『青天を衝け』と本校関係者(その3)

NHKの大河ドラマ『青天を衝け』が12/26を最終回として終わってしまいました。武力や政治で歴史を動かすのではなく、「人々を幸せにしたい」という思いで経済人として現在に続く多くの事業を興した渋沢栄一の人生は、現代を生きる私たちにも生きる希望を与えてくれるものでした。

 

さて、『青天を衝け』に勤務校の関係者が登場することについては「87. 『青天を衝け』と本校関係者」「102. 『青天を衝け』と本校関係者(その2)」、そして前回の「130. 戦国時代か明治維新か」で取り上げました。記事の内容は、「英語科教官列伝」のコーナーでも紹介している本校元副校長・山口正先生が発行し続けている『附属中学校・高校 卒業生列伝』の番外編「大河ドラマ『青天を衝け』特集」(『列伝』の第700号~第793号)の記事を元にしていました。

 

そこで今回は、番組を見終わったところで改めて同番組に登場した勤務校の関係者を筆者が気づくかぎりすべて整理してみたいと思います。

 

○安藤(対馬守/長門守)信正(1820-71)

勤務校の敷地が明治時代は旧大塚陸軍弾薬庫があった場所であり、さらにその前の江戸時代後期は老中・安藤信正対馬守(長門守)の屋敷があった場所であることは、「文京区ぶらり旅」のコーナーの「①我が学校、筑波大附属中」のページで紹介しました。その安藤信正が『青天を衝け』の第10回「栄一、志士となる」に登場しました。直接勤務校と関係がある人物ではないのですが、現在自分が働いている場所がかつて歴史の舞台で活躍した人が住んでいたところであることを考えるととても興味が湧いてきます。

 

穂積重遼(10回生)

栄一の長女・歌子(うた)と夫・穂積陳重の長男で、第37回「栄一、惑う」に赤ん坊として登場しました。重遼(しげとう)は、本校卒業後に一高、東大に進学し、卒業後は東大に奉職して、後に法学部の教授となって「日本家族法の父」と称されるような著名な法学者になりました。なお、歌子の子供では他に次男・律之助(11回生)、三男・貞三(13回生)、四男・真六郎(15回生)も本校の卒業生です。

 

○渋沢武之助(14回生)・正男(15回生)・秀雄(19回生)

栄一の後妻・兼子との間にできた子供として四男(前妻・千代との子を含む四番目の男子。以下同様)・武之助(14回生)と五男・正男(15回生)が第37回「栄一、惑う」のラストにそれぞれ子供と赤ん坊として登場しました。

 

武之助は、本校卒業後に一高、東大法学部へ進学したものの東大在学中に病で途中退学となりましたが、病気が治ってから国際電気の相談役、十勝開墾の重役、石川島飛行機製作所社長などを務めています。正男は、一高、東大を卒業後、第一銀行に勤めた後に自ら貿易会社を創業したものの第一次大戦のあおりを受けて会社が倒産したので、その後は栄一の関係していた石川島造船所、石川島飛行機製作所、日本製鉄八幡製鉄所などの所長や社長を務めました。

 

そして、栄一の六男・秀雄(19回生)が第38回「栄一の嫡男」に兄2人とともに庭で遊んでいる子供として登場しました。また、第39回「栄一と戦争」では武之助、正男とともに栄一が篤二に廃嫡を言い渡すシーンで青年としてテーブルに座っていました。

 

秀雄は東大を卒業後に日本興業銀行に勤めたものの半年で退職し、栄一が創設した田園都市株式会社の取締役になり、田園都市の建設の他に多摩川遊園地の運営なども手がけました。なお、武之助、正男、秀雄の3人は第38回では子役名として、第39回では青年役名として、ともにオープニング・クレジットに名前も出ています。 

 

○阪谷希一(16回生)

栄一の次女・琴子と夫・阪谷芳郎の間にできた長男・希一(16回生)が第38回「栄一の嫡男」に赤ん坊として登場しました。希一は、附属中卒業後に二高、東大を出て最初は日本銀行に入行したものの、後に関東庁に転じて財務部畑を歩きました。その後、満州国財務部に招かれて満州鉄道理事などを務めました。なお、琴子の次男・俊作も卒業生(19回生)です。

 

○渋沢敬三(24回生)・信雄(25回生)

敬三(24回生)は栄一の次男・篤二の長男です。敬三は第39回「栄一と戦争」に子供として、第40回「栄一、海を越えて」では青年として、第41回(最終回)「青春は続く」では準主役として登場しました。最終回の最後に栄一のことを語るスピーチはとても感動的でした。

 

敬三は、篤二が廃嫡となった後に栄一から渋沢一族を率いることを懇願されて後を継ぎました。敬三は、東大経済学部を卒業後に実業界に入り、第一銀行の取締役などを経て、日銀総裁、国際電々社長、日本国際商業会議所会頭などを務めました。大蔵大臣を務めたこともあります。また、日本民俗学協会会長を務めるなど民俗学者としても有名でした。

 

信雄(25回生)は篤二の次男です。第39回に敬三とチャンバラをする子供として、第40回に子供のころの写真として登場しました。信雄は京都大学文学部哲学科に進み、秩父鉄道や秩父セメントなどの取締役、渋沢倉庫相談役などを務めました。

 

なお、ドラマには登場していませんが、篤二の三男・智雄(29回生)も附属中の卒業生です。智雄は北海道大学農学部に進み、日本ワットソン統計機械取締役やエフ・オーストン監査役を経て、渋沢倉庫常務取締役などを務めました。

 

以上が、ドラマに登場した勤務校の関係者でした。

 

<番外編>尾高豊作(21回生)・鉄雄(24回生)・朝雄(25回生)・鮮之助(28回生)・邦雄(35回生)の母・文子

上記の5人は尾高惇忠の次男・次郎の息子達です。以前は筆者も尾高家の血筋の子達なので栄一の遠い親戚にあたる子達であるということは知っていたのですが、ドラマを見て新しいことがわかりました。それは第38回「栄一の嫡男」で彼らの母・文子のことが紹介されたからです。

 

同回では、栄一の妾として長年一緒に住んでいた大内くにの娘として、つまり渋沢栄一の戸籍には載らない娘として紹介されましたが、そのときに「くにの子・文子は尾高惇忠の次男・次郎と結婚することになりました」というナレーションがありました。

 

次郎の子供たちと言えば上記の5人なのですが、その彼らの母親がくにの子にあたるということは、それはすなわち栄一の孫にあたるということになるわけです。ドラマには出ませんでしたが、後に勤務校の卒業生となる男子を5人も産んだ女性ということで、番外編として追加をしておきます。

 

栄一の血を引く人たちが各界で活躍したというのは本当にすごいことですね。(1/8/2022)

 

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