エピソード37⑫:修士論文と「名人」との出会い

今から約25年前の1998年4月より2年間、筆者が現職を続けながら大学院に通ったことは、「大学院へ通うこと」のコーナーでお話しました。

 

大学院に行くと、一般的には修士論文を書くことが求められます。そしてそれは、大学のときの学士論文よりも質の高いものにしなければなりません。

 

多くの場合で「実証研究」、すなわちしっかりとした文献調査を行い、仮説を立ててそれを検証する科学的な研究が求められます。そのような研究を行うには、大雑把な内容ではだめで、かなり条件を絞ったことを研究の対象としなければなりません。

 

しかし、筆者はそのような実際の指導に直接役に立つかどうかわからないような枝葉末節な(?)研究を行いたくはありませんでした。現職の教員として自分の指導力を向上させるのに役立つ研究をしたかったのです。

 

ちょうどそのころ、全国各地に授業の「名人」と言える先生が何人かいらっしゃいました。最も身近なところでは、同僚の蒔田守先生がそうでした。蒔田先生を見ていると、その指導力の高さには理由があることが見えてきました。そのときに「これだ!」と思いました。「全国の授業の名人に密着取材をして、名人の共通点を探してみよう。これなら、多くの先生方も知りたがるだろう。」

 

こうして修士論文の方向性が見えてきました。しかし、「こんなへんてこりんなテーマを指導教官が許可してくれるだろうか…」恐る恐る相談に行くと、指導教官のB先生は「それはおもしろそうですね。ぜひやってみてください。タイトルは『「名人」の授業を科学する』でどうでしょうか?」と言ってくださいました。

 

そこからは、過去の文献探しが始まりました。しかし、どのように指導したらいいかという論文はあっても、特定の先生に焦点をあてて研究した論文などは見つかりませんでした。それはおそらく、授業の上手な先生は「名人芸」の持ち主だと思われていたからでしょう。

 

そこでまず、身近にいる名人の蒔田先生と筆者は何が違うのかを考えてみました。そうしたところ、1つ1つの活動にかける時間や、生徒同士の人間関係作りや教師と生徒の間の信頼関係にちがいがあることがわかりました。「もしかしたら、他の名人たちにも共通することかもしれない…」これが筆者の仮説でした。

 

こうして、当時全国に名を馳せていた3人の「名人」先生と、筆者を含めた何人かの「名人ではない」先生の授業を比べてみました。結果としてわかったことは…? それは、修士論文の現物(「研究論文」のコーナーにあります)をご覧ください。(1/14/2022)

 

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