自分としては言われて嫌な気はしていません(そういう認識であることがそもそも“少年”か?)。

 

U先生にそう言われる理由は、筆者がよく虫の話や電車の話や小さい頃に見ていたアニメの話などをするからのようです。つまり、趣味や興味の対象が子供の頃と変わっていないということらしいです。また、それらを子供のように嬉しそうに話すことも理由の1つだそうです。確かに、夏になれば本コーナーでも必ずセミの話が一度は出ますし、学校の中庭でオオカマキリを見つけて騒いでいる生徒がいれば、カマキリの首っ玉をつかんで「ほ~ら!」なんてやりますし、電車の話になれば型式だとかの話になりますし、アニメの話になればトリビアの披露になりますし…。

 

その筆者がどうしてそんな人間なのかについて、先日あることがきっかけでふと考えてみました。

 

それは帰宅時に途中の駅で各駅停車から急行に乗り換えたときのことでした。時間が遅かったこともあって、急行もそれほどは混んでいなかったのですが、それでも立っている人はそこそこおり、最後尾のドアからその人たちの間をかき分けるように中に入りました。すると、自分の周りに立っている人たちは一人残らず携帯をいじっていました。座っている人も寝ている人を除けばほとんど同じでした。もちろん、筆者も携帯は使いますが、最低限の情報を得るため(例えば、乗り換え時間等)だけで、あとは本を読んでいることが多いと思います。

 

こういう時の私の反応は大抵同じです。「オレは携帯なんか見ないぞ!」と思ってしまうのです。こういう考え方をするのは小さい頃からです。つまり、人と同じ事をするのが好きではない…、いや、嫌いなのです。だから、友達と群れるのも好きではないし、祭りなどはできれば行きたくないし、渋滞や人混みは死ぬほど嫌いだから連休に出かけるなんてとんでもないし…。こういうタイプはきっと「天の邪鬼」と呼ばれるんでしょうね。実際、以前はよく妻に「あなたは本当に天の邪鬼なんだから…」と言われていました。

 

さて、この時は最後尾に立っていたこともあり、せっかくなので後ろを振り向いて運転室(最後尾だから「車掌室」?)を眺めていました。電車が走り出すとスピード・メーターがぐんぐん上がっていきます。それを見て、「へえ~、○○と○○の間は103㎞/hも出すんだ~」などと感心していました。そして、そんなことにはまったく興味を示さず携帯をいじっている人たちを見て、「なんでみんなはこれに興味がないんだろう…。まあ、いいか。この場所を独占できるんだから」などと思っている自分がいました。ちなみに、筆者はテッチャン(鉄道オタク)ではなく、昔から単に機械やスピードに興味があるのです。

 

話を急行に乗り込んだ時に考えたことに戻します。その時に思いついたのは、どうやら筆者は「変化」が嫌いなようだということです。だから、昔のこと(子供の頃のこと)を大切にして、周囲から影響を受けそうなことからは遠ざかろうとするのでしょう。一人で好きなことをしている限りは、周囲に合わせる必要はありませんからね。

 

でも、そんな筆者が教員としてはごく普通の(?)、生徒とコミュニケーションをとるのが大好きな人間であるところが面白いです。先日も普段は授業を全く担当していない他学年のクラスに初めて朝の健康観察に行った時、約20分間でクラスの40人の一人一人と話をしました。"私人"としては人と関わるのがあまり好きではないのに(U先生には「見知らぬ人と5秒で知り合いになる先生がそれはないでしょう」と言われそうですが…)、"公人"の立場になるとそれが180度変わってしまうのです。

 

永遠の少年?天の邪鬼?それとも…。実は、自分でもよくわからないのです…。(12/5/2020)

 

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