小学校英語は何を目指すのか:中学校から見た、「教科」としての指導の方向性の提案

※記事の一番下に雑誌記事の現物(PDF)があります。

1.全力で”格闘”中の先生方へのエール

「グローバル化に対応した英語教育改革計画」に則り、高学年で教科化されることがほぼ確実な小学校英語教育。しかし、すでに外国語活動に長年取り組んで実績をあげて来られた小学校の先生方でさえ相当に困惑なさっていると聞く。それは中学校の学習指導要領に示されているような具体的な指導内容が未だに示されておらず、断片的な情報すら漏れ聞こえて来ないからだと思われる(筆者の勉強不足であろうか)。教育雑誌やネット上で研究指定校等の実践内容は数多く紹介されているが、それらはみな各校が独自に取り組んだ断片的な内容の報告にすぎず、包括的・系統的に指導内容が一般化されたものではない。そして、最大の問題点は年間の指導内容がひと目でわかる教科書(またはその原型)がまだないことである。

 

そこで、すでに30年以上も教科としての英語を教科書を使って中高(主に中)で指導してきた者として、「教科」としての英語指導に対する考え方をお伝えしたい。筆者のような中学校教員があれこれ申し上げても、「小学校の事情を何も知らない者が勘違いなことを言うな!」と叱られそうであるが、これからさらにきつい”格闘”の場面に身を置かれるであろう小学校の先生方にエールを送るつもりで本特集の記事を著そうと思う。

 

2.教科化で予想される克服すべき課題点

  教科化される英語教育を小学校でソフト・ランディングさせるにはどうしたらいいであろうか? それは予想される克服すべき課題点を事前に把握し、それを未然に防ぐ手立てを取ることであると思われる。そして、そのためにはすでに中学校や高等学校の英語教育で課題点となっていることを理解することが参考になるはずであるので、まずはそれを明らかにすることから始めることにする。ただ、それらの中には他の教科にも当てはまることもあるので、小学校でも既存の課題点として意識されていることもあるかもしれない。

 

① 「英語嫌い」者の低年齢化と増産

いきなり衝撃的なタイトルで申し訳ないが、これは中学校の実態と小学校における外国語活動のある方向の指導の結果としてすでに表れていることが、小学校における教科化によってさらに明確になり、それが一層早い段階に降りる可能性があるということである。

 

小学校で英語を教科として指導することになった場合、外国語活動の時の「積極的にコミュニケーションをしようとする態度の育成」と「コミュニケーション能力の素地を養う」ことに加えて、コミュニケーション能力の基礎を養うことが要求されることになると考えられる。これは現行の中学校の目標と同じものであるが、そうなった場合は授業で楽しく活動さえしていればいいというわけではなくなり、能力が身についているかを確認(評価)できるような「学習」を目指した授業が必要となってくる。すると自然に授業内容は言語習得のための活動が増えることになり、日常生活では使うことがあまりない外国語の習得に難しさを感じる児童が増え、結果として「英語嫌い」を作ることになる。これは現行では中学校1年生の夏休み以降に起こっていることである。主な原因は1学期(または前期)の定期試験で自分が期待していたような成果が上げられないことと、日本語にはない細かいルール(例:三人称単数現在の-S)に正確に対応しなければならないことへの苦痛感からである。さらに、低い評定がつくことで苦手意識が増幅される生徒も多い。

 

実は、この傾向は小学校でもある方向で外国語活動を指導してきた学校ですでに表れている。ある県で国の研究指定校になっている学校の校長が、「1年目は『英語が好き』と言う児童が80%だったのに、2年目は60%に、3年目は50%を切ってしまった。」と非公式な場で筆者に語ったことがある。また、別のある県の研究大会では県の研究指定校の責任者が、「力を付けさせようと一生懸命指導すればするほど英語嫌いを作ってしまった」と語っていた。両校ともそれなりの成果を出すために一生懸命頑張っていたはずである。しかし、その頑張りが言語習得に傾いていたために、児童を英語嫌いにしてしまったのである。これでは中学校で起こっていることを前倒ししているのと同じである。つまり、最初に生まれる英語嫌い者が生徒から児童になっただけである。したがって、今後正式に高学年で教科として指導されるようになった時には、適切な指導をしないと同じような児童を増産することになるだろう。

 

②  学力差の拡大

どの教科にも共通する事実として、学習段階が進めば進むほど児童・生徒の学力差は大きくなるということがある。これは教科として指導されることになる英語においても当然予想されることである。中学校での実態として特に差が広がるのが「書くこと」の領域である。中学校でも「聞くこと」「話すこと」では生徒の能力差はそれほど顕著に表れないが、「読むこと」(こでは「音読」ではなく「読解」)でその差が広がり、「書くこと」で一層大きくなる。

 

これは小学校でも予想されることである。先述の研究指定校でもそれが表れていたという。つまり、すでに外国語活動の範囲でも場合によっては学力差がはっきり見えてきているということである。さらにそれは学校外の勉強(ここでは主に学習塾や英会話学校でのもの)で広がることが考えられる。「外国語活動」導入時に塾に通い始めた児童が多くなったのはよく知られているが、教科化されればそれが増えることは誰の目にも明らかである。また、都市部では私立中学の入試に英語が加えられることが予想され、それに対応するための塾通いも一層増えるであろう。そうなれば児童間の英語の学力差が益々広がることになる。

 

③  学習の質的変化への対応

小学校の外国語活動は、中学校の英語学習に多大なる貢献をしてくれている。特に学習指導の目標にある「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成」という点でそれが顕著である。また、筆者の勤める筑波大学附属中学校へ多くの児童を送る附属小学校では、3年生から4年間も専任教諭が週1時間の外国語活動を指導しているが、先述の①、②の問題点はほぼ見受けられない。それだけ慎重かつ丁寧にに指導してくれているということである。しかし、それでも1点だけ中学校に入った時点で外国語活動の負の影響がある。それは生徒が英語を勉強する教科だと思っていないことである。もちろん、それは小学校の指導の善し悪しのせいではない。

 

外国語活動は授業中に楽しく活動する中で英語に親しませることに主眼を置いているので、基本的に各授業において示される表現の確実な習得を児童に求めていないし、覚えてくるように宿題にされることもない。また、教科ではないから評価されることもない。したがって、児童は英語は勉強(この場合は主に復習)をする対象だとは思わないまま中学校に進学してくる。以前であれば、中学校の入門期で生徒は「最初が肝心だ」とばかりによく復習をしたものである。ところが、最近はいくら復習の大切さを訴えても生徒にはそれがわからないようで、家庭学習をさせるのに苦労している。もっとも、これには中学校の入門期指導の内容も影響しているかもしれない。いくら小学校で「やったことがある」とは言ってもきちんと身についているわけではないので、特に初期の頃は既習事項の復習に時間を割くことになる。この時に生徒は「そんなの知ってるよ」と思うので、復習などしなくていいと思い込んでしまうのである。しかし、先述のように評価においては正確に「書くこと」が求められるので、つづりや単語、文法を正確に覚えていなければならない。その時に大切なのが他の教科同様に家庭学習、特に「復習」である。これをきちんとやらせないと、授業中は楽しく活動しているのに力はついていないという事態を招いてしまう。

 

中学校におけるこの状況は、小学校でも教科化によって中学年と高学年の境界のところで確実にやって来ることになる。

 

3.教科化後の指導の方向性

次に、ここまでに議論してきたことを元に、筆者が小学校の「英語科」の指導の方向性として大切だと考えることをまとめてみたい。

 

①  活動と学習のバランス

同じ英語科の学習(指導)目標の内容であっても、中学校と小学校ではアプローチの仕方がかなりちがう。小学校では中学校以上に体験的な学習が重視されている。一方、教科となれば基本中の基本事項は児童にしっかりと身につけてもらわなければならない。それにはある程度の練習(ドリル)が必要である。しかし、後者をあまりも重視してしまうと、中学校以上に英語嫌いを量産してしまう可能性が大きい。小学校では小学生の学習発達度に合った学習形態ーここでは活動と学習ーのバランスが必要であろう。

 

②  児童の発達度に応じた教材提示

  高等学校では演繹的に知識を注入するように教えられることが多い文法学習も、中学校では以前から帰納的に学習させることが重視されている。例えば、ある新出文型を導入する際には、きちんとした場面設定を行い、その上で既習事項を駆使して生徒とやりとりする過程をとおして新出文型の意味と形を理解させるというやり方をする。ただし、その場合でも最終的には文の構造をはっきりと確認する。では、小学校ではどのようにしたらいいのであろうか。

 

その一つの例を、本年2月に実施された筑波大学附属小学校の荒井和枝教諭の公開授業(外国語活動)で拝見できたように思う。それは英語の基本文型の一つである「主語+動詞+目的語(+目的語)」の文型を扱っていた場面であった。荒井先生はバレンタインデーで「誰が、誰に、何を、贈る」かということが国によって違うということを話題にしながら、主語、動詞、目的語にあたる場所にそれぞれ絵が描かれたカードを置いて生徒とやりとりをしていた。生徒はそれを聞きながら驚きの声を上げたりしていたわけであるが、その時点で生徒は主語と目的語の関係を理解して反応していた。しかし、荒井先生はそのことには一切触れなかった。その時にここが小学校の英語科授業が目指す一つの方向であると感じた。外国語活動では文型は意識させずに定型表現を使って活動させることが多いと思うが、教科となればより英語の言語構造を理解させたい。かと言って、文法を明示的に教えるのは小学校の学習にはそぐわない。荒井先生の授業のその場面には、その間にある絶妙な指導があったように思う。つまり、児童に文型を意識はさせるが明示的にそれを取り上げることはしないという方法である。

 

③  「育てたい児童像」の構築

先述したことと逆のことを言うようであるが、学習指導要領が出て指導項目がはっきりしたからと言って、それで児童に英語をしっかり教えられるかと言えばそうではないであろう。やはりそこには最終的な目標とも言える「育てたい児童像」が必要である。それは小学校で児童たちに英語学習をとおして何ができるようになってもらいたいのかということをはっきりさせるということである。そして、それを「~できる児童」などという単なる言葉による表現ではなく、実際の生徒の映像などで一目でわかるもので示したい。

 

附属中学校英語科では「『生きたことば』でコミュニケーションできる生徒」と「困難に対して臨機応変に粘り強く取り組む生徒」という二つの「育てたい生徒像」を持っているが、それぞれにおいて理想的なレベルに達した生徒の映像を残して教員の指導目標としているだけでなく、下級生にも見せて彼らの学習意欲を盛り上げることに成功している。同じことを小学校でもできるはずである。

 

④  小中(小中高)の連携

すでに全国に多くの小中一貫校が存在し、それ以外にも小中の交流が盛んに進められているので、システム上のことは今更声高に言うまでもないことであるが、そのような学校でも教科の指導理念については真の連携がとれているかは怪しいように思われる。これからの小中(小中高)連携で大切なことは、9(12)年間をとおして一貫した「育てたい児童・生徒像」を持てるかどうかである。

 

筑波大学附属小、中、高では20年以上前から「三校研」(現在は大学を加えた「四校研」)を定期的に実施してきており、その過程で抽出された三校に共通する指導理念に重点を置いた指導を共同で行っている。外国語活動/英語/外国語部会でも4つの指導理念(具体的内容は紙幅の関係で省略)を共有して指導にあたっており、児童・生徒を本科が目指す方向に育てることができていると自負している。

 

(『教育研究』2016年7月号、初等教育研究会)

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