【きっかけ・ねらい】
今回の話は、2年生の修業式の日(3月18日)に話したものです。実は、事前に考えていた話が2回分あって、それらを前日と当日の2回で話そうと思っていたのですが、3月11日に起こった東日本大震災によってそれが不可能になったので、その代わりになるものとして震災に関する話を企画しました。
震災当日は、震源地から遠い都内にある本校でも大変な混乱になりました。それは本校の生徒及び教員のほとんどが何らかの公共交通機関を使って通学・通勤しているからで、在校していた計約400名の1、2年生の帰宅方法が課題となり、様々な心配事がありました(詳細は後述の【こぼれ話①】参照)。また、その後生徒は18日の修業式まで自宅待機をさせましたが、計画停電やそれに伴う交通機関の乱れ、福島の原子力発電所の事故などがありましたので、生徒の心のケアをしながらも震災当日からその日までの生徒の心理や具体的なデータを記憶が確かな間にまとめておく必要があると思い、春休み前の唯一の登校日であった修業式の日の終礼を利用することにしました。
今回の話は、自分だけでなく学校全体で行った方がよい調査ではないかとも考えましたが、非常事態が続く中でそこまでのことを全体のコンセンサスを得て早急に調査することはできなかったので、とりあえず自分のクラスだけで行ってみることにしました。
【手順・工夫】
今回は話の量がかなり大きくなることが予想されたので、あらかじめワープロで作ったB5判2ページの記録用紙を用意しました。そこには、質問項目や予想される答えの選択肢、生徒の発言を拾ってから問い直すように考えた項目はそれら書き込むスペース、そしてそれらを問いかける展開の仕方を書いておきました。こうした形で用意したのは、今回の話でわかったことを、今後の震災マニュアルを作成する際の参考資料にもできるのではないかという考えもあったからで、自分自身が計画停電による電車の不通で2日間通勤できなかった間に作成しました。
なお、本来なら話に集中させるために余計なものを生徒の手元に置きたくはなかったのですが、前日までに渡すはずであった大量の配布物や返却物をこの日に確実に手渡さなければならなかったので、話をする前にそれらをすべて配布しました。したがって、話している最中にそれらに目を通している生徒を見つけても見逃すことにしました。
【実際の会話】3/18
T:(たくさんの配布物に目をとおしている生徒を見て)これから大切な話をしようと思っているので、ちょっと読むのをやめてこちらを見てください。
S:(こちらの真剣な語りかけに、ほとんどの生徒が顔を上げてこちらを見る)
T:もうすでに何人もの先生が震災のことにふれているので、さらに私がこのことを取り上げるのは少ししつこいのですが、本当にこの間は大変でしたね。先生はその時に他のクラスで授業をしていたのでみんなの様子はわかりませんでしたが、避難する前に教室に来たときは涙を浮かべている人もいました。
A子(涙を浮かべていた生徒の一人):(ニッコリ笑ってこちらを見ている)
T:その後、保護者とすぐに帰れた人もいれば、家族が迎えに来るまで長く待っていた人もいれば、友達と徒歩で帰った人もいれば、一人で帰った人もいれば、学校に泊まった人もいました。
S:(該当のところでそれぞれの生徒同士が顔を見合わせている)
T:あの日は多くの人が大変な思いをしました。さっきある男子と話をしていたら、なんと6時間も歩いて帰ったそうです。
B男(該当生徒):(ニッコリ笑ってこちらを見ている)
T:そこで、地震の瞬間から今日までみなさんの気持ちがどうであったか、そして帰宅に関しては具体的にどうであったのかというデータをとっておきたいので、これから質問することに真剣に答えてください。
S:(数名が配布物を読んでいるがそれは注意しないことにした)
T:まず1番。地震が起こったときに何を感じましたか?選択肢はみなさんが実際に感じたことを使いたいので、まずはその時に感じたことをキーワードとして出してください。
A子:こわい。…21人
T:まあ、真っ先にそう思っただろうねえ。(話ながらメモをする)
※以下、生徒の発言に対して単に確認のために聞き返した発言は記録を省略する。
C男:家が大丈夫か。…14人
D子:家族が心配。…18人
E男:もっとひどいところがあるんじゃないか。…9人
F子:震源地!…18人
E男:震度。…26人
B男:帰りたい。…4人
T:他にはありませんか? では、それぞれについてそう思った人は手を挙げてください。(結果は上記の生徒発言の右側に人数を併記することで代用する。以下同様)
S:(関連のことを話しているようでざわついている)
T:では、2番。避難をしているときに何を感じましたか? またキーワードを出してください。
G子:こわい。…1人
A子:帰りたい。…17人
H男:帰れるかな。…12人
E男:食料があるかな。…1人
T:(結果を受けて)さずがに地震が一段落した後では「こわい」は随分減りましたね。でも、やはり「帰りたい」「帰れるかな」が大幅に増えました。では、3番です。どのように帰宅しましたか? これは全部で4つの項目があります。(1) いつ学校を出たか? 次の選択肢の中から選んでください。解散直後(21人)、解散後から日没まで(4人)、日没後から夜中まで(7人)、学校に宿泊(7人)。では、聞きます。
I子:(学校に宿泊した仲間がいたことに対して)いいなあ、私も泊まりたかった~。
T:次、(2) 誰と帰宅したか? これも次の中から選んでください。自分の保護者と一緒(25人)、自分一人で(4人)、友達と一緒(3人)、友達の保護者と一緒(6人)、その他(0人)。※2人足りない。数えまちがいか。
J男:先生、友達と友達のお母さんと一緒の場合はどっちですか。
T:それは友達の保護者と一緒。
J男:じゃあ、OKだ。
T:では、(3) 交通手段は? まずは、①いつもと同じ(7人)か、②いつもとちがう(33人)か。では、聞きます。※答えは( )内。
次に、いつもとちがった人は次の中から選んでください。電車(2人)、バス(2人)、タクシー(2人)、徒歩(16人)、自分のうちの車(6人)、友人宅の車(3人)、その他(0人)。
A子:先生、複数あった場合はどうするんですか?
T:例えば?
A子:電車で行って、少し歩いて、それからお父さんの車で迎えに来てもらったんです。
T:そういう場合は、最も特殊なもの。あなたの場合は自分の家の車でいいです。では、聞きます。※答えは( )内。2人足りない。
次、(4) どのくらい時間がかかったか? まず、①いつもと同じ(5人)、②いつもとちがう(35人)。
K男:いつもと同じなんていないんじゃないの?
T:そんなことはない。学校の近くで歩いて帰る人だったら変わらないだろう。
K男:(「ああ、そうか」と納得した顔)
T:では、聞きます。(「いつもと同じ」が5人だったことを受けて)じゃあ、残りの人はみんな「いつもとちがう」でいいですね? じゃあ、いつもとちがった人はどのくらいかかりましたか? 次の中から選んでください。30分未満(0人)、30分~1時間(1人)、1時間~1時間半(4人)、1時間半~2時間(4人)、2時間~3時間(4人)、3時間以上…
S:(大勢が手を挙げる)
T:えっ?そんなにいるの…? じゃあ、細かく分けて聞きます。3~4時間(3人)、4~5時間(0人)、5~6時間(6人)、6時間以上(12人)。
B男:先生、途中で夕飯を食べた時間は含めますか?
T:それも含めることにしようか。では、聞きます。(6時間以上がたくさんいることに驚いて)ええっ?6時間以上の人がこんなにいたんだあ…。
では、大きな4番。帰宅途中で心配したことや困ったことは何ですか? キーワードを挙げてください。
A子:生きていけるか。…2人
B男:親に連絡したい。…2人
G子:寒い。…15人
E男:食料。…7人
K男:道がわからない。…6人
C男:津波。…1人
T:では、尋ねます。(結果は上記)
5番。帰宅したときに感じたことは何ですか? キーワードを挙げてください。
A子:安心した。…16人
B男:お風呂に入りたい。…12人
G子:家の中を見たくない。…3人
L男:むしろ、どんなか見たかったよな?
M子:ねむい。…17人
C男:家が壊れていないか。…2人
B男:エレベーターがいつ動くか。…3人
T:では、尋ねます。(結果は上記)
次に6番…。
S:(もう飽きたという顔をしている)
T:あと少しだから、頑張って答えてください。6.自宅学習中に震災に関することで心配したのは何ですか? キーワードを挙げてください。
S:放射能。…29人
E男:食料。…25人
C男:津波。…1人
G子:余震。…13人
A子:これからの学校。…11人
N子:停電。…13人
C男:電車が動くか。…6人
T:では、聞きます。(結果は上記)
ところで、計画停電を経験した人はいますか?
S:(3人が手を挙げる)
T:やはり都内はあまりやっていないんですね。先生のうちはすでに3回ありました。次、7.今日、学校に来て思ったことは何ですか? キーワードを挙げてください。
A子:安心した。…14人
O子:電車の数が少ない。…6人
P男:今日、学校に来る意味はあるのか。…5人
T:それは、原子力発電所がああいうことになっていて、放射能が心配なのに、学校に来させるのは適切かどうかということかい?
P男:そうです。(P男は翌日から鹿児島に疎開する予定であることが後でわかった)
R子:3年生がいなくて寂しい。…4人
T:では、聞きます。(結果は上記)8番。これで最後です。今後の生活で心配なことは何ですか? キーワードを挙げてください。
N子:停電。…14人
B男:放射能。…21人
C男:食料。…14人
M子:地震。…17人
G子:トイレットペーパー。…4人
S:(笑いが起こる)
T:ああ、スーパーで買い占めがあって無くなっているからねえ。みんなは1973年のオイルショックというのを知っていますか?
S:(何人かがうなづいている)
T:あのときはトイレットペーパーだけが買い占めで無くなって大変なことになったんです。でも、今回はいろいろなものがなくなっているなあ…。ガソリンなんて、本当に手に入らないもんなあ…。では、聞きます。(結果は上記)
以上で終わります。協力してくれてありがとうございました。
S:(「ようやく終わったか」という安堵感の顔をしている。)
P男:先生、なんでこんなことを聞いていたんですか?
T:それはね、あれだけのことがあったから、そのときにみんなが何を感じたか、実際にどうしたのかということを知っておくことが重要だからです。特に、何を感じたかというのは今日聞いておかないと、新年度になってからでは思い出せないかもしれないでしょ? 他のクラスではやってないんだけど、サンプルとしてみんなの答えはとても大切な情報になると思います。今メモした結果は先生方に知らせるつもりです。
P男:(まだ何か言いたそうだったが、とりあえず納得した様子)
T:それからね。先生自身が「あの判断はよかったかなあ」と思うことがあったんです。その中の最も大きいのはQ男くんを先生の判断で帰宅させたことです。
Q男:(急に自分のことを話題にされて戸惑っている)
T:Q男くんは大泉学園に住んでいるわけですが…
Q男:石神井公園です。
S:(笑いが起こる)
T:ごめん。石神井公園に住んでいるわけですが、そうすると一人で帰宅させるわけにはいかない人だったんです。でも、彼のお父さんは大阪にいるし、お母さんは都内の反対側で仕事をしているから帰れるはずはないし、小さな弟が一人でいるからどうしても帰りたいと言うんですね。附属小の時に一度歩いて帰宅するということを経験したことがあったそうで、道はわかるから大丈夫だ。1時間半くらいで帰れるから大丈夫だって言うんで帰したんです。でも、心配だから2時間後に電話をしたらまだ帰っていない。ようやく3時間以上経った夜10時頃に電話があった。ほっとしたけど、途中で事故にでもあっていたら大変な判断ミスをしたことになったわけです
Q男:(すまなそうな顔をしている)
T:Q男くんの弟を思う気持ちと勇気はすばらしいけど、先生としてはそういうことも含めて、今回のことを詳しく知っておきたいと思ったんです。
Q男:(数名に勇敢な行動をほめられて、恥ずかしそうに言い訳をしている)
T:さて、時間をとってしまってすみませんでした。他のクラスはもう終わって下校しているようです。
B男:先生、英語のテストノートは?
T:英語のテストノートは英語係に渡してください。英語係は集まったら準備室に持ってきてください。じゃあ、これでおしまい。
M子:先生、通知票は?
T:いけない! また忘れるところだった! 持ってくるの、忘れた!
S:(爆笑が起こる)
T:ちょっと、待ってて。取ってくるから。(英語科準備室に戻って通知票を持ってくる)では、「さようなら」の後に出席番号順に取りに来てください。では、おしまい。
B男(週番の号令係):起立!
S:(起立する)
T:(原子力発電所の事故が心配で)ええ、この先どうなるかわからないけど…、また4月に無事に会えたら…、
A子:先生、そんなこと言わないでください!
M子:そうですよ。大丈夫ですよ!
T:(生徒のことばにハッとして)そうだね。先生がこんなことを言ってはいけないね。
また、4月に元気に会いましょう! じゃあ、おしまい!
B男:さようなら!
S&T:さようなら~!
【こぼれ話①】
東日本大震災当日に関しては、本校では次のようなできごとありました。
まず、3年生約200名は当日ディズニーシーに卒業遠足に行っており、現地で地震に遭ってしまったために帰宅することができず、ほぼ全員が引率教員と共に浦安市の体育館に避難をして一夜を明かしました。
在校していた1、2年生約400名については、幸いなことに当日両学年とも保護者会が予定されていたので、地震があった2:46には約半数の保護者が学校近くまで来ており、中庭に全員を避難させた後に200名以上を保護者に引き渡すことができました。次に、徒歩で1時間以内に帰宅できる生徒は、保護者の同意を得て、数名または一人で帰宅させました。そして、保護者と連絡が取れなかった生徒や遠くて帰ることができない約100名の生徒は、在校した全教員が付き添って学校に宿泊させることになりました。宿泊場所は暖房が効く講堂に決定され、体育館で使う組立型マットが床に敷き詰められました。食料は災害用緊急セットのものがありましたが、何人かの先生方や事務の方の努力で全員分のカップラーメンを夕食に用意することができました。電気や水道等のライフラインが生きていたこともあり、また翌日には帰宅できるであろうという見通しもあったので、生徒達は心配をかかえながらも落ち着いて宿泊しました。教員は2時間交替で生徒の様子を見守る役目を担いながら、思い思いの場所で就寝しました。
夜中から翌朝にかけて数名の保護者が学校に生徒を迎えに来ましたが、大半の生徒は翌朝まで学校にいました。そして、緊急セットの食料を朝食用にとらせ、電車が動き出したことを確認して、午前中には全生徒を帰宅させることができました。なお、浦安の体育館で一夜を明かした3年生も翌朝に動き出した電車で帰宅することができました。
【こぼれ話②】
東日本大震災当日以降に関しては、本校及び自分に次のようなできごとありました。
14日(月)は成績会議及び一般会議の日で、生徒は元々自宅学習でした。しかし、私は自宅の最寄り駅からの西武線電車に乗り込んだものの、午前中には計画停電で運休されることが車内でアナウンスがあったので、途中の駅で降りて帰宅してしまいました。
15日(火)は予定されていた3年生の卒業式予行が中止されました。また、前日の中途半端な運行が批判された西武線はこの日の運行を大幅に制限したので、自宅最寄り駅からの電車はまったく動かず、通勤をあきらめました。なお、この日は午後6:27~8:27までちょうど2時間の計画停電を初経験しました。
16日(水)は卒業式が1時間遅れで行われました。自宅の最寄り駅から出る西武新宿線の電車は空いていましたが、池袋線の電車が途中駅はみな入場制限が行われたほどの殺人的混雑で、いつもの倍近い時間がかかったこともあり、池袋に着いたときはびっしょりかいた汗と筋肉痛に参ってしまいました。卒業式は生徒達の気持ちの張りもあり、厳粛かつスムーズに行われました。なお、帰宅時は再び池袋駅で入場制限が行われるほどの大混雑を経験しました。また、狭山市にある自宅に帰る電車がなかったので、所沢市にある実家に泊めてもらいました。
17日(木)は予定されていた学力検査(NRT)が中止され、生徒は自宅学習となりました。私は前日の経験から、定期が効かない西武新宿線と山手線を使って通ったところ、座席に座れるほど楽な通勤ができました。しかし、帰宅時は「大規模停電が起こる可能性がある」という情報が流れて帰宅ラッシュが早く起こり、帰りの電車はまた大混雑しました。なお、この日も実家に泊まりました。
18日(金)は修業式でした。この日は修業式を簡単に済ませ、予定していた大掃除と個人面談をカットして、午前中で生徒を帰すことになっていました。しかし、休みが続いていたことや、春休みの活動に関する対応の周知徹底のために、配布物が膨大な量になり、それを1つ1つ確認するだけでも相当の時間がかかってしまいました。本来ならこの1年間をじっくり振り返りながら、来るべき3年生の生活への心の準備をさせる話をしたかったのですが(しかもそれは3年生の始業式の日にしようと計画していた話とリンクしていたのです)、急に入れ込んだ震災に関する話を優先してしまったので、その話はあきらめることにしました。もっとも、生徒の精神状態からすると、「あっという間に1年間が過ぎたねえ」などというのんきな話は聞いてもらえなかったでしょう。
翌日から始まる春季休業については、交通の便が不安定なこと、大きな余震が起こる可能性があること、そして何と言っても福島の原子力発電所の事故の行方が不透明なことから、部活動を含むすべての生徒活動が中止されることになりました。
なお、この日の話で得たデータについては別紙「東日本大震災に関する調査」(B4判)にもまとめてあります。
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