教師のキャリアデザイン:人との出会いと出来事で動いた教員人生

※記事の一番下に雑誌記事の現物(PDF)があります。

 

はじめに

 

筆者は令和4年3月末をもって37年間の教員生活(高校3年、中学34年)を定年退職した者です。一般的に、教員は勤務校を異動することはあってもそのまま退職するまで教諭として職務を続けるか、途中で管理職となってその職を終えるかのどちらかでしょう。筆者は前者の例の一人ですが、その中身としては多くの教員とは少し異なる道を歩みました。そこで、筆者のそうした歩みが先生方の今後のキャリアを考える上で参考になればと考え、本稿を記すことにしました。

 

1 人との出会いで動いた教員人生

 

(1) 教師のあるべき姿に迷い続けた一校目 

筆者が教職を目指したのは比較的早く、中学校2年生のときにはすでに「将来は中学校の英語の先生になりたい」と思っていました。その夢を実現すべく地元の国立大学の教育学部に進んだのですが、4年生になる頃には高校の教員になることに目標が変わっていました。そして、埼玉県の高校教諭の採用試験を受けて教員になりました。

 

筆者の初任校は、当時埼玉県に160校あった県立高校の中でも「5本の指に入る」と言われるほど生徒指導が大変な学校でした(校名は伏せます)。喫煙、けんか、窃盗などの問題が毎日のように起こり、その指導に追われる日々でした。毎朝起きると暗い気持ちになり、朝食が喉を通らないこともありました。もちろんそのような経験は、指導の難しい生徒にどのように対処したらいいのかということを学ぶ良い機会でもありましたが、当時はそのことについてじっくり考える余裕はありませんでした。

 

一方、そのような中でも教師として自己実現を図ることができたこともありました。例えば、学力のあまり高くない生徒たちに対しても英語で授業を行ったこと、就任時に3名しかいなかったソフトボール部を2年後には県大会で勝てるくらいのチームに育てたこと、意欲の高い生徒を集めて生徒会活動に一所懸命取り組んだこと、などです。

 

ところが、就任3年目のある日にかかってきた1本の電話が筆者の人生を大きく変えました。それは、教育実習でお世話になった埼玉大学教育学部附属中学校(以下、「附属中」)のS先生(故人)からの「大学へ異動する自分の代わりに附属中へ来ないか」という誘いでした。ようやく学校にも慣れて生徒からの信頼も築きかけていた時期でもあったのでかなり迷ったのですが、父から「誘ってもらえるというチャンスは生かした方がいい」と助言されたこともあり、当初の希望でもあった中学校へ異動する決意をしました。

 

(2) 戸惑いながらもやりがいを見つけた二校目

こうして改めて中学校の教員になったわけですが、ここで大きな指導上のギャップを感じました。それは高校生とはまったくちがう中学生のメンタリティーに関するもので、その対応に長年苦労することになりました。

 

高校生に対する生徒指導は、生徒から相談を受けたり何か問題が起こったりしてから「対症療法」的に行うのが普通です。一方、後にわかったことですが、中学生に対してそのような指導を行っていたのでは生徒は一向に育ちません。これに対して、筆者は高校のやり方に慣れていたので、当時は中学生を「育てる」という発想を持っていませんでした。幸いにも周囲の助けもあってそれほど大きな問題は起こりませんでしたが、今から思い返せば赤面してしまうような指導しかできていなかったように思います。

 

一方、附属中でもっともやりがいがあった仕事の1つが、教育実習生の指導でした。直接指導した実習生だけでも在籍した7年間で100名を越えました。そして、この経験が将来大学で教科教育法を教えてみたいという気持ちを起こさせました。また、校務と同じくらいか時にそれ以上に大変でありながら有意義であったのが、教科の研究団体(埼玉県中学校英語教育研究会)の事務局の仕事でした。会議や行事の準備、文書の発送作業などで帰宅が夜中になることなどは日常茶飯事でしたが、県内で活躍される多くの先生方と知り合いになれたことや事務仕事に慣れたことは自分の大きな財産になりました。

 

ところが、附属中に赴任してから7年目のある日、今度はある一人の訪問者によって筆者の人生が再び大きく動きました。その訪問者とは、当時筑波大学附属中学校(以下、「筑附中」)に勤めていたK先生(現在は大学の非常勤講師)で、突然筆者の職場に現れて「私の学校で一緒に働きませんか?」と言うのです。今回は返事をするまで少し時間がかかりましたが、7年前の父(この時点では故人)の助言を思い出して再びその誘いを受けることにしました。

 

(3) 教師としての充実期を過ごした三校目

筑附中は前身が東京教育大学附属中学校、さらにその前が東京高等師範学校附属中学校で、いわば「日本の中学校教育の発祥の地」のような伝統校です。その注目度はまさに「全国区」であり、公開授業を含む研究協議会には毎年全国各地から大勢の見学者が訪れ、短・中・長期の研修生や海外からの視察団も頻繁にやって来ます。そうした方々を納得させるような授業-つまり「理想的な授業」-を日頃から行っていなければならないというプレッシャーは大変なものでした。

 

それは同時に、英語教師としての自分の腕を磨くよい機会でもありました。ただし、それには相当な努力が必要です。そのため、K先生をはじめ同僚の先生方とあるべき英語教育の姿を日々研究したり、各種研修会等に参加して全国の優秀な先生方の実践から学んだりしました。そうした努力が実ったのか、徐々に教科指導の技術を向上させることができ、前任校以来引きずっていた中学生に対する指導の弱点も克服することができました。

 

実は、筑附中に在職していた27年の間に二度(40代前半と50代前半)、大学教員として転出することを志したことがありました。残念ながらいずれのときもそれは実現しませんでしたが、今ではかえってそれでよかったと思っています。それは、もしそのときに転出してしまっていたら、筑附中での最後の数年間で味わうことになる、中学校教師としての達成感を経験しないまま大学の教員として学生を指導することになったからです。自分ができる中学校教師としての最高のパフォーマンスを経験できた今は、自信を持って教職を目指す大学生を指導しています。

 

2 自分の意志と意志外で動いた教員人生

 

ここからは筆者の教員人生の中で自分の意志でキャリアを動かしたことと、自分の意志とは関係なく多きな節目となった出来事についてお話しします。

 

(1) 大学院へ通うこと

大学院に通うことは、中学校の教員になった後の比較的早い時期から考えていました。しかし、現職を辞してまで通う経済的な余裕はなく、また現職に留まったまま仕事を免除されて大学院で学ぶ制度を使うのは周囲へ大きな迷惑をかけるので、大学院へ通うことは半分あきらめていました。

 

ところが、東京学芸大学が1997年から現職の教員が勤務時間外に通いやすいように大学院の授業の多くを夕方や夜にシフトさせたことを知り、これであれば通うことも可能であろうと思いました。ただし、大学院を受験するには管理職の了承が必要です。そこで、学級担任や部活動の顧問等の校内の仕事をそれまでどおりに果たすことを約束して受験を認めてもらいました。そして同年に入学試験を受けて合格し、翌年より通い始めました。

 

1年目は中3の学級担任をしながら週2回、2年目は週3回、夕方と夜の授業を受けに職場から一時間かけて大学院へ通いました。そして、なんとか2年で修了することができました。

 

この実績は、後に2014~18年の5年間、現職を続けながら埼玉大学教育学部で「英語科指導法」の授業を週1時間担当したり、定年退職後に-つまり現在-大学で働いたりする資格につながりました。

 

(2) 思わぬ出来事

長い人生の間には、自分の意志とは関係なく自分のキャリアに大きな影響を及ぼすことに出会うことがあります。筆者の場合、それは突然襲ってきた病気でした。筆者が57歳のときにかかったその病気は、そのときばかりではなくその後のキャリアにも大きな影響を及ぼすものでした。

 

医師に告げられた「1ヶ月の入院と2ヶ月の自宅療養が必要」という診断により3ヶ月の病気休暇をとったことで、授業や分掌の仕事をすべて他の先生に代行してもらわなければなりませんでした。さらに、翌年度に務めることが決まっていた大事な役職も辞退することになりました。これは自分の教職キャリアにとって残念なことでしたが、仕方がないこととして受け入れました。

 

その後は、最新医学のおかけで病状が改善して普通の生活を送ることができましたが、定年を迎えた時点でフルタイムの雇用延長はせずに退職をしました。幸いにも、以前から親しくさせていただいていた方々に願ってもない非常勤の仕事をいくつか紹介していただいたので、退職後はそれらの仕事を体調に留意しながら続けています。

 

なお、本誌の過去の拙稿でも何度か紹介させていただいた、2つの拙著ホームページ(『目から鱗が落ちる英語学習』と『次世代を担う先生方のための英語学習指導』)は、その病気による大きな手術の日の夜に作成を思い立ち、その後の療養中に作成したものです。以来、自分が英語教師として「生きてきた証」を残すつもりで更新を続けています。

 

おわりに 

 

以上のように、筆者の教員としてのキャリアの多くの部分は、複数の人との出会いによってもたらされたものです。しかし、それも自分が一所懸命働いている姿を認めていただけたからだと思っています。

 

(『指導と評価』2022年10月号、図書文化)

 

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『指導と評価』2022年10月号、pp.8-10
指導と評価2022年10月号特集1(教師のキャリアデザイン)再校正.pdf
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