1. 「授業は英語で」の基本的な考え方

まず最初に断っておきたいのは、学習指導要領は「英語で授業」ではなく「授業は英語で」で、「授業は英語で行うことを基本とする」と言っていることです。そこで、学習指導要領の具体的な記述を確認してみましょう。件の部分は、「3 指導計画の作成と内容の取扱い」の「(1) 指導計画の作成上の配慮事項」の「エ」という項目に記されています。

 「生徒が英語に触れる機会を充実するとともに,授業を実際のコミュニケーションの場面とするため,授業は英語で行うことを基本とする。その際,生徒の理解の程度に応じた英語を用いるようにすること。」

 

これを読むと、授業を英語で行う目的は次の2つであることがわかります。

・生徒が英語に触れる機会を充実させるため

・授業を実際のコミュニケーションの場面とするため

 

1つ目の目的は、教師や仲間が話す英語も立派な教材で、それを利用しない手はないということから来ています。一方、2つ目の目的は、授業中のすべての活動が実際のコミュニケーションの場面になりうることから来ています。また、留意点として、自分の生徒が理解できる英語を用いるようにすることが書かれています。これは後で再度議論しますが、この部分は大変重要です。

 

しかし、何もこれらは最近になって初めて重要だと言われ出したわけではなく、実はかなり以前から外国語教育の重要な指導法として唱えられてきたことです。「英語で行う指導法」と言うと、戦後に一斉を風靡して全国に広がった「オーラル・アプローチ」(Oral Approach)をご存じの方も多いと思います。また、英語教育史を勉強した方なら、大正時代に入ってきた「オーラル・メソッド」(Oral Method)を覚えている方もいるでしょう。

 

筆者の勤務校は、オーラル・メソッドの提唱者であるH.E.パーマー氏の実践校として、1923(大正12)年以来ずっと英語で授業を行ってきています。今でも、1年生の最初の約2ヶ月は教科書を用いずに、「聞くこと」「話すこと」を中心とした授業を行っています。これは氏の The First Six Weeks という書籍に記された指導法に則ったものです。

 

しかし、実は、最近もっと以前から勤務校では英語で授業をしていたことがわかりました。それは、勤務校の前身である東京高等師範學校附属中學校で明治43(1910)年に発行された『教授細目』に載っていることから明らかになりました。その中の「第四 三.英語を用ふる場合と國語を用ふる場合」という項目に次のように書かれています。

 「外國語の教授時間には生徒をして其の外國語の行はるゝ社會中にある如き感を抱かしむるを可とす。例へば、教場管理に關する事項を談話する場合、既に授けたる語句を用ひて説明し得る場合、國語を用ひずとも繪画、身振等の助をかり英語にて説明しうべき場合、及び復習、練習に用ふる問答等は成るべく英語のみを用ふ。されど、例へば事物の名称の如き英語を用ひては徒らに長き説明を要するもの、並びに文法上の説明の如き正確を要するものには國語を用ふることゝす。

上記を現代語で表現すると、次のようになるでしょうか。

 

「外国語の授業では、生徒にその外国語が使われている場面にいるかのような感覚を与えるようにする。例えば、授業運営に必要な表現を発する場合、既習の語句を使って説明できる場合、日本語を用いなくても絵や身振り等の助けを借りて英語で説明できる場合、及び復習や練習に用いる問答などにはなるべく英語を用いるようにする。ただし、例えば物の名前など英語を用いると説明が長くなるものや、文法説明のような正確さが必要なことには日本語を用いるようにする。

 

これを読むと、先程の学習指導要領の目標や方策と見事に合致していいます(赤字部注目)。その上、必要な場面で日本語の使用も認めるという現実的な方法も認めているのです(青字部注目)。今から100年以上も前に、すでに日常の授業の指導法として実践されていたことがわかります。

 

ところが、過去に何度か提唱された「授業は英語で」は、一般にはあまり広まることなく、ほとんどの場面で日本語を使う「訳読法」が定着してしまいました。その最大の理由は、英語教師自身に「話すこと」「聞くこと」の経験がほとんどなく、「読むこと」「書くこと」しかできなかったということでしょう。また、生徒も「話す」「聞く」必要はありませんし、教材も「読む」「書く」ものしかなかったということもあると思います。しかし、今や教師も多くが英語圏に留学して力を付けたり、国内でも訓練できる環境が整っています。生徒もALTをはじめとする外国人とコミュニケーションする機会を得ることができていますし、ネットを通じていくらでも生の英語に触れることができます。

 

そうであれば、指導法も訳読式からオーラル・オーラル(aural-oral)式へ転換する必要があります。文科省の調査では、すでに「授業は英語で」を実施していると主張する先生は以前に比べればはるかに多くなっていますが、まだまだ一般的になっているとは言えません。以前から「授業は英語で」を行うことの大切さを主張し、自身でも実践してきている筆者としては、今回の学習指導要領の改訂を機会にぜこれを一般的にしたいと思っています。