エピソード37⑨:二人の“会長”

筆者が埼玉大学教育学部附属中学校に勤めていたとき、教科の研究団体である埼玉県中学校英語教育研究会(略称「埼中英研」、現・埼玉県英語教育研究会)の本部事務局を務めていました。その立場上、研究会の幹部の先生方とお付き合いすることが多かったのですが、会長さんともよく話をさせていただきました。

 

教科の研究会の会長といえば、その教科の教育者として若い頃から活躍され、とても立派な実績を残された方と考えていいでしょう。当然、人間的にも素晴らしい(魅力的な)方ばかりでした。その中で、特に印象的なエピソードとともに記憶している先生が2人いらっしゃいます。今回はそのエピソードについてお話しします。ただし、各先生のお名前はイニシャルのみとします。

 

(1) SZ先生-潔い退き際

SZ先生は、埼玉県北部の中学校の校長でした。とても元気のある先生で、自分の思ったことをはつきりと述べられる方でした。その先生が会長職の1年目が終わろうとしているある会議の中で、「任期途中ではあるが、今年度をもって会長の職を辞したい」とおっしゃいました。

 

SZ先生は、その年かぎりで埼中英研の会長をやめられるだけでなく、定年前であるのに校長もやめて退職するということでした。その理由は、突然大きな病気にかかられた奥様の介護をしっかりやるためであるという説明もありました。

 

奥様の介護のために職を辞するというのは大変なことだな思っていると、さらに先生の詳細なお気持ちの説明もありました。奥様が病気になられたとき、先生はその対応で何度か学校を休まれたそうです。最初は先生の学校の職員も「大変ですね」と同情をしてくれていたそうですが、休みが重なると「またか…」という雰囲気を感じるようになったとのことでした。

 

そのことをSZ先生は「同情は批判の始まり」と表現されていました。これは「最初はみんな同情してくれるが、それはやがて批判に変わることでもある」という意味だそうです。先生はお話の間に何度かこのことばを繰り替えされました。そのせいで筆者の脳裏に深く刻まれました。「そうか。最初は同情してくれていても、やがてそれは批判へと変わって行くのか…」

 

SZ先生はそのお言葉のとおりにその年で退職されました。奥様のために、そして同僚に迷惑をかけないために、すっぱりと職を辞する。その潔い引き際には感動すら覚えました。そして、「同情は批判の始まり」ということばはしっかり覚えておこうと思いました。しかし、その時はまさかそれが自分が定年になったときに大きな影響を与えるとは思っていませんでした。

 

実は、これまでも何度か書いたことですが、筆者は57歳のときに大きな病気で3ヶ月の病気休暇をとって同僚に大きな迷惑をかけただけでなく、翌年に務めることが決まっていた大事な役職を辞退することにもなりました。さらに、病状の悪化を避けるために定年を迎えるまで時短勤務や業務削減の措置をとってもらいました。つまり、職場の先生方に多大なる迷惑をかけたということです。

 

その時に思い浮かんだのが件のSZ先生のことばでした。そして、自分もそのとおりに考えて行動する道を選んだのです。つまり、権利として行使できる5年間の雇用延長(再雇用)はせずに定年で退職したというわけです。

 

(2) YM先生-平常心を保つこと

YM先生は、埼玉県西部の中学校の校長でした。正確に言うと、筆者が事務局をやっている間は副会長で、会長になられたのは筆者が異動して埼中英研とは関係がなくなってからでした。

 

YM先生は、当時としては異例の経歴の持ち主でした。なんと埼玉県では当時最年少の38歳で校長になった、つまり退職するまでに23年間も校長職にあった人でした。戦前や戦後すぐには若くして校長になる人は少なくありませんでしたが、当時はすでにどんなに若くても50歳くらいにならないと校長にはなれない時代になっていました。当然ながら埼玉県の中学校長会の会長も務められており、確か全国中学校長会の幹部も務められていたと記憶しています。

 

そのYM先生に関して印象的なエピソードがあります。それは平成4年度に行われた関東甲信越英語教育研究協議会(通称「関ブロ」)埼玉大会の準備会のときでした。当日の運営をスムーズに行うために、すべての役員(全員が英語教師)に集まってもらって、当日のシミュレーションを行ったのです。当日の進行に合わせて、分科会ごとの打ち合わせを行ったり、問題点をあぶり出したりすることが目的でした。

 

ただ、役員によってはすべての会議の進行に関係ない人もいて、次に関係する場面が来るまで待たされる人もいました。そのような中で、ある教員(おそらく筆者と同年代の30代前半)がそのことに腹を立てて、「忙しい中で無理に来させられたのに、いつまで待たせるんだ!」と進行役の事務局(私を含めて3人)のところにどなりこんできました。その余りにも一方的な文句に、事務局の3人も半分切れかかっていました(それは最年少の筆者だけだったかもしれませんが…)。

 

その時でした。事務局と一緒に本部で進行の様子を見ていたYM先生がとても落ち着いた口調で、「本当に申し訳ありません。こちらの準備不足もあってご迷惑をおかけしています。あと少しで順番が来ると思いますので、もうしばらくお待ちください。」とおっしゃったのです。

 

その時、筆者は「なんで自分の半分くらいの年齢の若い教員に対してそこまで丁寧に誤る必要があるんだろう?こっちだって忙しい中を頑張っているんだから、むしろそんな言い方をするその教員を叱ってほしい」と思いました。しかし、その興奮していた教員はYM先生のことばを聞いて平静さを取り戻し、それ以上の文句は言わずに戻っていきました。

 

その様子を見て思いました。もし筆者が感じたのと同じような気持ちで言い返していたら、おそらくその教員といつまでも言い合いになっていたでしょう。もしかしたら、その教員はさらに怒って帰ってしまったかもしれません。YM先生は、まるで客のクレームに対して丁寧に対応するレストランの店長のようなことばと態度で接していたわけですが、それによって相手の態度を軟化させることに成功したのです。

 

やはり長年管理職をされてきた先生はちがうものです。年下の、格下の教員だからといって頭ごなしに叱ったりするのではなく、相手の気持ちを落ち着いて受け止めるという方法は、教師と生徒との間でも有効なはずです。興奮して何かを言ってくる生徒に対して教師は決して同じ土台で怒ったりせず、落ち着いて話を聞いてあげれば、案外問題を簡単に解決できるかもしれないのだということをこの時に学びました。

 

もちろん、すぐに自分がそれを実行できたかと言えばそうではなく、本当の意味で落ち着いて生徒指導ができるようになるまではまだまだ何年、いや十何年もかかりましたが…。

 

元会長のお二人は今どうしていらっしゃるでしょうか。お目にかかれればぜひ筆者の気持ちをお伝えしたいのですが…。(9/10/2022)

 

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