32. 人の振り見て我が振り直せ

【きっかけ・ねらい】

この話は、家庭の事情で2時間ほど遅く通勤したときに経験したあるできごとをきっかけに話そうと思ったことです。その経験を話すことによって、とかく仲間同士でけんかを起こしやすい年代の生徒達に、自分の言動が相手にどのような影響を与えるのかということを考えさせ、軽率な行動を起こさせないようにしようと考えて話そうと思ったことでした。もっとも、クラス内の人間関係はすでに比較的良好なものができあがりつつあったので、あくまでもさらに強固な予防線を張ろうというものでした。

 

【手順・工夫】

この話をするにあたっては、いきなり一般論から入ったり自分の経験を語っても生徒の聞こうとする気持ちをこちらに向けられるとは思えなかったので、生徒の多くが日頃経験しているであろう事柄を尋ねることから話に引き込み、そこに自分の経験を付け加え、最後は一気に結論へ導こうと計画しました。また、過去の話の中で生徒が食いついてきた話題を意図的に入れ込み、生徒とのやりとりを活発なものにしようと試みました。 

 

なお、今回の話は思いついてから実際に話すまでに1ヶ月近くの時間があったので、予想される生徒の反応を思い浮かべながら細かく原稿を書き、話す日の選択まで十分に検討した上で話をしました。

 

【実際の会話】6/26

T:今日はまずみんなに質問があるんですが、該当する人は手を挙げてもらえますか?

S:(「いったい何だろう?」という顔)

T:この中で電車で通っている人はどのくらいいますか?

S:(数名を除いてほとんどの生徒が一斉に手を挙げる)

A男:みんな電車で来てるんじゃね?

T:なるほど。ほとんどの人が電車なんですね。じゃあ、その中で、毎日ほぼ同じ時刻の電車に乗っている人はどのくらいいますか?

S:(さきほどより数名減った程度で、これもほとんどの生徒が出を挙げる)

B子:(周りを見て驚いて)え~! 私、毎日ちがう~!

T:じゃあ、その中で、ほとんど毎日同じ場所に乗る人はどのくらいいますか?

S:(笑いながら、直前の質問とほぼ同数の生徒が手を挙げる)

T:そうですか。では、今手を挙げてくれた人に聞きますが、その場所にはたいてい同じ人がいませんか?

S:いる、いる~!(ほとんど全員が叫ぶように言って大騒ぎになる)

T:やっぱりね。先生の場合もそうなんですよ。

S:(周りの仲間とまだ騒いでいる)

T:みなさんは、その人たちのことが気になりませんか?

S:気になる~!(これも大騒ぎになり、しばらくざわつく)

T:みんなもそうでしたか。先生も気になるんですよ。

教務主任:(放送で)本日の下校時刻は1時です。まもなく1時になるので、生徒はすぐに下校しなさい。

S:(大爆笑になる)

T:まあ、まあ。せっかくだからもう少し話させてください。先生はね、もう15年もほぼ毎日同じ電車の同じ場所に乗っているんですね。田舎だから、朝でも10分とか15分とかに1本しか電車がないので、1本ちがうと学校に着く時間が全然ちがってしまうからです。面白いことに、先生が乗るところには毎日同じ6人がいるんですよ。一番前の2人が同じ人、2列目の2人も同じ人、3列目の2人も同じ人。

S:(笑いが起こる)

T:でね、たまに普段は全然見かけない人がいたりすると、「なんだこいつは?」みたいに思うんだね。

S:(大爆笑になる)

T:先生はいつもぎりぎりの時間に行くので、いつも3列目の2人なんだけど、となりにいる人はいつも同じ人で、そうするとなんだかただ黙って並んでいるのも不思議な気持ちなんですよね。

S:(何人かがうなずいている)

T:ところがね、今から10年くらい前だったかなあ。となりの人に声をかけられたんですよ。「あの~、上着の襟が変になってますよ」ってね。それであわてて直したんだけど、それで何だかそれまでの緊張感みたいなのが一気に取り払われて、それからは毎朝お互いに「おはようございます」って挨拶するようになったんです。

S:へえ~。

T:もうかれこれ10年くらい毎日挨拶しているかなあ。

S:へえ~。

T:その人は、歳はおそらく50代後半の男性なんだけど、きちんとした背広を着ていて、髪の毛はポマードを付けてバシッとオールバックにしているから、おそらくどこかの会社の重役さんか何かだと思うんだ。たまに、その人がいなかったりすると、「今日はどうしたんだろう…?」って寂しく思ったりして。

S:(ニコニコして聞いている)

T:でもね、そうして挨拶をしていても、お互いにそれ以上の話はしない。だから、お互いにどこの誰かも、どんな仕事をしているかもわからないわけ。それでも毎朝笑顔で挨拶をするのが日課のようになっているんだ。ただね、相手の人には先生が教員だというのがきっとばれていると思うんだ。なぜだと思う?

S:(驚いたような顔に変わる)

C子:教科書を持っていた!

T:いや、そうじゃない。それはね…、7月中旬から8月いっぱい、その時間に先生がその場所に並んでいないからなんだよ。

S:(しばらくの沈黙の後)ああ~!

T:そう、夏休み中はね、先生はそんなに早い時間に学校に来ないから、その時間にその場所にいないでしょ。そして9月1日からまた戻ってくる。だから、きっと相手の人には先生が教員だってばれているんじゃないかなって思っている。

S:(納得したような顔をして聞いている)

T:そんな毎朝を送っているんだけど、先日ね、ちょっと事情があって、2時間くらい遅く学校に来たんだ。そうすると面白いねえ。まず、いつもとはみんなの歩く速さがちがう。

S:(「へっ?」という顔)

T:例えばね。先生は池袋で乗り換えるんだけど、西武線から有楽町線まで歩く人たちの歩く速さが全然ちがうんですよ。朝早い人たちの方が断然速い。だから、遅い時間に出勤すると、歩いているうちに前の人にぶつかりそうになる。

週番教官:(放送で)すでに下校時刻の1時になりました。まだ教室で話をしている生徒がいるようですが、早く下校しなさい。

S:(大爆笑になる)

T:(笑いながら)いやあ、「話をしている『先生』」ですみません。

S:(再び大爆笑が起こる)

D男:先生、大丈夫ですか?

T:まあ、こうなったらもういいよ。最後まで話をさせてください。下校遅刻を取られたら、「うちの担任の先生が長話をしていたんです!」って訴えていいから。

S:(多くが覚悟を決めたような顔。ただ、一部は早く帰りたそうなそぶりを見せる)

T:それから、客層も時間によってちがうものだね。

E子:そうそう、ちがう!

T:いつもの早い時間は男性が8割くらいだけど、2時間も遅いと女性が半分くらいになる。特に、有楽町線の護国寺の階段付近のドアのところは、おそらく講談社に行く人が多いせいか、7~8割が女性なんだ。そうすると、あることが気になる。

F子:痴漢!

S:(笑いが起こる)

T:そう。痴漢対策だ。痴漢対策ったって、まさか先生が痴漢にあうわけじゃないし、もちろん先生が痴漢をするわけじゃないぞ。

G男(旧5組):さわり!

F子(旧5組):さわり!

T:またそこへ行ったな。※「1. 私が嬉しかったこと①(人に認められること)」参照

F子:(ニコニコ笑っている)

T:女性に周りを囲まれて、しかもけっこうギュウギュウに混んでいると、こちらとしても「痴漢に思われない対策」をしなければならない。

S:(何人もの生徒が両腕を上げるジェスチャーをしている)

T:(その生徒達を指して)そう、それ。ただ、先生は右手にかばんを持っているから、左手はつり革を持つようにしている。つり革に手が届かないような場所では、左手をこうやって(実際のポーズをとる)、背広の襟をつかむようにするんだね。こうやって、自分は痴漢をしていないぞってアピールするわけ。前にいる女性には背中に先生の腕が当たっていやな思いをさせるかもしれないけど、その代わりに先生の腕がそこにあるという証拠になるからね。

S:(納得したような顔で聞いている)

T:それで、その日はついでだから、周りにいる男性がみんなどうしているか観察してみた。そうすると、みんな何らかの対策をとっているんだね。

H男:先生、よくそんな余裕がありましたね。

I子:そんなキョロキョロしていたら、痴漢だと思われちゃいますよ。

T:先生は人間観察が好きなんだ。よく電車の中で他の人の行動を観察しているんだよ。

S:へえ~。

T:それで、傑作だったのは四方八方を女性に囲まれて身動きができなくなっていた男性。その人はおそらく手に何も持っていなかったからだと思うんだけど、、こうやって(実際のポーズをとる)両腕を上げていたんだね。

S:(大爆笑が起こる)

T:「オレは痴漢じゃないぞ~!」ってアピールしてた。

S:(大爆笑が起こる)

T:そうやってね。世の中の善良な男性はみんなけっこう苦労しているんだよ。さて、電車が護国寺に着いたときに、みんな一斉に降りたわけだけど、その時は先生の後ろにいた女性が先生の身体にドカンとぶつかって、カバンもボカンともっていかれて、先に出て行ったんだ。さすがにこれには頭にきたね。「このヤロー!テメ~!」って。

S:(緊張感が走る)

C子:私もそういうことある~!

T:だから、先生もカンカンになって、こいつはいったいどこへ行くんだって、改札を出てからも追いかけるように歩いていった。そうしたら、結局は階段の手前のところを右に曲がって、某出版社の入り口の方へ歩いて行った。ただね、追いかけている間に先生の怒りがスーって引いていったんだ。その女の人の行動を見ていたら、自分ももしかしたら普段同じようなことをしているかもしれないって思ったからなんだね。

S:(そろそろ話に飽きてきた様子)

T:先生ってさあ、けっこうせっかちでしょ?歩くのも速いし、みんなにいろいろ細かいことを前もって指示したりするし。

S:(数名がうなずいている)

週番教官:(放送で)まだ校内に残っている生徒はすぐに下校しなさい!

S:(爆笑とともにもう限界ではないかとざわつき始める)

T:わかった、わかった。最後にあることわざを紹介して終わりにするから。その女性の行動を見て、自分ももしかしたら気づかない間に他人に迷惑をかけているかなって。そう思ったら、あることわざが頭の中に思い浮かんだんだ。何だと思う?

J子:(何かまったく関係のないことわざを言ったが覚えていない)

I男:「人のふり見て…」(かすかな声で後半が聞き取れない)

T:I男くん、何て言った?

I男:「人のふり見て我が振り直せ」

T:そのとおり!そのことわざが頭に浮かんだときに、この話をみんなにしようと思ったんだ。

K子:なんだ、私が考えていたのと全然ちがってた…。

T:(結論を急ぐことにする)みんなもね、瞬間的に頭にきたことがあったときは、そこですぐに怒らずに、少し時間を置くようにしてみるといいよ。そうすると、自分も同じようなことを他人にしているかもしれないとか、その他のきっかけで怒りが収まるかもしれないからね。けっして、その場で怒りを爆発させないこと。そうじゃないと、後で後悔することになるかもしれないからね。

S:(「とりあえずわかりました」という表情)

T:というわけで、先生が言いたかったのは最後の部分です。それまでの痴漢の話はみんなに話をちゃんと聞いてもらうためのものであって、メインではないからね。そっちは覚えていなくてけっこうです。

S:(笑いが起こる)

T:では、時間を大幅にオーバーしてしまってすみませんでした。すでに下校時刻をだいぶ過ぎていますから、終わり次第急いで帰ってください。掃除も今日はしなくていいことになっていますから、当番の人も帰って結構です。

清掃当番:やった~!

T:では、今日はこれでおしまい。週番お願いします。

週番:静座! 起立! さようなら!

S:(大きな声で)さようなら!

T:さようなら~!急いで帰れ~!

 

【こぼれ話】

今回の話の最大の収穫は、これまでで最も生徒とのやりとりが活発にできたことでした。ようやく自分の思い描く生徒の姿になったと胸をなでおろしました。一方、話の準備を十分にしてあったとはいえ、その構成が生徒を引き込むことを優先したものであったので、肝心な伝えたい部分のところが計画段階から薄くなってしまい、時間の都合もあってそれを十分に伝えきれなかったという反省があります。

 

なお、話をした当日(土曜日)は教員免許講習会を本校で実施するという特別な日で、その後に予定されていた研究協議の時間が迫っており、生徒を早く下校させなければならないという事情がありました。そのような時間的に余裕のないことが見込まれるこの日にあえて話をすることにしたのは、前週は前期中間考査があったために生徒の心に余裕がなかったこと、今週は週の前半にテスト返しが続いて生徒の心が浮つくことが予想されたこと、前日まで学芸発表会にクラスとして参加するかを決めるために毎日のように終礼が40分近く学級自治会に割かれていて、その後に自分の話を聞いてもらえる精神的な余裕は生徒にはないと考えていたこと、そして翌週からはさらに行事に向けての動きが活発化し、じっくりと話ができる日は限られており、生徒の精神的な状態としてはこの日がベストであろうと見込んだからでした。ただ、やはり途中で下校を促す放送が何度も入ったりして、最後はネジを巻かざるをえず、大切な結論の部分を中心に最後までじっくりと会話を交わすことができなかったのが残念でした。

 

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