『八重の桜』の附属中関係者

『八重の桜』は、幕末期に会津藩の鉄砲指南の山本家に生まれた山本八重(後の新島八重=新島襄の妻)の生涯を描いた作品です。主人公の八重を演じた綾瀬はるかさんがスペンサー銃を構えているシーンは格好良かったですね。明治維新前後のことが描かれていることから、この作品には附属中の関係者が登場することが期待されていました。

 

このドラマに登場する附属中関係者としてわかっているのは1人しかいません。時代からすると卒業生ではありません。

 

 

 

○山川 浩(やまかわひろし) 附属中学校初代校長

山川浩は、八重の幼なじみであり、のちに会津藩家老となる山川大蔵(おおくら)です。なお、「大蔵」は通称で、本名は浩(ひろし)です。

 

ドラマでは玉山鉄二さんが演じていました。

 

山川大蔵(浩)は、戊辰戦争で敗れたのちはしばらく禁固謹慎に処せられていましたが、西南戦争に従軍して軍功をあげてからは陸軍歩兵大佐、陸軍総務局規制課長、高等師範学校長、貴族院議員などを歴任し、最後は男爵の称号も得ました。

 

このうち、高等師範学校長は1887年から1891年まで務めました。附属中が創設されたのが1888年で、当時は高等師範学校の校長が附属中学校の校長も兼任していたので、山川氏は附属中学校の初代校長になります。

 

Wikipedia には、附属学校に対する次のような山川氏の発言が紹介されています。

 

「附属校園は全国学校の模範たるべきものである。然るに規律なく乱雑では仕方ないから、之を改革するために努力せよ。その為には全生徒に退学を命ずるもよし、或いは授業料を三倍にし、従来の生徒の此の校に居るのをひかせるのもよい」

 

このような考えの元に授業料を値上げしても在学者や入学者が減らなかったため、そのお金で優秀な教員を集めたそうです。また、軍人らしく校内規律を引き締めたため、校内は秩序整然となったということも Wikipedia で紹介されています。

 

なお、現在は附属中学校は国立学校の義務教育校ですので、授業料は無料です。附属高校も、公立高校と同程度の授業料しか徴収していません。

 

ちなみに、ドラマの登場人物ではありませんが、山川浩の息子・戈登(ごるどん)氏は、附属中の第13回卒業生です。また、浩の弟で、後に東京帝国大学(現東京大学)総長2回、九州帝国大学(現九州大学)総長、京都帝国大学(現京都大学)総長を務めた山川健次郎(ドラマでは勝地涼さんが演じていました)の長男・洵(まこと)氏が附属中の第10回卒業生、四男・健氏が第21回卒業生であることもわかっています。

 

ところで、筑波大学附属高等学校と学習院高等科及び学習院女子高等科の間では、長年「対学習院総合定期戦」(通称「院戦」。学習院側は「附属戦」と呼称)と呼ばれる交流行事があります。3校が毎年持ち回りで会場校となり、各運動部が交流試合を行っています。共学である附属高校の男子は高等科と、女子は女子高等科と試合をします。かつては附属中も学習院中等科と院戦を行っていたようですが、行事の精選により30年以上前に同行事への参加をとりやめたと聞いています。

 

これは筆者の個人的な感想なのですが、明治期から「新政府(天皇)」側の子孫を長年教育してきた学習院と、「旧幕府軍」側であった会津藩の元家老が初代校長(2代目校長の高嶺秀夫も白虎隊出身)になった高等師範附属が今でも交流戦を行っているというのは、なんとも面白いことだと思います。明治維新の頃はお互いに“敵”であったとも言える両校の魂同士が、スポーツを通じて交流を深め合っているのかもしれません。

 

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