(3) お試しの遺跡の発掘:霞川遺跡

「(1) アルバイトのきっかけ」にあるとおり、友人に誘われるままに初めて携わった遺跡の発掘は、埼玉県入間市にある「霞川遺跡」(かすみがわいせき)でした。今回はそこでの経験をお話ししましょう。発掘作業は1980(昭和55)年4月から9月にかけて行われました。

 

① 霞川遺跡の場所

 霞川遺跡は、同市の中心地から南西へ少し離れた住宅街の近くを流れる霞川(入間川の支流)の南側に広がるなだらかな丘陵地帯の北側斜面にあります(今となっては「ありました」)。

 昔の遺跡の多くは水辺の近くにあることが多く、この地域ではそれが川の近くということになります。川があって、そこの近くに少し高い場所があれば、遺跡のある可能性が高いそうです。

 筆者が初めて発掘現場に行ったときは、すでに発掘作業が始まっており、ブルドーザーで表土がはがされた後でした。周囲は、静岡茶、宇治茶と並ぶ「日本三銘茶」の1つである「狭山茶」(さやまちゃ)のお茶畑で、その一角を掘り起こそうというものでした。

 この土地は、後に入間市立新久(あらく)小学校を建設する用地であると聞きましたが、実際に発掘が終了した1年後には立派な校舎が建っていました(左の地図参照。前出の『入間市の遺跡』より)。

 

② 霞川遺跡の遺構

 霞川遺跡は、縄文時代中期(4,500年前頃)の遺構と平安時代の遺構が混在しているところで、どちらの遺跡かは住居跡の形や出土品で判断するようでした。

 縄文時代の遺構としては、住居跡が5軒、集石土壙が7基、落とし穴が19基、などが見つかりました。一方、平安時代の遺構としては、住居跡10基が見つかりました。

 また、時期不明なものとして大きな井戸も見つかりました。この井戸は最初は手彫りをしていましたが、かなり深くまで掘ったところで、危険を回避する意味もあって、パワーショベルで周囲を崩しながら掘り進めたことを覚えています。

 

(左の遺構図は前出の『入間市の遺跡』より)

 

③ 筆者が取り組んだ作業

(その1)表土はがし

初めて発掘作業に取り組んだこともあり、最初は発掘責任者のSさん(入間市教育委員会社会教育課主事)の指導で、シャベル(スコップ)を使って表土はがしを行いました。高校時代に水泳部で鍛えたはずの体力も受験勉強中にめっきり衰えてしまっていたらしく、この作業はとてもつらかったことを覚えています。まさかこんな“肉体労働”をさせられるとは思っていなかったので、「おい、おい。話がちがうじゃないか…」と筆者や親友のO君を誘った友人に文句を言ったかもしれません(覚えていませんが…)。 

 

(その2)住居堀り

続いて筆者がやらせてもらったのは、住居跡と思われる場所を小さなシャベル(これを業界用語で「移植ごて」または単に「移植」と呼びます)を使って掘り進めることでした。「(2) 仕事の内容」にもあるとおり、表土をはがすと住居跡のところだけ黒い土でおおわれているのが見えてきます。つまり、その部分だけさらに低く掘られているということです。

 

そこを注意深く掘っていくのですが、しばしばシャベルの先に何かが当たるのがわかります。多くの場合は単なる小石ですが、たまにそれが土器であったりします。住居跡にある土器は単なるかけらではなく、完全な形のものも多くあります。それは、以前に生活していた時のものがそのまま残っているからです。そういうものが見つかると、その先は竹串やはけを使って丁寧に土をどかして全体像を出すようにしていきます。

 

また、たまに赤茶けた土が出てくることがあります。それはたいてい焼土です。つまり、その部分がカマドであった可能性が高いというわけです。カマドの可能性があれば、その周囲にはそれを囲う石がある可能性があります。さらにカマドの中には煮炊きに使った土器が入っていることがほとんどなので、一層丁寧に掘り進めていかなくてはありません。

 

④ 出土した遺構と遺物

見学会で公開された縄文時代の住居跡

※中央に石で囲まれた炉があり、周囲に五角形の柱の穴がある。

平安時代の住居跡

※住居の形は縄文時代の丸形に対して方形がほとんどだと言う。左にカマドがある。


出土した縄文式土器

※ぶつぶつ模様は写真のせい

出土した土偶の胴体部

※ぶつぶつ模様は写真のせい

出土した丸瓦

※ぶつぶつ模様は写真のせい


以上、『入間市の遺跡』(入間市教育委員会)より

 

須恵器(平安時代)

須恵器(平安時代)

瓦(平安時代)

※赤い矢印に「山」の文字


以上、入間市博物館ALIT展示室の「霞川遺跡」出土品

 

<おわりに>

このようにして、いわゆる「発掘作業」と思われる活動を経験させてもらうと、この作業の面白さがわかってきます。アルバイト代はとても安かったですが、学ぶことも多かったので、仕事の量に対して損をした気はしませんでした。

 

最初の発掘場所は約半年で作業が終了しました。しかし、機会があればさらにやってみたいという気持ちになりました。そして、その機会はすぐに訪れました。

 

次回 (4) のめり込んだ遺跡の発掘:板東山遺跡 では、発掘調査に本格的に参加したときのことをお話しします。

 

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