教え子を講師に招く

筆者の勤務校では、1969年度より「総合学習」を行っており、それが今年で50周年になります(実際には、69-71年は「特別課程」、72-74年は「特別学習」という名称で、75年より「総合学習」)。学習指導要領で「総合的な学習の時間」が始まるより30年も前から「総合学習」を行っているわけです。現在は、1年生が「情報リテラシー学習」、2・3年生が「総合学習」です。2・3年生の「総合学習」は、担当者が好きなテーマでコースを設定し、生徒は自分の好きなコースを選択することになっています。

 

筆者は、今年は3年生で「映像が語る世界の社会問題」というコースを開設し、20名の生徒が毎週2時間の授業に参加しています。映画やドラマ等に描かれている「社会問題」をきっかけにして、自分が追求したい社会問題について研究するという内容です。一見すると、映画を見て楽しむ内容かと思われそうですが、そのような時間はオリエンテーションの時間以外はほとんどなく、調査、ディスカッション、発表などの地道な活動がメインのコースです。

 

その授業に、先日、現任校で最初に担任した学年(1996年入学)の卒業生であるMさん(女性)を講師として招きました。Mさんは、現在WFP(国連世界食糧計画)イエメン支部で正規職員として働いている国際公務員です。以前から機会があったら来校してもらおうと思っていたところ、この時期にたまたま帰国することが事前にわかったので、都合をつけてもらいました。

 

Mさんの話の内容は、まさに本コースのねらいにぴったりのものでした。紛争地域の子供たちをめぐる問題点を、時に衝撃的な映像も交えて話してくれました。ここまで授業や調べ学習で学んできたようなことを、実際の経験をもとに語る彼女の姿に、生徒たちはあっという間に引き込まれていき、真剣な眼差しで話を聞いていました。その後の質疑応答でも、生徒たちから次々に質問が出され、Mさんもその1つ1つに真剣かつ誠実に答えていました。

 

筆者も彼女の話に引き込まれた一人でしたが、さらに生徒たちとは違う感動も味わっていました。それは、かつて自分の教え子であった彼女が、自分をはるかにしのぐ存在に成長して、目の前で自分の現在の生徒たちに感動を与えてくれていたからです。

 

Mさんは、中1から中3まで筆者の英語の授業を受け、中3の総合学習も筆者のコースを取っていました。さらに当時は附属高校と授業担当者の相互交換もしていたので、高1(OCA)、高2(英作文)も筆者の授業を受けました。その関係で、高校で出場した英語弁論大会の指導も筆者が行い、大学入試の推薦書も高校の先生を差し置いて筆者が書いた生徒だったのです。高校卒業後もずっと音信が続いており、就職後も何度か学校に遊びに来てくれていたので、進路のこともすべて知っていました。

 

Mさんは、件の授業の2日後に内戦状態にあるイエメンの首都サヌアに帰って行きました。空爆があたりまえになっているような危険な場所で働く彼女が、自分の命を犠牲にするようなことなく、また明るい笑顔で自分の前に現れてくれることを、まるで自分の娘のことのように願っています。(12/15/2019) 

 

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