いい授業のために「教案」を書こう:教案には何を書くか、書かないか-達人の教案拝見

※記事の一番下に雑誌記事の現物(PDF)があります。

1.書き続けている教案ノート

筆者は授業の名人ではないので、「達人の教案拝見」というタイトルで自分の学習指導案(以下、「教案」とする)を公開することにはやや抵抗があるが、一方で、平素から国内各地で行われる研修会等で教案を書くことの重要性を訴え続けてきている立場もあるので、この場を借りて紙幅の許すかぎり自分の考えと実践を紹介したいと思う。

 

さて、筆者は今年(注:2011年)の4月で教職27年目を迎える。最初の3年間は埼玉県の県立高校の教師をしていたが、その頃の教案ノートが残っておらず、教案をどの程度書いて毎回の授業をしていたかの記憶も定かでない。しかし、4年目に前任校(埼玉大学教育学部附属中学校)で中学校の教師となってからは、ほぼ毎時間ノートに教案を書くようになり、以降23年間それを続けている。筆者の場合、1時間の授業を行うための教案は基本的にA4版ノート1ページ分に収めるようにしており(詳細に書きたい場合は2ページ)、1年間でほぼ1冊(中1は特に入門期を詳しく書くので2冊)を使い切っている。もちろん、同時に複数学年を教えるときはそれぞれを別のノートに書いている。そうして書いた教案ノートは、中学校に勤務している23年間で計37冊になった(写真1)。

 

 

<10/1/2022 追記>

そして、最終的には定年退職するまでの34年間で計57冊になった。 

 

写真1 平成元年~平成23年の間に書いた指導案ノート37冊

 

2.教案を書くことの重要性

(1) 教師自身のための教案書き

 

では、なぜ教案を書くのであろうか。最大の理由は本特集のテーマともなっている「よい授業を行うため」である。ただ、教案を書くこととよい授業を行うことの関連は他の方がふれられているであろうから、筆者は一人の教師という立場から、なぜ23年間もの長きにわたって教案をほぼ毎時間書いて授業を行っているのかを述べたいと思う。 まず、教案を書くことが「毎時間よい授業をする」ためであるとするならば、その前後にある自分の深層心理を図1のように図式化できる。

 

     教案を書く 

                  ↓↑

 計画を立てて先を見通せると安心できる 

     計画を立てた方がよい授業ができる 

                  ↓↑

     毎時間よい授業をする 

                  ↓↑

     生徒によい教師だと思われたい 

                  ↓↑

 仕事で自己実現をしたい 

                  ↓↑

 幸せになりたい    

 

図1 筆者の「教案を書く」心理構造 

 

筆者の場合、日頃から臨機応変な対応があまり得意でないため、何も準備せずに教室に行ったりすると、授業の途中で立ち往生しかねない。特に、1時間の授業を英語を使って効率よく進めるために、無駄な合間や言いよどみなどを避けようと考えたら、丸裸の状態で授業をするなど考えられないことである。一方、筆者はものごと考えるときに、計画を立てて実行することはそれほど苦ではない。そのような自分の特性を考えると、教案を書くことで授業の全体像がイメージでき、安心して教室に向かうことができるのである。つまり、筆者にとって教案を書くことは、授業において自己実現をするためであり、究極的には仕事において幸せな自分を自分の手でつかみとる方策の1つなのである。

 

  一方、「最大の生徒指導は授業である」とよく言われる。これは授業をしっかり行う力さえあれば、生徒指導もうまくいくということである。筆者は「授業の名人」を研究することをライフワークとしているが、確かに授業の上手い教師は生徒指導も上手である(本誌2001年3月号の拙稿参照)。したがって、読者の中に日頃から生徒指導に悩んでいる方がいるとすれば、真っ先に取り組

むべきは授業改善であり、その第一歩が教案を書くことだと言える。そして、そこから生まれる内容の濃い授業を提供できるようになれば、生徒に信頼されるようになり、結果として生徒指導も楽になるのである。

 

(2) 生徒のための教案書き

(1)では、教案を書くことの重要性を教師側の利点から述べたが、結果としてそれが「毎時間よい授業をする」ためであるとするならば、もちろんそれは同時に生徒のためでもある。逆に言うと、行き当たりばったりの授業では、その時間に生徒を納得させられる内容を指導できる可能性が低くなり、さらに中・長期的にある一定以上のレベルの授業を安定して提供し続ける確率が低くなると言わざるをえない。そうした授業を繰り返していると、結果的に生徒の英語力を最大限に引き上げる機会を逸してしまい、生徒の英語学習に対する気持ちを離れさせてしまうことも考えられる。筆者が自分自身で実践しつつ、教案を書いて授業をすることの重要性を訴え続けている理由は、まさにそこにある。単位時間の授業で生徒を納得させ、それを長期間維持していくことで、生徒は英語の授業に期待を寄せるようになり、英語学習にも意欲的に取り組むようになるのである。

 

もっとも、読者の中には「教案など書かなくても授業はできる」という方もいらっしゃるかもしれない。また、「忙しくて教案を書いている時間などない」と、やむをえず教案書きをあきらめてしまった方もおられよう。しかし、この原稿を書いている今も、進度の異なる5クラスに対して一日5時間授業をしている筆者が、自分で書いた教案に休み時間ごとに目を通し、教卓の上にそれを置いておくだけで、ある程度自分で納得のいく授業をすることができている事実を再確認すると、改めてすべての教師に教案書きをお勧めしたい。

 

3.教案の書き方・内容

(1) 教案の内容に対する考え方

では、よい授業を行うための教案とはどのようなものであろうか。これは教師個人によってまったく異なると言ってよい。それは、何をどの程度書いておけばその授業の全体像がイメージできるかはその教師によってちがうからである。

 

例えば、筆者は毎年11月に行われる研究協議会で、全国から来られる200名以上の先生方に対して公開授業を行うが、その授業のためには、自分の発言及び予想される生徒の反応を台詞にしてあらかじめすべて書くことが普通である。「普段どおりの授業をお見せする」をキャッチ・フレーズにしているが、お金と時間をかけて来られる先生方に対する誠意として、その1時間は隙のない授業をお見せしたいという気持ちからである。

 

しかし、毎時間の授業でそれをやるのは不可能である。また、そこまでやる必要もない。まして、本稿で筆者が求められているのはそのような公開授業用の教案の書き方ではない。ただ、先述のとおり、授業の全体像を自分がイメージでき、それによって自分の心に余裕が持てる程度に書くことは重要である。そこで、日々の授業を行う上でどの程度の教案を書いたらいいのかということを次のようにまとめてみたい。

 

・授業全体をイメージできる内容とする

・継続可能だと考えるレベルと量にする

・略語を使う部分と詳細に書く部分を分ける(2) 教案の実際

  

では、実際に筆者のノートに書かれている教案を紹介することにする(資料1)。可能であれば、その教案を元に行った授業がどのようなものであったのかを映像でお見せしたいのだが、それは不可能であるので、結果として実行した授業の指導項目一覧(資料2)も併せてご覧いただきたい。資料1は、平成18年5月10日に行った2年生の授業のために書いた教案ノートのコピーである。この授業は、翌週から始まる教育実習を前に、事前指導のために来校した実習生に見せたものである。どうせ見せなら、ついでにビデオに残しておこうと考え、実習生に撮影してもらったので、それを編集して同年の英語授業研究学会全国大会で、ビデオによる授業研究に使っていただいた。資料2はそのときの参考資料である。


資料1 公開授業実施時の指導案ノート

資料2 公開授業実施後の指導項目一覧


この教案は、筆者の授業ノートの典型的記載例である。すなわち、自分が授業をする上で、必要最低限のことが書かれている。つまり、これを見れば筆者は1時間の授業をイメージでき、指導過程をすべて頭に入れてしまえば、教案を見ずとも授業ができる。また、次に何を行うかということがしっかりと頭に入っていれば、活動と活動の間に無駄な時間は一切無くなる。さらに、長年の経験で、ここに書かれていることをすべてやり終えたところで終業のチャイムがなるように、全体の時間配分もできるようになっている。

 

筆者の場合は基本的に一部を除いて授業を英語で進めているが、それを行うために必要なTeacher Talkは長年の経験で書く必要がない。また、Routine Workは項目名のみ示しておけば流れがわかる。したがって、教師の発言や予想される生徒の反応を詳細に書いておくのは、主に新出文型と本文のOral Introductionの部分である。この部分だけは授業毎にまったく異なる部分であるので、あらかじめ入念に検討しておくことになる。これは自分が教育実習を受けていた時代から続いていることである。

 

では、資料1の教案を指導過程に沿ってもう少しく詳しく見てみる。

 

●1. Greetingsから3. Reviewまでは毎時間ほぼ同じことを行っているので、項目名しか書かかれていない。ただ、3の(1)と(2)には具体的な設問が必要であり、これを書いた時点ではそれを決めていなかった。

●4. Listen & Writeは口頭出題の小テストであるので、問題がすべて書かれている。

●5. Oral Introduction(of the New Sentence Structure)は教案作成上最も大切な部分である。ここではまず新出文型を絵と既習事項を使いながら理解させ((1)~(3))、それがどの程度頭の中に残っているかという確認を行う((4))という指導過程を考え、それを進めるための教師の具体的な発言と予想される生徒の反応または生徒に答えさせたい表現が書き込まれている。

●6. Oral introduction of the Textは本文の内容をピクチャーカード(PC)を使いながら導入する部分で、ここでも教師の発言が具体的に書かれており、その後に行う理解確認のための英語によるQ&Aの問題も書かれている。

●7. Readingでは(2)で日本語による理解の確認を入れているが、ここにも生徒に実際に尋ねる質問が書かれている。

 

以上のような教案の書き方及び内容が、現在の筆者の授業を支える必要最低限のものである。

 

もちろん、もっと詳しい教案を書いている教師もいる。例えば、同僚の植野伸子教諭はちょっとした大切なことや、どの問題を誰に指名するかというような細かいことまでメインの指導過程に加えて書き込んでいる。それは植野教諭のきめ細かな実際の指導に現れている。

 

4.教案の有益な使い道

(1) 教案の再利用

英語科の教案は他教科に比べて再利用性が低い。社会科(特に歴史)や理科などとは異なり、同じ教科書会社のものであっても内容の改訂が多く、ましてや教科書会社が変わってしまえば、新出文型の導入部分以外の扱いはまったく新規に考えなくてはならない。筆者の勤務校では、16年間で3つの異なった会社の教科書を使っており、教科書改訂毎に新規に教案を書き直している。ただ、その場合でも、新出文型の導入は以前に行ったものでうまくいったものがあれば、過去のノートを見てそれをそのまま流用することがあるので、一度考えたものがまったく役に立たないということはない。また、言語活動なども以前に行ったものを過去のノートを元にリバイズして行うこともある。さらに言えば、同じ教科書を使っている間に再び同じ学年を教えることがあった場合は、以前のノートをコピーして新しいノートに貼り付け、それを見て授業の準備をするという効率化に役立てている。したがって、教科書の変更や勤務校の移動などがあった場合は、それを機会に一度きちんとした教案を作ってしまうと、次に同じことを教える際に授業準備の省力化ができる。

 

(2) 同僚との共有・来訪者への提供

筆者の勤務校英語科は4人の教師の協力体制がよくとれているので、日頃から互いの実践を披露し合い、よいものは互いの授業にどんどん取り入れている。特に、同一学年を複数で教える場合は、入念な打ち合わせを事前に行って、同一学年における教師間のちがいを極力少なくしている。また、その学年の主担当が率先して授業の案を考えた場合、副担当に教案を見せたり、場合によってはそのコピーを渡したりすることもある。他学年同士でも、「去年はどうやったの?指導案見せて」などという会話がよく交わされる。もちろん、教案を受け取った側も、それをそのままやるわけではない。しかし、授業作りをまったくの「ゼロ」からスタートするより楽であり、かつ自分では気がつかなかった発想が得られたりもするので、大変参考になる。

 

また、勤務校では週に一度くらいの割合で授業視察を受ける。そのような場合は、教案ノートのコピーを参観者に渡すことで、平素からどのような授業を行っているかを理解していただく資料にしている。

 

(『英語教育』2011年4月号、大修館)

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