22. 足りないのは「やさしさ」

【きっかけ・ねらい:状況1】

この話の主なねらいは、その日の生徒たちの態度がどれほどひどいものであったかを認識させることと、残り1週間余りしかない1年生としての生活を落ち着いて過ごさせるための心構えを持たせることでした。

 

昼食時に教室に行くと異様なくらい騒がしく、放送を聞いていない生徒が多くいました。そこで、「うるさい!静かにしろ!」と中くらいの声でどなったところ、多くの生徒は静かになりましたが、一部の生徒は話し続け、再び騒がしくなってしまいました。

すると、正統派の男子生徒2人(学級委員でも学級週番でもない)が「静かに!」と何度か大きな声で注意を始めました。しかし、その度に一時的には静かになったものの、その静けさも長続きせず、結局は元のように騒がしくなってしまいました。

 

この状況は終礼中にも尾を引いていました。さらに悪いことには、1年生の他のクラスの生徒が生徒会活動の連絡をしに来たときにもおしゃべりが多く、あげくのはてにはその生徒の話し方を馬鹿にするような場面さえありました。反省コーナーでは正統派の生徒からそのような状況を危惧する内容が出されましたが、多くの生徒は耳を傾けようとしていないように見えました。このような状況に対して、私は機嫌の悪い顔をして前に立っていました。ところが、いつもならそのような私の態度を察知して静かになるはずが、この日は効果がありませんでした。そこで、これはきちんとしからなければならないと心に決めて、この日の話をしようと思いました。

 

なお、これは後でわかったことなのですが、同様の状況は1年生の他のクラスでも見られたとのことでした。おそらくそれは、学年末考査が終わって1週間が経ち、テストもすべて返されて、残るは修業式(本校では学年末は「終業式」と書きません)までの時間つぶしという意識が生徒の中にあったためでしょう。

 

【手順・工夫】

話す方法としては、とりあえず以下の2点だけが頭の中で固まっていましたが、興奮していた(怒っていた)ために細かい手順までは考えることができず、話ながら調整していくことにしました。もちろん、ことば使いも少し語気の強いものにしました。

① 落ち着いて話を聞かせるために、全員を黙想させること

② 以前の学級自治会で話題になったクラスの改善すべき点に共通する心の状況について自分の考えを述べること

 

なお、今回は結果的に一方的にしかる内容であったので、生徒との会話という形にはなっていません。

 

【実際の話】3/8

T:まずは、全員目を閉じなさい。

S:(全員が目を閉じたが、何人かが机の上に伏せている)

T:誰が伏せなさいと言った?顔を上げて、目を閉じたままで私の話を聞きなさい。

S:(全員が背筋を伸ばす)

T:先程の反省で、「今日の○○先生の授業は特にうるさかった」というのがあったけど、そんなことは聞くまでもなく、今日の終礼全体の様子を見ていただけで察しがついた。「一事が万事」ということばがあるが、そのとおりだと思うからだ。

A子:(1人だけ目を開けているが、こちらを黙って見ているので見逃すことにした)

T:今日の君たちはいったいどうしてしまったんだ?お昼に来てみればワイワイ騒いでいて放送を全く聞いていない。終礼でも誰かが話しているときに勝手に大きな声でおしゃべりしている者がいる。仲間の注意も聞かない。いったい、TくんとNくんが何回「静かに!」と声をかけたか知っているか?その上、他のクラスの人がせっかく委員として話しに来ているのに、それに対してケラケラ笑っているヤツもいた。まったく失礼だ!きっと、いやな気持ちになって帰って行ったにちがいない。

S:(ほとんどの生徒はまずかったという顔をしているが、おしゃべりの中心者であった生徒は何となく反省している雰囲気がない)

T:(手帳にはさんであった学級自治会の資料を取り出す)以前、学級自治会でこのクラスの改善すべき点がいくつかあげられたけど、その中で多くの人が感じていた事を覚えているか?ここにその時の資料があるから読むぞ。このクラスの悪い点として多くの人があげているのは「うるさい」「切り替えが遅い」「集合が遅い」「少し消極的」「けじめが足りない」の5つだった。その時に、この5つの現象にはある共通した心理があるのではないかと思い、それが何かをみんなに尋ねた。しかし、その時はその答えをわざと言わなかった。それはどうしてかというと、みんなに気づいてほしかったからだ。その後、話し合いがあって、いろいろなことが決まり、少しはよくなったかに見えた。だが、今日のこの実態を見ると、ちっともそれがわかっていないように思える。だから、今日はその共通の心理として私が考えていることを話すことにする。

S:(話し始めるまでに間があったので、かなり緊張している様子)

T:それは何かというと、まず第一に、「周りの人への配慮の心が欠けている」ということだ。だから、授業中に一生懸命みんなに教えてくれている先生の話が聞けない。仲間が終礼で連絡をしていても平気で関係ないことを大声で話してしまう。周りの人への配慮ができるなら、せめて小声で話すくらいのことはするはずだが、それもできない。だから、相手の気持ちも考えずに思ったことをズバズバ言ってしまう者も多い。次に「配慮ができない」というのは、「思いやりの心」が欠けているからだ。

S:(この指摘は痛かったようで、何人かが顔をしかめている)

T:他の人を思いやる気持ちがあれば、他の人がいやだと思うことはやらないように心 にブレーキがかかるはずだが、そのブレーキが効かない。そして、「思いやりの心がない」というのは、すなわち「やさしさに欠けている」ということだ。

S:(次の発言まで間がかなりあったので、さらに不安が増している顔をしている)

T:(しばらく考えて)では、「やさしさ」とは何かというと、ちょうど今話したことが逆の順番で態度に出るように自分の心を調整することだと思う。他の人を思いやり、話をしている人がいればその人の身になって考え、その人に協力しようとすること、そしてどうしても何かしなければならないのだったら、周りに遠慮して行動するくらいの配慮をしようとする心をもつことだ。大声で話をしてしまうなんていうのは、まさにその底にある「やさしさ」が欠けていることに他ならない。

S:(そろそろ飽きてきているような表情が散見される)

T:いいかい。先生はこれまで少しずつではあるが、みんなにそういう心を持ってもらえるように指導してきたつもりだ。でも、まだまだ十分ではないということがわかった。このままの状態で、あと1週間で、みんなを手放すわけにはいかない。このままの状態でみんなを2年生に、新しく入ってくる1年生の先輩にはできない。みんなにもっと心の底から周りの人のことを、仲間のことを思いやる、やさしい心をもった人に成長してもらえるように指導しなければならないと思っている。そして、みんなにも今日の話をかみしめてもらって、心を改めてもらいたい。私の言いたいことは以上だ。では、目を開けなさい。

S:(全員が目を開ける。中には目をショボショボさせている者もいる)

T:今日はこの後にワックスがけのための事前掃除がある。実は手伝ってもらおうと思う人をあらかじめ決めておいたんだが(朝の学級週番の集合に遅刻した男子2名を指名しようと考えていた)、それはもうやめた。それよりも、君たちの良心にかけることにする。私はたとえ1人でもやるつもりでいるから、手伝ってくれる人がいるなら手伝ってほしい。以上で、今日の話はおしまい。

 

【こぼれ話】

終礼後、気まずい雰囲気を残しながら掃除に入りました。誰も手伝ってくれないことも覚悟の上で(いや、実際にはボランティアが出ることにある程度自信がありました)、1人で上着を脱いで雑巾掛けを始めました。すると間もなくして、T子(事前のボランティア募集で唯一手伝いを申し出ていた女子生徒)が「先生、何かお手伝いをすることはありませんか?」と来てくれました。そこでクレンザーと雑巾を渡して、一緒に作業をしてもらうよう頼みました。2人で床磨きをしていると、N男(よくいたずらをしてしかられる男子)とM男(おとなしくて真面目な男子)が「先生、ぼくたちも手伝います」とニコニコとしながら来てくれました。やがて、さらに1人、2人と手伝いを申し出る生徒が増えていき、「4時の部活の会合までなら手伝えます」と言ってきた女子生徒を含めて10名ほどでの作業となりました。

 

こういうときの清掃指導は楽です。みんな一生懸命働いてくれます。床がとてもきれいになったところで掃除当番に残りの作業を譲り、「床磨き隊」は解散しました。最初に手伝ってくれた3人には、「明日のワックス塗りは君たちにやってもらおう」と言うと、3人とも「ヤッター!」と喜んでいました。他のクラスでもそうだったそうですが、ワックス塗りは生徒がやりたがる作業のようで人気があり、その特権を3人に与えました。

 

翌日の授業は、特に英語の授業は真剣に受けていました。ただし、一部の授業では、先生から「昨日、担任の先生にしかられたはずだが、あまり改善されていない」と注意を受けたことが終礼で反省として出されました。

 

翌々日は、昼休みにクラス全員で中庭でバレーボールをしており、クラス・マニフェストの1つとして上げられていたことを実現していました。もちろん、担任である私も参加しました。

 

【きっかけ・ねらい:状況2】

4日後の3/12(金)は再び昼食時から生徒が騒いでいました。この日は1・2時間目のHRH(ホームルームアワー:特別活動と道徳を合わせた本校独自の時間)で学年レク(スポーツ大会)があり、生徒の気持ちが高揚していたことを理解できないわけではありませんでしたが、それにしても月曜日に注意したことがまったく生きていないことに腹を立てずにはおれませんでした。

 

最初に「静かにしなさい!」と注意したところ、一端は収まったものの、すぐにまた騒がしくなりました。次に、大きな声でおしゃべりをしているA男を名指しで注意しました。その語気でまた静かになりましたが、しばらくするとまた騒がしくなりました。4日前と同じく、騒がしさを気にしていた2人の男子が「静かに!」と大きな声で言っているにもかかわらず、大声で話している者が散見されました。その状況に対してついに堪忍袋の緒が切れました。「うるせ~!静かにしろっ!何度言ったらわかるんだっ!」と今年一番の大声でどなりました。さすがにこれには全員が驚いたようで、以降は全く静かになりました。しかし、私の気持ちは収まらず、「昼休みのバレーボール(クラスマニフェストで「全員でバレーボールをする」という目標が掲げられており、この日はそれが予定されていた)は禁止だ!そんなことをヘラヘラやっている場合じゃない!もっとしっかりすべきことをきちんとやれっ!」と再びどなりました。そして、無言のまま素早く音を立てるように弁当を食べ、無言で教室から出て行きました。

 

しかし、この後の対応には苦慮しました。直後の5時間目は自分の最後の英語の授業であったからです。いつも明るく元気にふるまって楽しい雰囲気を作ることによって成り立っていた授業にどのような態度で臨んだらいいか迷っていました。英語科準備室に戻った当初は怒りが収まらなかったのですが、時間と共に興奮は収まってきました。しかし、少し前に相当な迫力でしかった都合上、明るく元気に授業を始めるわけにはいきません。英語係が来て、彼女たちは何事もなかったかのように明るく話しかけてくるので、とりあえずそれには普通に応じましたが、教室に入る瞬間には顔を変える必要がありました。そして、事態を収拾してから授業を始めなければなりませんでした。

 

【実際の話】3/12<英語の授業で>

S:(全員が静かに着席して待っている)

T:(咳払いをして)みんな、どうしてくれるんだ?今日は最後の授業だから、明るく、元気に、楽しく授業をしようと思っていたのに。あんなことがあったら、そういう気になれないじゃないか。

S:(さすがにみんなすまなそうな顔をしている)

T:もしかしたら、君たちの中には「先生が突然切れた」なんて他のクラスの生徒にすでに話した人がいるかもしれないが、もしそう考えたんだったら大きなまちがいだ。私は突然切れたのか?その前に私が2度注意したのに、おそらくおしゃべりをしていた張本人たちはそれに気づいていなかったんだろう?いや、気づいていたのにもかかわらず、それを重大なことと考えず、結果的にあのような事態を引き起こした責任が自分にあることを認めず、それを他人、つまり私のせいにしようとしたんじゃないか?

S:(何人かが下を向いている)

T:先生は2度注意した。以前ならそれで収まったはずなのに、今日は君たちにその気がなかった。だから、あそこまで事態が悪くなったんだ。

S:(みんなこちらを向いている)

T:さて…。授業をどうしようか?このままの気分では、とてもではないが授業はできない。昼休みの間は私はずっと頭に来ていた。授業をすっぽかしてやろうかとも思った。だが、プロの教師としてそういう無責任なことはできない。だから、とりあえず教室には来た。後は君たち次第だ。さきほどのことを悔い改め、この時間を真剣に取り組む気があるのなら、いつものように授業をしよう。そうでないのなら、だまって プリントを配るから、みんなが勝手に読んでそれをやればいい。どうする?ちゃんと やるか?

S:(数名が「はい」と言う)

T:最後の1時間、しっかりやるんだな?

S:(全員が「はいっ!」と言う)

T:じゃあ、先生も気持ちを切り替えよう。最後の1時間をみんなと有意義な時間にしようと思う。

S:(ようやくホッとしたような顔になった)

T:では、週番、いつものように挨拶をしよう。

 

【こぼれ話】

さすがに昼休みに激怒し、ここでも再度言い聞かせたので、最後の授業でもあった本時はとても落ち着いていて、しかも声もよく出ていました。また、授業の最後には英語係3人が前に出てきて、お礼の挨拶をしてくれました。お互いに何となく気恥ずかしさがありましたが、拍手と笑顔で授業を終えることができてホッとしました。さらに、これは終礼時にわかったことですが、次の6限の授業(理科)もしっかりと受け、新井先生に褒められたそうです。

 

ただ、このような収束の仕方がよかったのかは自分でもわかりません。生徒はおそらく私が気を静めることを予期していたと思うので、ここはその期待を裏切って、最後まで本気で怒っている姿で通したほうが生徒のためになったのではないかという思いもあります。しかし、学年末の最後の授業日であったことが私にそれをさせてくれませんでした。

 

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