【きっかけ・ねらい】
そもそものきっかけは次のようなできごとからでした。
ある日の帰宅途中、夜10時頃に乗換駅である所沢駅のホームにあるベンチに座って、日課となっている英語科の「家庭学習の記録」(生徒に毎週提出させていたプリント)を読みながら、生徒と保護者の感想欄に赤ペンでコメントを書いていました。すると、右耳に次のようなことばが聞こえてきました。
「先生も大変ですね。」
急な声掛けに驚いてそちらを見ると、声の主は歳の頃は私と同じくらいの、カジュアルな服を着た男性でした。予期せぬ声掛けに対して、臨機応変に対応することがあまり得意ではない私は、おそらく半分引きつった笑顔で、「どうも」(おそらく声になっていなかった)とお辞儀をするのがやっとでした。その男性とはそれ以上の会話を交わしませんでしたが、彼の笑顔はとても優しく、「頑張ってくださいね」と目が語っているように私には思われました。
その後、すぐに来た電車に乗った私は、そのちょっとしたエピソードを思い出しながら、何となく気分が軽くなっていることに気づきました。そこで、なぜそう感じたのかを分析してみたのです。そして、その時得た結論は、「見ず知らずの人にまで自分がやっていることを認めてもらえたからだ」でした。この「認めてもらえた」というキーワードが思いついたところで、このエピソードを生徒指導に行かせないかと思ったのです。
ちょうどその頃、新学年が始まったばかりの1年生で「いじめ」が問題になっており、自分のクラスでもそれがくすぶっていました。「いじめ」は、いじめられる側からすれば自分を否定されるという痛みを感じること、つまり「仲間から認められない」という思いを持つことだと思います。そこで、「認められた」という嬉しさから「認められない」という悲しさに話をもっていけないかと考えたのです。
【手順・工夫】
この件に関しては、あらかじめ次のような手順をとることにしました。
① このできごとを生徒に話す。
② なぜ「嬉しかった」と感じたかを考えさせる。
③ 「人に認められる」ということは人生を幸せに感じる最も大切なことの1つであるという結論に導く。
④ 反対に「人に認められない」ことは人生を楽しくないと感じることにつながる。
⑤ 「いじめ」とは、その人の存在を否定すること、つまりいじめられる側からすれば、「自分は認められていない」という疎外感を味わうことである。
⑥ 互いの良さ、個性を認め合い、時にはそれをことばにして相手を幸せな気分にしてあげることが自分も幸せになることであるという話にもっていく。
以上が主な手順ですが、かなり多くのことを含んでいるので、これらを一度に話したのでは時間がかかり過ぎて生徒が飽きてしまい、教育効果も上がらないと考え、3~4回に分けて話すことにしました。
また、「巨人の星」(なつかしいなあ…)のように、「そこまで話が進んだのなら続きを聞いてみたい」と生徒が思いそうなところで毎回話を止めて、次の機会を楽しみにしてもらう工夫もしてみることにしました。
【実際の会話】第1回<導入編①> 5/21
T:実は先日、帰宅途中で嬉しいことがあったんだけど、何だと思う?
A男:お金を拾った!
B男:きれいな女の人と話ができた!
T:オイオイ、どうしてそう短絡的なことしか思いつかないんだよ?先生がそんなことで喜ぶと思うか?
S:思いま~す!(期待どおりの反応)
T:あのなあ、お前たちは先生をそういう目で見てるんだな?(笑顔で)俺は頭にきた!
C子:ああっ!先生が「お前」なんて言ったあ!
T:そうか、ことばの使い方には気をつけなければいけないね。じゃあ、「君たち」か「みんな」と言うことにしよう。しかし、みんなが先生のことをそう思っていることにがっかりしたから、今日はその話をするのをやめたっ!
S:え~っ!
D男:先生、そこまで言ったんだから、続きを話してくださいよ~。
T:やだよ~。聞きたかったら、ちゃんと聞きなさい。今日はおしまいっ!
S:え~っ!
【こぼれ話】
次の日は連絡が多く、終礼時間がすでに長くなっていて、生徒の集中力が欠けている様子が見えたので、その日は続きを話しませんでした。すると、終礼後に、どちらかというと普段はややシニカルな態度をとっている男子生徒がやってきて、「先生、昨日話していた『嬉しかったこと』の続きはないんですか?」と言ってきました。どうやら、あの話に期待している者が少なからずいるようでした。
【実際の会話】第2回<導入編②> 5/26
T:ところで、この間話したことなんだけど、覚えているかい?
A男:え~と、先生が駅で何か嬉しいことがあったということ?
T:そうそう。その嬉しかったこととは何かというのを今日は話したいと思います。
B男:やっぱりお金を拾ったんでしょ?
T:あのねえ、真面目に話してるんだから、ちゃかすんじゃないよ。実はこの間、所沢駅で…、そう、みんなが校外活動の時に乗り換えた駅でね、夜の10時頃にあったことなんだ。
C子:ええっ!先生、そんなに遅く帰るんですか?
T:まあね。そういうことが多いかな。
C子:じゃあ、夕食はどうするんですか?
T:う~ん、学校で食べちゃうことが多いね。
S:ええ~っ!
C子:先生、それって、家庭不和になりませんか?
T:う~ん、鋭いなあ。でも、まあ、土日は一生懸命相手しているから、それでかんべんしてもらっているよ。
D子:うちのパパも同じかなあ?
T:まあまあ、その話は置いておいて、元の話に戻すよ。実は、みんなから毎週集めている「家庭学習の記録」なんだけど、なかなか読む時間がないから、普段は電車の中で読んでコメントを書いてるんだ。座れないときは立ったまま書いているので、字がメチャクチャな時はそういう時だって思って許してください。電車の中でそういうことをしていると、自分が教師だということがばれてしまうけど、まあ、背に腹は代えられないということで、そうしているんだ。
B男:先生、「背に腹…」って何ですか?
E男:お前、そんなこと知らないの?
T:まあまあ、そう攻めなさんな。これはね、大切なこと、つまりお腹側を守るためなら、それより大切でないこと、つまり背中を相手に向けるのは仕方がないということだったと思うよ。じゃあ、話を戻すよ。それで、所沢駅のホームのベンチに座ってコメントを書いていたら、突然あることが起こったんだ。
F男:風でとんじゃった!
T:いや、そうじゃない。となりの人に声をかけられたんだ。
G子:やっぱり女の人だ!
T:ちがうって。実際は、そうだなあ、先生と同じ歳くらいの男の人だった。
S:(「な~んだ」というような顔)
T:で、その人からあることを言われたんだけど、なんて言われたんだと思う?
A男:「何やっているんですか?」
T:う~ん、ちょっとちがうけど、私が「家庭学習の記録」を読んでコメントを書いていたことに興味を持ったことだけは確かだね。
S:(・・・)
T:実はね、「先生も大変ですね」って言われたんだ。
D子:先生、それで何て返事したんですか?
T:いやあ、あまりにも突然だったから、何と答えていいかわからず、(ジェスチャーで)「あ、まあ、どうも」って顔を引きつらせて言っただけだったかな。
S:(笑う)
T:でね、その人とはそれ以上話さなかったんだけど、その後にね、先生はとても良い気分になったんだよ。何でだと思う?
B男:知らない人が声をかけてくれたから。
C子:先生のことを先生だったわかってくれたから。
T:おっ、結構近いぞ。
D子:先生の仕事が大変だとわかってくれたから。
T:おお、かなり核心をついているぞ。でね、今日はその答えを言わないから、何で先生が嬉しかったのかを考えてきてくれないか?
S:ええ~っ!またですか~?
T:ということで、今日はこれでおしまい。
【実際の会話】第3回<展開編> 5/27
T:例の「嬉しかったこと」の件だけど、今日はその続きです。前回、なぜ嬉しかったかを話したけど、覚えてる?
A男:「先生も大変ですね」って言われた。
T:よく覚えていたね。そう、そのとおり。で、なんで嬉しかったかを考えておいてって言ったんだけど、考えてみてくれた?
S:(多くが関心なさそうで疲れた顔)
T:そうかあ。他人の考えていたことなんて興味ないよね。
B男:先生が夜遅くまで駅のホームで仕事をしていたのをその人が理解してくれたからじゃないんですか?
T:君っ、鋭い!ほとんど正解!もしかして、君には人の心を読める超能力がある?
B男:(自信に満ちた笑顔)
T:実はね、自分であんな課題を出しておいて言うのもなんなんだけど、毎週120人もの記録を読んで、それにコメントを書くというのは大変なんだよ。だから、電車に乗っているちょっとした時間も有効に使いたいんだ。それで、そんな結構大変なことをやっていたときに、「先生も大変ですね」って見知らぬ人に声を掛けられた。つまり、自分のやっていることをその人に認めてもらえたわけだ。だから、嬉しかったんだよ。
S:(この時点で関心のある生徒は3分の2ほど)
T:そこで問題です。
S:出た~っ!(英語の授業で生徒に何かを考えさせたい時によく言う台詞だから)
T:そうさ、その「出た~!」さ。今日の話の最後は、またみんなに考えてもらいたいことです。それは、なぜ私がみんなにこの話をしたと思いますかってこと。
C男:先生が自慢したかったから。
D男:先生が嬉しかったことをぼくたちにわかってほしかったから。
T:いやいや、今日はその話をするつもりはないんだ。次回それを言うから、とりあえず今日はみんなにそれを考えておいてもらいたいんだ。
S:(半分くらいの生徒が関心なさそう)
T:では、今日はこれでおしまい。
【実際の会話】第4回<結論編> 5/28
T:過去3回にわたって「私が嬉しかったこと」という話をしてきました。今日はその最終回です。前回、私はみなさんに私が見知らぬ人に声をかけられたのがなぜ嬉しかったのかを話しました。それを覚えていますか?
A男:先生の仕事が大変だということをわかってもらえたから。
T:う~ん、近いけど、ちょっとちがうかなあ。誤解されると困るからもう一度言うね。先生の仕事が大変だということをわかってくれたから嬉しかったんじゃなくて、私がやっていることに関心をもってくれて、さらにそのやっていることを認めてくれた人がいたこと。そして、それをわざわざ私に言ってくれたからなんだよ。
S:(わかったような、わからないような顔)
T:では、前回の宿題なんだけど、先生はなぜこの話をみんなにしたと思う?
B男:嬉しかったことを伝えたかったから。
C子:人に認められることは大切だから。
T:おおっ!あなたは鋭いねえ。実はそうなんだよ。私はね、常々思っているんだけど、人間が「幸せだ」って感じることの1つに「他の人に認められる」というのがあると思うんだよね。つまり、自分が人の役に立っているとか、自分のやったことが誰かに「すごいね」って褒められたとか。例えば、私がね、教師をやっていて「嬉しいな」って思うのは、生徒であるみんなに「いい先生だな」って思われることなんだ。そう思われたいからだけじゃもちろんないけど、そう思われているなと感じるだけで、もっと頑張ろうって思う。
ところで、始業式の時に、副校長先生が1年生の担任団を発表した時に、上級生がなんか言ったと他の組の生徒や先生方に聞いたんだけど、何のことだかわかる?
D男:5組が肥沼先生だって言ったら、3年生が「いいなあ」って言ってた。
S:そうそう、けっこう聞こえた。
T:そうなんだってね。先生は司会をしていて、前のドアの外に出て打ち合わせをしていたから、直接それを聞けなかったんだけど、それを聞いてみんなはどう思った?
E男:生徒に人気のある先生でよかったと思いました。
T:嬉しいねえ。今、先生は2つのことで嬉しいんだよ。1つは、昨年1年間お付き合いした現3年生に認めてもらえる存在であったこと。そしてもう1つは、みんながそれでよかったと思ってくれたこと。つまり、私を認めてくれる人がいたということなんだ。もちろん、それは私が去年1年間で現3年生と認め合えるように努力したこともあると思うけど…。
S:(やや引きながら苦笑いをしている)
T:それでだ。もし、逆の場合だったら、どうだろう?もし、あの時に現3年生が「ゲーっ」とか「かわいそう~」とか言ったのを私が耳にしたとしたら、どうだろうか? そして、それを聞いたみんなの表情が何となく暗くなっていくのが見えたとしたらどうだろうか?私がどう思うと思う?
F子:悲しい。
G男:学校に来たくなくなる。
H男:先生をやめたくなる。
T:そうだろうねえ、おそらく。だから、みんなが肥沼先生を「殺す」のは簡単だ。みんなで私を無視すればいい。例えば、私が教室に入ってきたら、みんなが一斉に後ろを向くとか。
S:(数名がそれをやろうとする)
T:オイオイ、本当にやるなよ。もし、本当にそれをやられたら、もう先生はおしまいだ。そういうことをみんがやったら、その行動のことを何て呼ぶと思う?
S:「いじめ」!
T:そうだ。「いじめ」っていうと、みんなで悪口を言うとか、物を隠すとか、暴力をふるうとかいう行動を指すことが多いけど、より簡単に言うと、みんなで「その人の存在を否定すること」だと言えるんじゃないかな?
C子:そう思います。
T:ということは、最近問題にもなっているし、この間の講演でもお話を聞いた「いじめ」をみんながしてしまわないためには、自分の周りにいる仲間一人一人に対して、その人の存在を否定するようなことを言ったりやったりしないことだと思うんだよね。だから、そういうことをしてしまわないように、仲間の悪いところを指摘するんじゃなくて、できるだけ仲間の良い所を見つけられるようになってほしいと思います。まとめの話をもう少ししたいんだけど、時間がないので、これでおしまいにします。
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