授業を成立させる最も重要なこと

「英語科指導の重要ポイント」の最終回(第20回)は、「授業を成立させる最も重要なこと」というタイトルのとおり、筆者の37年間にわたる教員生活でたどり着いた、英語科指導における“究極”の重要ポイントです。そして、それは第5回「英語を学ぶ意義の指導」の最後に「学校で英語教育を行う意義は何か?」とみなさんに問いかけたことへの回答でもあります。 

 

1. 授業中に見える重要ポイント

結論をお話しする前に、話のきっかけとしてある大学生が筆者の公開授業を見て書いたレポートの一部を紹介します。3ページにわたるレポートの最終ページに書いてあったものです。 

 

 

なんて言うこともない、のんびりとした場面を描写しているようですが、実は筆者が件の公開授業をとおして参観者の方々にお伝えしたいと思っていた場面を見事に切り取ってくれています。この学生が取り上げてくれている指導中の「ああ~。おお〜。」という場面と「終礼」の場面について少し細かくお話しします。

 

(1)「ああ~。おお〜。」の場面

これは意図したことではなく突発的なアクシデントから起こった現象です。前時に導入した新文型(-er, -est の比較級・最上級)の復習を行う中で本時の導入(more, most の比較級・最上級)へつなげるために、前時に使った5つのボール(バスケット、バレー、サッカー、ソフト、野球)の実物大シルエットを使おうとしたところ、シルエットに仕込んであった磁石が公開授業の会場であった講堂のホワイトボードに付かない、さらに補助の棒状磁石でも付かないという事態が発生しました(前時は教室の黒板だったので仕込んだ磁石だけで大丈夫でした)。その一連の様子を見ていた生徒が、なかなか付かない様子にいちいち「ああ~」と反応し、付きそうになると「おお~」と反応していたというものです。この約1分20秒くらいの場面を件の学生が細かく取り上げてくれました。 

 

と、ことばで書いてもイメージがわかないかもしれませんので、その実際の場面をYouTube限定公開映像でご覧ください。以下のリンクでご覧いただけます。

 

「ああ~。おお~。」の場面-生徒とともに授業を作る-

(平成26年度研究協議会2年生公開授業より)約1分40秒 

※YouTube限定公開(検索しても出てきません)

 

(2) 終礼の場面

公開授業の後に終礼(帰りの会)まで参加者に見ていただくというのはあまりないことだと思います。筆者も過去に100人以上の先生の公開授業を見ていますが、終礼まで見せていただいたことはありません。たいていは授業が終了すれば生徒を即下校させるか、参観者は別室に移って研究協議が始まるまで待っているというやり方でしょう。

 

では、なぜこのときに終礼を参観者の方々に見ていただいたのでしょうか。それは筆者の授業はその終礼での生徒同士や教師と生徒のやりとりがあって実現できているということを感じ取っていただきたかったからです。生徒は約200人の参観者に三方を囲まれていながらもまったく臆せず、普段と同じように自由にことばを交わしています。筆者の英語の授業は生徒のそのような状態があって初めて可能になっているということをお伝えしたかったというわけです。

 

それを肌で感じていただくために、(1)と同様にその場面をYouTube限定公開映像でご覧ください。以下のリンクでご覧いただけます。

 

公開授業後の「終礼」の場面-英語の授業を支える大切な言語活動の機会-

(平成26年度研究協議会2年生公開授業より)約4分50秒 

※YouTube限定公開(検索しても出てきません)

※生徒及び参観者の個人情報保護の観点から筆者以外の人の顔にはモザイクが入れてあります。また、生徒の氏名に関わる音声を消した関係で一部音声が聞きにくくなっています。

 

2つの映像をご覧になって、みなさんは何をお感じになったでしょうか。本項目の最後に、先程の大学生のレポートの続きと当日参観された先生方の感想の中でこの件に関連するものだけを集めたものをご紹介します。

 

① 大学生のレポートの続き

 

※上記の中で「先生のお話」というのは「終礼の話」のことです。当日資料として過去に行った終礼の話の記録の一部を載せておきました。関心のある方は「終礼の話」のコーナーをご覧ください。

 

➁ 参観者の感想の関連部分 ※こちらはPDFファイルなので開いてお読みください。

ダウンロード
H26公開授業の感想②授業の雰囲気編.pdf
PDFファイル 122.1 KB

 

2. 最も重要なこと

いよいよ最後の最後にお伝えしたいことをお話しします。ここまでの長文をお読みいただいた方への応援歌でもあるとして記しておきたいと思います。この後もかなりの長文になりますので(汗)、辛抱強くお付き合いください。

 

(1) 主体的に学ぶ姿勢を身につけさせることができる

生徒が「主体的に学ぶ」ということばはすでに言い古されている感がありますが、改めてそれについてしっかりと考えてみたいと思います。なぜこの点を第一に上げたかと言うと、自分を含めて英語教師である先生や英語教師を目指している学生はおそらく誰に強制されるともなく英語の勉強をしてきたのではないかと思うからです。自分の意志で主体的に学習したからこそ英語の力を身につけられたのではないでしょうか。そうであるとすれば、私たち教師の役目は生徒に「英語を学びたい」という気にさせるということになります。

 

この点について、William Ward 氏は良い教師の条件として次の「教師四態」をあげています。

 

・The mediocre teacher tells. 平凡な教師は話す

・The good teacher explains. 良い教師は説明する

・The superior teacher demonstrates. 優れた教師は実践して見せる

・The great teacher inspires. 偉大な教師は心に灯をともす

 

故に私たち教師は生徒の心に灯をともすようになりたいものです。

 

では、具体的にどのようなことを行えば生徒の心に火をつけることができるのでしょうか。筆者の長年の経験から2つ取り上げます。

 

① 授業中に生徒中心の言語活動をできるだけ多く実施する

授業で知識を教え込むことばかりやっていると、生徒は顔を下に向けたまま黙って聞いているだけになります。見た目は真面目に勉強しているように見えても、頭の中は回転していません。「どうせ今習っていることもテストの点数をよくするためのものだから…」という気持ちもあるでしょう。

 

しかし、言語活動を行うと生徒のそのような態度が一変します。生徒は戸惑いながらも自分で考え仲間とことばを交わすことで、学習した内容を身体で覚えていきます。しかも、「使えた」「通じた」という満足感がありますから、授業を受ける態度も前向きになります。他の先生の公開授業等を見ていて言語活動を多く実施する授業では、全生徒の顔があがっており、しかもみんなニコニコしています。それは言語活動をとおして生徒同士の関係が構築されているということとも関係しています。

 

ただ、言語活動の重要さは理解していながら実際にはなかなか実施できないことが多いという実態もあります。それは他に基本的な知識を「教え込む」必要があると考えられることがいっぱいあるからです。単位時間で考えると、それらに割かなければならない時間が多すぎて、なかなか言語活動を行う時間がないと思っていらっしゃる先生は少なくないでしょう。

 

この実態を抜本的に変えるには、週4時間のうちの1時間は思い切って言語活動の時間にしてしまうという方法があります。そうすれば、その時間は「教え込む」ことから解放されます。筆者の元勤務校では、各学年で半年ずつですが週4時間のうちの1時間は丸々言語活動の時間に充てています。その時間はALTとの対話活動や生徒同士の対話活動、生徒のスピーチなどを行っています。

 

このようにお話しすると、「残りの3時間で教科書をこなせるのか?」という疑問がわくでしょう。まして現行の教科書は4時間あっても足りないと現場から悲鳴があがるくらい扱う内容が増えていますから当然です。しかし、これまで何度もお話ししたように、すべてをこなすという発想から脱却し、授業で扱うべき内容を取捨選択するという発想を持つことでそれは十分に可能です。

 

このようにお話しすると、さらに「それは附属中だからできることで、公立中のように学力が低い生徒がいる中ではできない」という心の声が聞こえてきそうです。そのような先生方に問います。「先生は丁寧に細かく指導したときと思い切って教える内容を取捨選択して指導したときの生徒の学力差を調べたことがありますか?」

 

「丁寧に教えてこそ生徒はわかるようになる」と考えるのは教師の“幻想”です。むしろ、言語活動を多く実施する先生の学校の生徒の方が英語の学力テストの点数が高いことがそれを証明しています。ぜひ思い切って教える内容を取捨選択して言語活動の時間を確保するように努めてください。

 

➁ 多様な指導方法と指導内容で授業が行えるようになる

この点を同じ学校で27年間も教えていた経験でわかったある事実からお話ししましょう。

 

筑波大学附属中学校には英語科の常勤教員が4人います(他に非常勤2人と非常勤のALT1人)。その常勤教員がたいていはどこかの学年(5クラス)の学級担任として3年間その学年の主担当を務めることが多いのですが、ときどき同じ学年の担任団に2人の英語教師が入ったり、逆に一人も入らなかったりする学年があります。

 

附属中学校では30年以上前から「教研式学力検査」を実施して生徒の学力の状態を継続的に測定していますが、数年に一度英語の平均偏差値が他の学年と比べて高い学年が出てくることがありました。また、それらの学年は単に学力テストの点数が高いだけでなく、パフォーマンス・テストにおいても優秀な成績を収めていました。

 

その学年には英語科教師の指導体制にある共通点がありました。それは次のどれでしょうか。

 

ア)担任団に英語科教師が2人いて3年間担当した

イ)担任団に英語科教師が1人いて3年間担当した

ウ)担任団に英語科教師がおらず、担任外の同じ教師が3年間担当した

エ)担任団に英語科教師がおらず、毎年ちがう教師が担当した

 

おそらく多くの先生が「ア」または「イ」を選んだのではないでしょうか。しかし、正解は「エ」なのです。過去に4回イの教員として3年間担当し、1回はアの一人として3年間担当した(計15年間)筆者にとっても、これは驚くべき事実でした。

 

この事実をどう解釈したらいいか。筆者なりの考えは以下のとおりです。

 

「複数の教師がいろいろな角度から指導した方が、多様な動機づけで生徒の学習意欲を高めることができる」

 

一人の教師がずっと教えていると教える内容に偏りが出てきます。それに食いついてくれる生徒もいますが、あまり興味を示さない生徒もいるはずです。しかし、教師が変われば指導の重点も変わります。そうするとそれまで英語に興味を示していなかった生徒がそれに食いついてくる可能性も出てくるというわけです。

 

「最近は小規模な学校で全学年を一人で担当することも多いが、その場合はどうするのか?」という疑問を持った先生もいるでしょう。その場合は、上記の太字の後半の部分に着目してください。つまり、多様な動機付けを行える教師になるということです。これを一言で言うならば、いわゆる「引き出しが多い」教師になるということになります。

 

そのような教師になるためには英語に関するあらゆることに関心を持つ必要があります。それは言語そのもの、文学、歌や映画などの芸能関係、日頃の生活で目にする英語、など様々です。生徒が興味を持つ内容は生徒によって異なるので、できるだけ多くの生徒が食いつきそうなことを手を変え品を変え提供できるようになることが大切だと考えます。

 

(2) 安心して学習に取り組める環境を作ることができる

実は、授業作りで最も大切にすべきことは先に取り上げた学生のレポートの後半の最後の2行に書かれています。曰く「積み重ねられたクラスの雰囲気づくりや先生の(と?)生徒の信頼関係が、良い授業を作り出すということを感じられた研究授業であった。」この学生は元同僚の植野伸子先生がある大学の英語科教育法で指導していた2年生で、教育実習すら経験していないのに、ここまでのことを感じ取っていることに驚きました。 

 

では、その「積み重ねられた雰囲気づくり」や「先生と生徒の信頼関係」がなぜ重要なのでしょうか。その答えは私たち英語教師がなぜ学校教育において英語教育を行うのかという問いかけに対する答えでもあると考えます。裏を返せば、それこそが私たち英語教師の“究極の”役割とも言えるでしょう。

 

それは、学校教育における英語教育は「学級」という集団の中で行われることがほとんどであり、その集団の雰囲気が学習成果を大きく左右するからです。「12. スピーキングの指導」でも述べましたが、生徒が恥ずかしがらずに英語を口にできるようになるには、その学習者集団(以降はそれを「学級集団」とします)の雰囲気づくりが欠かせません。それは何もスピーキングに限ったことではなく、その他の学習活動すべてにそれが大きく影響します。良好な雰囲気ももつ学級集団では学習がはかどりますが、あまり良くない雰囲気の学級集団の中ではそもそも学習意欲がわきません。

 

それを考えると、私たち英語教師の最大の役割は生徒が主体的に学習したいと思えるような学級集団を作るということになります。もちろん、それは一人の教師の努力だけでは難しいかもしれません。学年担任団すべての教員のコンセンサスが必要ですし、さらに言えば学校全体の指導体制も変えなければならないかもしれません。しかし、それでは話が大きくなりすぎますので、その第一歩として一人の英語科教師として目指すべき点をお話しします。

 

① 英語以前に日本で表現できる生徒を育てる

英語の授業でいきなり英語を話せと言っても生徒は英語を口にしません。それはそれ以前に日本語で自分の考えを表明したりすることに慣れていない場合が多いからです。英語を話すというのはとても情意フィルター(affective filter)が厚いものです。それは先生方も同じでしょう。ましてや生徒にとってはかなりの負荷です。

 

その負荷を軽くするには、日頃の生活の中で、つまり日本語で話す生活の中で、生徒が自由に自分の考えなどを表明することに慣れていなければなりません。筆者の「終礼の話」の実践はそのために始めたものですが、なにもそれが唯一の方法ではありません。学級会、係同士の話し合いや仕事の引き継ぎ、委員会や部活動での話し合い等、実践できる機会はあらゆるところにあります。学校生活全般において生徒が日本語で自分の考えなどを表現することに慣れれば、英語の授業でも生徒は気軽に口を開くようになるでしょう。

 

➁ 生徒同士の良好な人間関係を作る

学級集団の雰囲気を決定するのは生徒同士の人間関係です。お互いに言いたいことを言える関係になっているのか、他の生徒の発言を気にしたり互いに牽制したりする関係になっているのかで、学級集団の雰囲気がちがいます。

 

英語の授業において生徒が安心して口を開き、生徒同士が活発に言語活動を行うためには、学級集団に良好な人間関係が構築されているかということが鍵を握っているということは、現場の先生であれば誰しもが理解していることでしょう。

 

ただ、それを実現するのはそう簡単ではありません。その学級だけではなく学年全体の問題であったり、自治体によっては社会全体の雰囲気がそれを許さないということもあると聞いています(例えば、ある町の学校では“本家”の生徒が発言する前に“分家”の生徒が発言するわけにはいかないという暗黙の了解があるそうです)。

 

しかし、だからと言って何もしなければ何も変わりません。英語教師として、一人の教師としてできることはやってみる必要があります。例えば、筆者の経験では「構成的グループ・エンカウンター」という活動が有効であることがわかっています。筆者の元の勤務校では修学旅行は学年全体を5つのグループに分けてコース別学習をしていますが、1998(平成10)年に実施した筆者のコース「野外生活実践コース」で2日目に業者の指導のもとで半日その活動を行ったところ、5クラスから寄せ集められた41名の生徒たちが素晴らしい集団になったということがありました。

 

その経験があったので、次の学年からは筆者の担当するクラスでエンカウンター活動を行うようになりました。そうしたところ、修学旅行で感じたのと同じ効果を感じることができました。その次の学年からは、担任団全員の了解を得て、入学式や学年集会等で筆者が学年全員(205名)に対してエンカウンター活動を行うようになり、最終的にはそれを3つの学年(計9年間)で行いました。もちろんそれだけの効果とは思いませんが、これらの学年では日々の活動や毎年行われる学年行事(臨海学校、林間学校、修学旅行等)や学校行事等で生徒が主体的に活動してくれましたし、どのクラスも程度の差こそあれ落ち着いた雰囲気で3年間を過ごしていたように思います。当然、英語の授業はどのクラスもとてもやりやすかったです。

 

③ 教師と生徒の間の信頼関係を築く

①も➁もこれがないと実現できません。それはたとえ生徒がどんなに重要で良いことだとわかっていることでも、それを指導する教師との間に信頼関係がないと聞く耳を持たないからです。

 

実は、筆者はこの点について長年悩んでいました。中1の頃は幼さ故か言うことを聞いていた生徒たちも、中2、中3ともなると反抗期でなかなかこちらの言うことを聞いてくれないと感じていたからです。表だって反抗するほどのものではありませんでしたが、英語の授業においては心から楽しんで活動しているようには見えない場面が少なくなく、学校行事などでも自分のクラスの生徒たちが思うように動いてくれないと感じていました。

 

その頃は、筆者も表向きにはその状況を生徒たちのせいにしていましたが、心の中ではその大きな原因が自分にあるということがわかっていました。それは同僚の中に不思議と毎回のように生徒を育てるのが上手な先生がいたからです。その先生と自分の差は何なのか。それはやはり教師と生徒の間の信頼関係が築けているかどうかということでした。

 

生徒との信頼関係が築けていなかったのは、主に次のようなことが原因であったと思います。

 

ア)初任校は埼玉県の県立高校で、全公立高160校(当時)の中で「5本の指に入る」とも言われるほど生徒指導の大変な学校であったので、生徒に有無を言わせない強力な生徒指導を行うことに慣れていて、それを中学校でも適用していた。。

 

イ)筆者の個人的な性格は「真面目」で「杓子定規」なので(同僚による評価)、何から何まで細かく決めておいて指示を出さないと気が済まず、生徒に息苦しさを感じさせていた。

 

アについては、初任4年目に中学校に転任したときに大きな“カルチャー・ショック”を受けました。それどころか中学生は高校生に比べると“異星人”でした。いくら生徒指導が大変な学校とは言っても、高校生の生徒指導は対症療法的な方法で対処すれば済むことが多いのですが、中学生はそれではまったく育たないということに気づいたのはだいぶ後になってからでした。それに気づいてからは、生徒にどのような「仕掛け」をするかを考えて実行するようになりました。

 

イについては修正するのが大変でした(もしかしたら今も修正できていないかも…)。ただ、生徒を信じて生徒に任せるという構えで生徒指導にあたるようになると、生徒たちも変わるということを実感してからは、生徒に指示してやらせるのではなく、生徒とともに考えてやっていく、さらに自分は支援する側に徹するという姿勢を採るようになりました。

 

時代の変化や周囲の助け、そして教師としての経験の積み重ねも大きな要因であったかもしれませんが、自分自身に関係する上記の2点を改善できた後は、自分が危惧していた状況は徐々に(劇的に?)改善し、最終的にはビデオで見ていただいたような学習者集団を育てることができるようになりました。

 

2016(平成28)年度以降は主幹教諭(研究主幹、教務主幹)として学校全体の運営面に携わることになり、学級担任を持ったのはビデオで見ていただいた学年が最後になったので、それ以降は学級担任として生徒を育てるということができなくなりましたが、その代わりに全校生徒を育てるということに関心がシフトしました。そのことは「生徒を育てる話の内容と方法」に記してあります。

 

<シリーズ完結に際して>

今回をもって20回にわたる「英語科指導の重要ポイント」シリーズは終了です。各回の内容は本来であれば45分~90分をかけて先生方や学生向けに話してきたものなので、それらのダイジェスト版ではあるものの、お伝えしたいことをできるだけ網羅しようと考えたので、それぞれの回が大変な長尺になりました。また、各回をそれぞれほぼ一日で書き上げたので、内容の精査や字句の校正までができていません。その点はご容赦ください。最後まで辛抱強くお読みいただきましてありがとうございました。