筑波大学附属中学校とは?

筆者にとって最も身近な学校である、筑波大学附属中学校を筆者の視点で紹介します。実は、筆者はすでに同校を退職してしまっていますが、この記事を書いて公開したのは退職する前のことだったので、本文中の「本校」という表現はそのままにしてあります。

 

なお、本校の歴史や一般的な情報は Wikipedia や本校の公式ホームページをご覧になってください。ここでは、それらには載っていないような情報をお伝えしましょう。ただし、あくまでも個人的な見解を含んだ内容ですので、学校の公式見解ではないことはご承知おきください。

 

1. 誤解について

◇茨城県にあるのではない

東京都及び近郊の"中学校受験地図"に詳しい方ならまちがえないと思いますが、一般的には本校がどこにあるかをご存じない方もけっこういらっしゃると思います。その証拠に、筆者が本校に異動になったときの連絡はがきに対して、埼玉の友人からも「茨城に引っ越したのか?」という連絡が複数ありました。また、インターネットがまだそれほど普及していなかった1990年代までは、本校の所在地をよくご存知ない方から「茨城県水戸市 筑波大学附属中学校」という宛名書きの手紙や荷物が送られてきたことが何回かありました。国立大学の附属中学校の多くは県庁所在地にあるので、県庁所在地に送れば届くだろうと考えたからでしょう。確かに、茨城大学教育学部附属中学校は水戸市にあるのですが…。

 

さて、母体となる筑波大学は茨城県つくば市にあります(一部は東京に「文京キャンパス」として残っています)。そしてそれは、1978年に東京教育大学が解体されてそちらに新たに建設されたものです。しかし、その附属学校(当時は計10校、現在は11校)はいずれも当時それぞれの地域でそれなりの存在感があり、かつ在校生もいましたから、そのまま現地に留まることになったわけです。本校(東京都文京区大塚)もその1つです。

 

◇「中高一貫校」ではない

もう1つの誤解が、本校が附属高校との「中高一貫校」であるということです。これはお受験の関係者の中にも根強く残っています。一番の理由は、附属中学校と附属高校が同じ敷地内にあり、一般的には「筑波大学附属中学校・高等学校」という名称で紹介されているからでしょう。また、附属中学校の卒業生の約8割が附属高校に進学するという事実も実質的には「中高一貫校」であるとみなされている理由かもしれません。

 

しかし、実際には校舎は同じ敷地内でそれぞれ50mほど離れた別棟になっていますし、教員組織もまったく別々です。中学校所属の教員が高校生を教えることはありませんし、その逆もありません(今から20年ほど前に数年間だけ中高の交換授業がありましたが…)。したがって、中学校のうちに高校の内容まで先取り学習するということはありません。また、教育方針もそれぞれ独自のものとなっています。例えば、中学校には制服がありますが、高校にはありません(1970年代に制服が廃止されました)。校庭、体育館、プール、武道場などの施設は共有のため、日課時間はそろえてありますが、学年暦はまったく異なっており、行事もそれぞれ独自のものが行われています。学校のHPも"入口"こそ一緒ですが、中高でそれぞれ別のものを運営しています。

 

ただ、1947年の学制の変更により旧制中学校が附属高校と附属中学校に分離されて現在の形になったという関係から、旧制中学時代の自主・自立を重視する校風は中・高の両方に引き継がれており、学ぶ側(つまり生徒)の視点からすると「中高一貫」と言えなくもないかもしれません。

 

2. 敷地について 

上の地図で中央付近を東西に走る大通りの南側にあるうすだいだい色(最近は「はだ色」とは言わないそうです)の部分が本校(附属高校と共有)の敷地です。ただし、北東の端にある1カ所の四角い建物(「文 音羽中」)だけが文京区立音羽中学校の校舎です。そのすぐ左隣は小さい方が本校の同窓会館、大きい方が本校の体育館です。

 

(2) 附属中学校の敷地の変遷(改訂完全版) NEW 

これまでここに載せていた附属中学校の敷地に関する情報の一部を上記タイトルの別ページに移行し、さらに開校以来本校が置かれてきた4カ所の敷地すべてについての詳しい説明を追加しました。学校の記念誌やネット上のどんな単独記事よりも詳細な情報を載せている自信がありますので、関心のある方はぜひそちらもお読みください。

 

◇広さは都心では最大?

本校の敷地は元々は旧陸軍弾薬庫跡であったということもあってか、敷地の広さは都心の学校としては群を抜いています。筆者の単なる想像でしかありませんが、おそらく山手線の内側にある中学校・高等学校の中では一番広いのではないでしょうか。上の地図でお茶の水大学(附属幼小中高を含む)、拓殖大学、跡見学園中・高(同女子大学を含む)等と比較していただければ、本校の敷地の広さがわかります。

 

その広さを利用した主な施設を説明すると以下のとおりです。

 

・校舎は中学校と高校がそれぞれ3階建ての別棟になっています。

・校庭は200mトラックを余裕で描ける広さがあります。

・テニスやバスケットボールができる4面のコート面が中・高のそれぞれにあります。

・中・高全生徒1,300名以上が一度に集まれる大きな体育館があります(1996年の建設当時は「日本で2番目に大きな学校体育館」と言われていました)。

・約600名が入れる講堂(「育鳳館」)が中学校にあります。

・中・高それぞれに全生徒が並べる中庭があります。

・正門の中に大型バスが余裕で6台入れるスペースがあります。

・校舎の周りに雑木林があり、ハクビシン、蛇(アオダイショウ)、野良猫の「ちゃちゃ」(守衛さんだけになついています)などが住んでいます。また、春はウグイスの鳴き声やメジロのかわいい姿、夏はセミの大合唱を楽しめます。

 

周辺の公立小学校や中学校には小さな校庭しかったり、私立学校の中には校庭がない学校があることなどからすると、都心にある学校としてはいかに恵まれた環境であるかがわかります。

 

3. 校風について

◇自主性を重んじる

先述したとおり、本校は「自主・自立」を大切にしています。ただ、正確に言うと、このキャッチフレーズは附属高校のもので、附属中学校では「自主性を重んじている」とした方がいいでしょう。何もかもを教師が指示してやらせるのではなく、生徒に考えさせて決めさせるという校風があります。偶然にも、それは新学習指導要領で重視されている「思考力・判断力・表現力」を以前から育成していることになります。授業も、部活動も、委員会活動も、行事も生徒の自主性(主体性)を大切にして行われています。

 

◇男女の仲がいい

一般の公立小学校から本校に入学してきた生徒のほとんどが最初に驚くのが、男女の仲の良さです。おそらくそれは附属小学校の文化なのでしょう。その附属小学校の文化の良いところを中学校でも受け継ぎつつ、さらに高めています。

 

その1つが、座席を男女の市松模様にしていることです。これによって、自分の前後左右は異性となります。したがって、知らず知らずのうちに異性を極度に意識しないようになります。この机の配置は、佐藤学氏の「学びの共同体」でも推奨されているものですが、本校では昔からずっとこの配置です。

 

なお、附属高校でも男女が市松模様に並ぶ机配置が採られており、しかも中学校同様に隣りの男女席がくっついています。同校を取材に来たある記者がその様子を見て、「こんな高校は見たことがない」と言っていたそうです。

 

この男女の仲の良さは一生続いているようで、互いに他の人と結婚しても変わらないといいます。教え子の結婚式に出ると、「新郎友人」席に同級生の女子が、「新婦友人」席に同級生の男子がいるのは当たり前です。結婚後も異性の友人同士で互いの家庭に遊びに行くこともあるようです。これらは一般的にはあまりない(普通は避ける)ことなので、驚いています。

 

他にもいろいろユニークなことがありますが、お話しするのはこのくらいにしておきましょう。(1/30/2021)(2/27/2021追記)(4/24/2021追記)(2/25/2023加筆・修正)(1/6/2024加筆)

 

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