29. 先生は欲求不満?

【きっかけ・ねらい】

この話は特に教育的なねらいがあってしたものではなく、教育実習が始まって数日が経ち、授業と終礼(帰りの会)を実習生に受け持たせていたために自分の出るチャンスが無くなってしまっていたので、自分の存在感を示したくて話したものでした。

 

きっかけは、翌週に行われる予定の校外学習(学年一斉に行う実地学習で、2年生は理科の地学実習のために埼玉県長瀞町にバスで出かけます)のために、この日のHRHは2時間ともその事前学習にあてられ、そこで配られた資料の中に養蚕農家の写真が載った新聞記事があったのですが、この時間ではその記事のことはふれられなかったからでした、そこで、その写真に写っている農家の屋根のある部分(それが何かは本文参照)について話題にすることで、生徒の関心を引こうとしてこの話をすることにしました。

 

【手順・工夫】

まず第一に、他教科の領域に踏み込んだ話をすることになる上に、この後に実習生が授業でその話をする可能性もあったので、事前に指導教員(II先生)と実習生に自分が話そうとしている内容の許可をとりました。また、その日は前日に学校の近隣で起こった傷害事件のために生徒を終礼後すぐに帰宅させることになっていたので、できるだけ短い時間(5分以内)で終えられるようにしようと思いました。なお、話し始めの工夫としては、専門外の自分がなぜその話をするのかというところから、生徒とやりとりをしながら進めていくことにしました。

 

なお、時間に制約があったことと話の構成をよく考えなかったために、結果的には2回に分けて話をすることになってしまいました。さらに、その数日後にあった実習生の話から、当初は予定してなかった3回目の話まですることになりました。

 

【実際の会話①】5/21

T:(枯れそうな鉢植えを持って)去年の「530 Day」(ゴミ・ゼロ・デー。大掃除の日)に各クラスに配られたこのサボテンですが、うちのクラスのは水をきちんとやらなかったこともあってほとんど枯れかけています。かろうじて生きているというところでしょうか。

S:(急に生徒がざわつき始める)

T:えっ?何?

A子:関谷先生が古くなった葉は取った方がいいと言っていたので取ったんです。

T:まあ、それはそうなんだろうけど、ここ(土の部分)を触るとカラカラに乾いているから、このままにしておくと完全に枯れちゃうよね。といって、水をやると下から水が漏れてくるからなかなか水をやれない。なので、先生が缶のふたをこうやって受け皿にしたので、誰か…、やっぱり環境整備係かな…、水をやってください。ただ、あんまりやると根腐れしてしまうかもしれないので適当にね。(鉢を窓際のストーンテーブルに置く)

S:(みんながその行方を見ている)

T:さて、次に先生からみんなにお願いがあるんだけど、聞いてもらえますか?

S:(一応の関心は示している)

T:実はねえ…。先生は、今、すごく欲求不満なんです。

S:(「いったい何のこと?」と驚いた表情になる)

T:あっ!別にみんなのことが気に入らなくて欲求不満になっているとかいうわけではありません。なんでかというと、教育実習生に授業を任せているでしょう?そうすると自分は何もみんなに話ができないじゃないですか。それでね、もう話したくて話したくてしょうがないんですよ。

S:(多くがニコニコしているが、反応に困っている者もいる)

T:というわけで、これから授業をします!

S:ええ~!(全員大合唱のすごい声)

B子:せっかく今日は早く帰れるのに~。

C男:先生が早く帰れって言ったんですよ!

T:いいの!そんなに長くするつもりはないから、やるの!

S:ええ~!(再び大合唱)

T:で、授業は英語ではありません。みなさん、今日受け取った校外学習のフィールドノートを出してください。

S:ええ~!(その後、しぶしぶかばんの中や机の中からフィールドノートを出す)

D男:(手を挙げて)先生、ロッカーから取ってきていいですか?

S:(大爆笑になる。これは英語の授業で同様の状況があると、Excuse me, Mr. Koinuma.  My textbook is in the locker. Can I go to the locker? と言わされていることを連想したためと思われる)

T:そこまでしなくていいよ。それほど重要なことじゃないから、となりの人に見せてもらって。

D男:(遠慮がちにうなずいている)

T:では、ページをめくって、先程印をつけた地図のところを出してください。

S:(地図のページを開く)

T:さっき赤く塗った部分に関越高速がありますよね。その中の最初のインターチェンジはどこですか?

E男:練馬ジャンクション。

T:ああ、それは基点だね。それじゃなくて、最初のインターチェンジ。

F男:所沢。

T:そう、所沢インターチェンジ。見つかった?

G子:えっ?どこ?

T:高速をたどっていくと、最初に白丸のあるところ。

G子:あっ、あった!

T:みんなも見つかった?所沢は先生が生まれた街で、35年間住んだところ。だからということもあって、去年の校外活動ではみんなは所沢の航空公園に行きました。

S:(がやがやと探している)

T:次に、その斜め左上に「狭山市」っていうところがあるでしょ?ここが先生が今住んでいるところね。

H子:あった!

T:それから、その右上に「川越市」っていうろころがあるでしょ?ここは先生が高校時代に3年間通った埼玉県立川越高校っていう男子校がある街です。見つかった?

I男:ありました。

T:それから、その川越市からちょうど関越をはさんだ反対側…、左側…、西側にね、「毛呂山町」っていうところがあるんだけどわかる?「毛」に風呂の「呂」、それに「山」と書いて「もろやま」。

J子:えっ?どこ、どこ?

T:「飯能市」って大きく書いてあるところのすぐ上。

J子:あった!

T:ここはね、先生が教員になって初めて勤めた埼玉県立毛呂山高校があった場所なんです。

K男:へえ、すげ~。(何のことか不明)

T:それでね、なんでこんな話をしているかというと、みんなが校外学習に出かける途中で通る辺りは、先生のテリトリーというわけなんです。それに長瀞も含めて、ほとんどこの辺り一帯は、先生が昔ある乗り物でよく走り回ったところなのでよく知っている。

S:(そろそろ聞き飽きてきたという感じ)

T:そこで、先生から問題です。これはフィールドノートでは飛ばされてしまっているところを補うものです。外環道の最後のインターチェンジである和光あたりから所沢までは、それまでの首都高や所沢から先の関越と比べると、周りの景色がちがいます。どうちがうかを実際に通ったら確認してみてください。そして、それはどうしてかを考えてみてください。

L子:(どうやら答えがわかったらしく、となりの男子にジェスチャーで示している)

T:それから、もう1枚、こちらの写真の入っているプリントを見てもらえませんか?

S:(プリントを出す)

T:みんなは、ここに写っている養蚕農家の屋根の上に付いている窓みたいな部分の名前を知っていますか?

S:(写真を見ているが、反応無し)

T:記事を見てもそれにはふれられていないので、これを書いた記者も知ならいんだろうなあ。これね、よく知られていることばと同じ名前なんだけど…、実習生の先生は知っていますか?あっ、知っていても言わないでください。

実習生:(首を振って)知りません。

T:そうですか…。答えを聞くとね、「へえ、そうだったんだ…」って言うと思うんだけどね。

実習生:(恥ずかしそうにしている)

T:今日は時間がないのでこれで終わりにしますが、校外学習の日に実習生の人がガイドしてくれるし、AA先生(理科)が5組のバスに乗ってくださるので…

M男:えっ?そうなんですか?

T:そうだよ。AA先生からもしかしたら話があるかもしれないけど、どちらからも話がなかったら、先生が出しゃばって話をするかもしれないことを承知しておいてください。

S:(「ああ、そうですか」という冷静な表情)

T:では、今日はこれでおしまいにします。

 

【こぼれ話】

実習生がある程度の長さの話をした直後であったので、じっくり生徒の反応を楽しみながら話をすることができず、かつ早く話し終えようと急いだので、自分が直前までイメージしていたような話ができませんでした。しかも、一番肝心なことを話し忘れてしまいました(それを話すことが目的であったのに)。そこで、翌日にその部分だけを取り上げて再度話をすることにしました。

 

なお、上記の話の中にある所沢近辺の特徴とは以下のことです。

・この辺りは武蔵野台地の東端にあたり、そのためにこの辺りだけ高速道路が地面を掘 り下げて造られている(東西に走っているJR武蔵野線についても同様)。

・所沢付近は台地であるため水の便が悪く、水田が全く無い。したがって、高速沿いに 見える農地もすべて畑であるが、川越まで行くと入間川があるので水田が見える。

 

【実際の会話②】5/22

T:以前に、数学のSS先生にほめられてちょっといい気分になったという話をしたことがありましたが、覚えていますか?

S:(ほとんど反応無し)

T:やはり、ほめられるというのはいいことですね。実は、昨日の学年会で…、担任団の先生が集まって、誰がどうしたとか、どの組がどんな雰囲気だとか報告し合うんだけど…、今回はOO先生から「5組はとてもいいですよ」とほめていただきました。

S:(あまり話に乗ってこない)

T:元はと言えば、某Hくんの発言にOO先生が感動して涙を浮かべられたということがあったそうなんだけど…

A男(某Hくん):(苦笑いをしている)

T:先生が嬉しかったのは、そのA男くんだけでなく、みんなが積極的に手を挙げて自分の意見をたくさん発表したということを聞いたことです。

S:(ようやく数名がニコニコしている)

T:ぜひ、これからも各教科で積極的に発言してもらいたいと思います。

S:(何の工夫もないほめことばだったので、ほとんど反応無し)

T:ところで、昨日の養蚕農家の話なんだけど…、(プリントを見せる)この家の屋根のところに出っ張っている窓みたいな部分の名前は誰かわかりましたか?

S:(数名がプリントを取り出すが、全体としては関心がなさそう)

B男:(記事を読んでいる)

T:B男くん、この窓みたいな部分は何のためにあるかというようなことは書いてありますか?

B男:え~と…、(しばらく読んで)湿気対策。

T:そうなんですね。養蚕農家っていうのは…、養蚕って何を飼っているの?

S:カイコ。

T:そのとおり。カイコだね。それで家の…、たいていは2階なんだけど…、いっぱいカイコを飼っていると、すごい熱がたまって、湿気もたまって、それから臭いもひどくなるから、こうして(切妻屋根の家の正面から見た姿を描き、屋根に出っ張った小窓を描く)窓のような空気抜きを屋根に作るんだね。中にはこうやって(屋根の頂上にもう1つ出っ張った小窓を描く)てっぺんに載せるというのもあります。

S:(一応関心を示している)

T:そこで問題です。この出っ張り窓のような部分を何というか知っている人はいますか?

S:(反応無し)

T:そうですか。でも、おそらくその名前を教えてあげると、聞いたことがあるという人がいると思うんだけど…(黒板に「卯建」と書く)これがその名前なんだけど、なんて読むでしょうか?

S:(しばらく沈黙)

C男:「うけん」

T:えっ?「うけん」? 残念、ちがうなあ。

S:(他にも小声で何か言っている者がいるが聞き取れない)

T:これはね、こう読むんですよ。(漢字の下に「うだつ」と書く)

D子:うだつ?

T:そう。このことばを聞いて、このことばが入ったもう少し長い表現が思い浮かんだ人はいませんか?

E男:「うだつが上がらない」

T:おっ!今言ったの誰?

F子:E男くんです。

T:E男くん。このことばを聞いたことがあるんだね?

E男:(うなずいている)

T:他に聞いたことがある人はいませんか?

S:(反応無し)

T:E男くんはこのことばの意味も知っていますか?

E男:知りません。

T:そうかあ。じゃあ、みんなに説明します。「うだつが上がらない」というのは、ふつう男の人に対して使う表現なんだけど、「甲斐性がない」という意味です。

S:「かいしょう」?

T:「甲斐性」っていうのは、家族を養うためのお金があるとか、仕事がよくできるとか、そういうことね。だから、「甲斐性がない」っていうのは…、「うだつが上がらない」っていうのは、そういう経済力がないとか能力がないっていうことです。

S:(真剣に聞いてはいるが、関心はあまりなさそう)

T:じゃあ、どうしてそういう言い方をするようになったかを説明します。(切妻屋根の家を横から見た絵を描き、梁の上に棟を支える柱を何本か描く)このね、屋根を支える縦の柱のことをもともと「卯建」と言うんですけど、今ではそれが屋根の上に一段高く小窓のように出っ張っている部分のことを指すようになったんです。

S:(真剣に聞いている)

T:それでね。卯建のある家というのは…、あの写真の家もそうだけど、とても立派な家が多いんですよ。立派な家を建てられる人といえばどういう人?

S:お金持ち。

T:そう、お金持ち。だからね、卯建があるような家を建てられない人はお金がない人ですよね。卯建を屋根に載せられない、卯建を上げられない、卯建が上がらない、ということで、そういう経済力がないとか、あまり仕事の能力がないとかいう男の人に対して、「あいつは『卯建の上がらない』やつだ」っていう言い方をするんです。

S:(「へえ…」という顔をしている)

T:よく聞くことばだと思ったんだけど、本当に聞いたことない?

S:(多くが首を振る)

T:で、こういう家は、花園インターを出てちょっとすると見えてくるから、そうしたら見てみてください。では、今日の話はこれでおしまい。

 

【こぼれ話②】

今日も直前に実習生が話をした後だったので、「もう1つあるのか…」という空気が漂っており、全体として生徒との一体感のある会話を楽しむことができませんでした。前日の経験からそれは予想していたことですが、どうしても前日の話を校外学習前に完結しておきたいという思いがあり、予定していた話をすべて終えることにしました。  

 

ところが、今回の話はこれで終了するつもりであったところ、翌週の実習生の話を受けて第3回が登場してしまいました。

 

【実際の会話③】5/25

実習生:みんな、肥沼先生の地元はどこ?

S:所沢!

実習生:そうだよね。でも、先生は所沢というと、これをイメージします。(「となりの トトロ」のトトロをかたどった折り紙を出す。以降、アニメにも登場するくすの木の 葉の実物を示し、くすの木の葉にまつわる面白い話をして生徒の関心を引く)

 

T:え~、みんな、実習生の先生がなぜ所沢の話からトトロの話をもってきたかわかる? 先生、あれはトトロの舞台が所沢だっていうことを先生が知っているからですよね?

実習生:はい、そうでした!

T:実はね、トトロの話は所沢が舞台なんですよ。だからね、あの話の中には所沢の実在する地名がいっぱい出てくるんです。

A男:例えばどこですか?

T:例えばね、お母さんが入院していた病院は七国山病院というんだけど、知ってる?

B子:(嬉しそうにうなずいている)

T:あれはね、所沢と東京都の境目に八国山というのが実際にあって、昔ね、その南側の東村山に結核病院(注:清瀬市にある現東京病院という説もある)があったんですよ。だからね、お母さんは結核で入院しているということがわかるんです。

B子:へえ、そうなんだ~。

T:他にもね、言い出したらきりがないくらい実在の地名が出てくるんです。なんでかというと、宮崎駿は所沢の出身で、彼の実家が所沢にあるからなんです。映画の中にも「松郷」という地名が出てくるんだけど、彼の実家はその隣の町にあって、先生の実家のすぐ近くなんだよ。

S:へえ~。

T:さて、今日先生が話したことは、実は校外学習につながっているんだな、これが。

S:(「えっ?」という驚いた顔をする)

T:さあ、それがどういうことかは、当日所沢近辺を通ったときに話をしましょう。

 

【こぼれ話③】

終礼後に実習生(栃木県出身)に「となりのトトロ」と所沢の関係をよく知っていたいう話を持ちかけたところ、「結構有名な話で、知っている人は多いと思います」とのことでした。地元民にしか知られていないことかと思っていただけに、嬉しく思いました。なお、スペースが余っているので、同アニメと所沢の関係に関するその他のことも記しておきます(どうでもいいオタクな知識です…)。

・先述のとおり、所沢は水の便が悪く水田がないはずであるが、同アニメの中では水田やそれを潤すためのため池が描かれている(物語の都合上そうされたと思われる)。

・行方不明になった妹(メイ)を探す姉(サツキ)がネコバスに乗るとき、ネコバスの行き先表示に所沢の実際の地名(例えば「牛沼」)が出てくる。

・「となりのトトロ」は原案段階では「所沢のとなりのおばけ」というタイトルであったが、映画のタイトルとしてふさわしくないので変えられた。

・映画に七国山として登場する八国山付近は現在「トトロの森」として自然保護運動の象徴的場所となり、開発が進まないようにその区域一帯を「緑のトラスト運動」の対象として買い取る運動が進められている。

 

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