今回は、あしかけ5年間にわたる遺跡の発掘調査のアルバイトをしている間に経験した、記憶に残るエピソードのいくつかについて紹介します。
① えんぴ投げ
発掘作業の中で、最も肉体的につらかったのはシャベル(スコップ)を使った表面はがしの作業であったことは (2) 仕事の内容 と (3) お試しの遺跡の発掘 でお話ししました。
しかし、当時の発掘担当責任者であったSさんもそんな“初心者”たちの気持ちをわかってくれていたらしく、表土はがしという単純な肉体労働を楽しく行う方法も教えてくれました。それは「えんぴ投げ」という遊びでした。
「えんぴ」とは「円匙」(正しい読みは「えんし」)と書き、旧日本軍が使っていたスコップ(シャベル)の別名です。そのえんぴを使って掘った土を遠くへ飛ばす遊びを「えんぴ投げ」と呼んでいました。
これをただの泥飛ばしと思ってはいけません。普通の人がやると、たいてい土はばらばらになってすぐ目の前に落ちてしまいます。筆者やアルバイト仲間の誰がやってもそうでした。ところが、Sさんの土はスコップの形を保ったまま遠くまで飛んで行き、「ドスン!」という音を立てて落ちるのです。しかも、Sさんはそれを前後・左右に回転させたりすることもできます。どうやら考古学者の間では当たり前になっている技のようで、これができないと一人前と認めてもらえないとのことでした。
そこで、筆者もそのやり方を教えてもらい、だんだんと形を保ったまま飛ばせるようになりました。そして、最終的には完全にスコップの形を保ったまま土を飛ばすことができるようになりました(”回転技”はできませんでしたが…)。今でもそのときの“技”は覚えており、何かの機会でスコップを使って土を動かす作業をしたときには、生徒にそれを披露したりしました(笑)。なお、この技は雪かきの雪投げでもやることができます。ただし、あまりやると腰を痛めるので注意が必要です。
② 落雷の恐怖
発掘作業をしている間の最も怖い自然現象は落雷です。周囲にほとんど何もない開けた場所で、金属製品や木製製品を持って作業をしているので、雷に打たれる可能性が高いからです。したがって、雷鳴が近づいてくると作業を中断し、作業小屋へ一時的に避難することになります。
あの日は確か夏休み中だったと思います。西から積乱雲がモクモクとやってきて、いつかは雷雨になるだろうとみんなで話していたところ、案の定、雷鳴とともに土砂降りになりました。ちょうどその時は午後の休憩時間の直前だったので、早めの休憩を兼ねてエアコンのないプレハブの作業小屋に避難しました。みんなでおしゃべりをしながら暑さ対策で開け放たれた窓の外を見ていると、「ピカッ!」という光と「ドドーン!」という音が同時にやってきました。そして、視線の先の、30mほど離れたところにある電柱の上の方から火花が飛び散るのが見え、ほぼ同時に「バンッ!」という大きな音も聞こえて、作業小屋の電気が消えました。
これには普段は陽気な作業員のおばちゃんたちも「キャーッ!」という叫び声をあげて、作業小屋の中が騒然となりました。雷雨が去ってから火花が散った場所を見に行ってみると、電柱の上部にあるトランスが黒焦げになっていました。どうやらそこに雷が落ちたようなのです。後にも先にも落雷の瞬間を見たのはそのときだけなので、今でもその光景は鮮明に覚えています。もしそれが作業中の作業員の誰かに直接落ちていたらと思うと、本当に恐ろしい経験でした。
③ 驚きの霜柱
都会に住む若いみなさんは「霜柱」を見たことがあるでしょうか。60以上前に郊外のベッドタウンに生まれ育った筆者にとっては、霜柱は冬の間の登下校中の楽しみの対象でした。当時はまだ自宅の近くの道は舗装されていなかったので、土の上を石ころを蹴りながら歩くのが日常でしたが、冬の間は道端の畑などに“生えている”霜柱を足で「ザック、ザッグ」と踏みつぶしながら歩くのが楽しかったのです。
ところが、発掘現場に“生えている”霜柱はそのような子供の頃の記憶の“常識”をくつがえすものでした。筆者が知っていた霜柱の高さはだいたい1~2cmくらいのもので、固い氷でもあったので、「ザック、ザック」という感触で踏みつぶせるものでしたが、発掘現場で見たそれは、高さが8~10cmもあり、フワフワのものだったので、踏みつぶしても「サック、サック」という感触でした。大学生にもなっているのに、まるで小学生にように踏みつぶして遊びたくなるものでした。
ただ、その霜柱が掘り終わった遺構に生えてしまっていると大変困りました。それは遺構のエッジや表面が壊れてしまうからです。他の季節でも毎日仕事終わりのときは主な遺構にブルーシートをかけて、遺構が雨や風で崩れるのを防いでいたので大きな被害は防げましたが、シートがかかっていない部分は霜にやられてしまうことがありました。
霜の威力、恐るべしです。
④ 農家のおばちゃんの方言
遺跡の発掘現場のニュースなどを見ると、よく中高年の女性が作業をしているのを見かけます。多くの場合、それは遺跡の近所に住むおばちゃんたちです。筆者がかかわった遺跡でも平均して每日5~10人くらいのおばちゃんたちが働いており、その人たちの多くは農家のおばちゃんでした。大学生の筆者は、まるでおばちゃんたちの“息子”や“孫”のようにかわいがってもらいました。
その農家のおばちゃんたちの使っていることば、すなわち方言が結構面白かったのです。埼玉県入間市は東京都とも接していていて、池袋から西武池袋線で40分くらい行ける東京のベッドタウンですが、農家のおばちゃんたちは今でも昔ながらの埼玉方言を使っており、隣町の所沢市に生まれ育った筆者にとっても、それは聞いたことのない方言でした。
印象に残っている方言としては、文末で「~だんべ」と言うことでしょうか。これは東北地方の方言だと思い込んでいたので驚いた記憶があります。また、自分のことを「おら」または「おらほ」と呼んでいたことも面白かったですね。特に女性が自分のことを「おら」と呼ぶとには驚きました。同じ埼玉県でも東部にある春日部市のヒーロー、アニメ『クレヨンしんちゃん』のしんちゃんも自分のことを「おら」と呼びますが、これも埼玉方言の1つなのでしょう。
<おわりに>
何事も経験で、発掘作業に参加させてもらったおかげで、普段の生活では経験できないようなことを経験せてもらいました。
次回 (6) 遺跡の発掘から学んだこと では、遺跡の発掘作業で学んだことを紹介します。
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