今さらですが…

何が「今さらですが…」かと言うと、今回アップした「ブラノーリー」の記事のことを指しています。まず、すでに文京区に通勤しなくなって1年近く経つのにそこのことを“今さら”紹介するのはどうかということがあります。また、具体的な話題のテーマである大河ドラマ『いだてん~オリンピック噺~』も放送が終了してから3年以上も経って新鮮さが失われているので“今さら”ということもあります。

 

それでも記事を公開した理由は2つあります。1つは、「文京区ぶらり旅」シリーズと銘打っていながら、なかなか具体的な記事をそろえることができないまま定年退職してしまったこと。もう1つは、1年以上前に今回のテーマと次回のテーマを兼ねた取材旅行をしていながら、退職前の忙しさもあって記事の形にできていなかったことです。

 

そのような中で、ようやく今年度の授業が終わって少し余裕ができたので、時間と労力がかかりそうな本記事の執筆に改めて取りかかったというわけです。実際、ある日の朝9時ころから書き始めて、全てを書き終えたのが夜中の12時頃になりました。食事や休憩のために筆を止めた時間を除くと、おそらく終了までに12時間くらいはパソコンに向かっていたでしょう。

 

さて、今回のテーマである『いだてん』ゆかりの地の情報ですが、すでに文京区のパンフレットや多くのネット上の記事などでも取り上げられているものなので、特に目新しい情報はありません。ただ、いずれも元勤務校との関係ということを軸に書きましたので、その点が他の記事とは趣が異なる点でしょう。

 

なお、当初は記事の最後に『いだてん』に登場した本校の関係者を改めてまとめて写真入りで紹介する特別付録も書くつもりで準備していたのですが、すでにゆかりの地の記事だけでかなりの量になっていたことや、さらにその追加記事を書くと全体の量が倍近くになってしまいそうな予感がしたので、そちらはやめました。その代わり、冒頭の部分に過去の関係記事のリンクを貼っておいたので、ご関心のある方はそちらをご覧ください。

 

あともう1つ。ついでなので、以前にアップした「① 我が学校、筑波大学附属中学校」の記事も大幅に加筆・修正しました。具体的には、所在地の地図として新たに1945年頃のもの、1895年頃のもの、江戸時代末期のもの、そしてそれを現在の縮尺で再構成したもの、の4点で、それぞれに関係するエピソードも加筆しました。筑波大附属中の関係者は必見です!さらに、本校と関係の深い「③ 湯島聖堂(昌平坂学問所)」にも新しい資料を追加しました。1890年代までの東京高等師範学校と昌平坂学問所の敷地の関係もわかり、これまでよくわからなかった附属中学校の校舎の位置も正確にわかるようになりました。(2/25/2023)

 

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