文京区ぶらり旅⑥:大河ドラマ『いだてん』ゆかりの地

平成31(2019)年1月から令和元(2019)年12月にかけて放送されたNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリンピック噺~』は、文字通りの東京を舞台にして、前半は日本人で初めてオリンピックに参加した金栗四三(かなくりしそう、演:中村勘九郎)を主人公に、後半は日本にオリンピックを招致した田畑政治(たばたまさじ、演:阿部サダヲ)を主人公にして、日本がどのようにして東京オリンピックまでたどり着いたのかを、数々のオリンピックにまつわるエピソードとともに描いた作品です。同ドラマは「大河ドラマ史上最低の視聴率をとった」などと揶揄され、見ていた人の多くが早々と離脱したと聞きますが、筆者のように一話も欠かさずに最後まで見ていた人にとってはとても面白い物語でした。

 

同ドラマは明治から昭和までの東京を舞台にしていたことから、本校の関係者や本校にゆかりのある場所などが多く出てきました。特に、前半の舞台は本校の母体・筑波大学の前身である東京高等師範学校であったため、ほぼ毎回のように「この人、知ってる!」「この場所、見たことがある!」という声を上げながら番組を見ていました。

 

そこで、今回はこのドラマに出てくる本校またはその母大学にゆかりのある場所を紹介します。なお、同ドラマに出た本校関係者(教員、卒業生)はすでに「つぶやき」コーナーの「35. 『いだてん』と勤務校関係者」「89. 『いだてん』つながり」で紹介してありますので、そちらを参照してください。

 

ゆかりの地の関係地図①:大塚地区(東京高等師範学校 新校舎付近)

⓪本校 ①筑波大学東京キャンパス ②嘉納治五郎像(占春園) ③金栗足袋発祥之地の碑

 

① 筑波大学東京キャンパス(旧東京高等師範学校跡)

筑波大学(本部:茨城県つくば市)は1973年に開学した、国立大学としては比較的新しい大学です。しかし、その元になった東京教育大学(1949年)、そしてその前身である東京高等師範学校(1886年)、さらにその前の高等師範学校(1872年)までさかのぼれば、日本で最も古い大学群の1つです。『いだてん』の前半の主人公である金栗四三(かなくりしそう)が大学に進学したのは1910(明治43)年ですので(卒業は1914年)、物語の舞台となったのは東京高等師範学校ということになります。

 

その東京高等師範学校は1903年に文京区湯島から文京区大塚に移動しました。金栗の在学期間からするとそれは大塚校舎ということになり、その場所こそ現在の筑波大学東京キャンパス(地図の①)のあるところです。

正門から見た東京キャンパス校舎

東京高等師範学校校舎 ※大塚新校舎

(1913年の卒業アルバムより)


東京高等師範学校の正門 ※1930年頃

 1929(昭和4)年に高等師範の専攻科を母体に東京文理科大学が創立されましたが、師範学校も並行して存在し続けたため、当時は正門にもそれぞれの名前が左右別々に入っていました。現在の東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷」駅前付近の春日通り上にあった都電(16番系統)の駅名が当時は「文理科大学前」となっていたのはそのためです。1949年に両者が東京教育大学に統合されてからは、駅名も「教育大学」になりました。

↑1930(昭和5)年頃の東京高等師範学校の平面図

 中央上に附属小学校、その右に占春園、中央下に附属中学校(L字型の校舎)がある。

 

ところで、この東京高等師範学校は元々は現在の東京医科歯科大学がある文京区湯島にありました。そのことについては、本コーナーの「③湯島聖堂(昌平坂学問所)」のページや「[スピンオフ]附属中学校の敷地の変遷」を参照してください。その師範学校は1903(明治36)年に文京区大塚(当時は小石川区大塚窪町)、つまり上記の場所に新校舎を建てて移転しました。したがって、『いだてん』の前半の舞台である東京高等師範は、文京区湯島ではなく大塚の新校舎の方です。

 

② 嘉納治五郎像(占春園)

占春園にある嘉納治五郎像


 

『いだてん』の中で、1940年の“幻の”東京オリンピックの招致に関して重要な役割を担った嘉納治五郎は、「柔道の創始者」や「日本の体育の父」として知られています。前者としては、“柔術”をより競技性の高い“柔道”へと進化させ、講道館を設立して柔道の普及に努め、現在世界中でスポーツとして行われる柔道の基礎を作りました。後者としては、東京高等師範学校の校長を断続的に計25年も務める傍ら、日本人として初めて国際オリンピック委員会(IOC)の委員となり、大日本体育協会(のちの日本スポーツ協会)を設立して、日本の体育教育の基礎作りと発展に努めました。

 

また、当時は東京高等師範学校の校長が附属中学校の校長も兼務していたので、氏は本校の校長としも長く本校に関わった人でした。したがって、本校では今も何かにつけて氏の「精力善用、自他共栄」ということばとその理念が生徒に紹介されています。

 

さて、その嘉納治五郎の銅像が、筑波大学東京キャンパス内にある「占春園」(せんしゅんえん)という場所(地図の②)に立っています。ただし、周囲より一段低く、都内の一等地にあるのが信じられないくらいうっそうとした場所の池のほとりにあるので、敷地内は自由に出入りできるにもかかわらず、散歩をしている人たちもそれと気づかずに通り過ぎて行っているようです。

 

銅像の左横にある碑(上の中央の写真)には次のように書かれています。

 

嘉納治五郎先生像

 

明治二六年九月より、大正八年まで、再度にわたり通算二〇余年の長きにわたり、東京高等師範学校長の要職にあられ、わが国師範教育の振興に大きな功績を残された。また講道館柔道の創始者、国際オリンピック委員としての活躍と功績は、あまりにも有名である。(昭和三三年一一月再建)

 

昭和五七年一〇月一日

筑波大学

 

『いだてん』を製作したNHKは、NHKアーカイブスで嘉納治五郎に関する短い動画を公開しており、以下のYouTubeでそれを見ることができます。なお、ドラマでは嘉納の役を役所広司が演じており、そのために実際の人物よりかなり背が高くてがっしりした人のイメージがつきましたが、実際には小柄な人であったことがわかります。

 

第1回『嘉納治五郎』AIで彩るいだてんの時代【NHKアーカイブス】 - YouTube

 

ところで、この銅像がある「占春園」は、徳川光圀の異母弟、松平頼元が1659(万治2)年に上屋敷を構えたときの庭園の名残だそうです。先述のとおり、周囲とはやや趣の異なった場所であるのは、そのような事情でこの場所が保存されているからだということがわかります。

 

③ 金栗足袋発祥之地の碑

ビルの壁に埋め込まれた碑版

エアコン室外機の左の壁に碑版がある


 

ドラマでは、主人公の金栗四三の下宿先として、そして金栗が長距離走を走るための特別なマラソン足袋を作ったお店として、「播磨屋」という足袋屋が登場します。金栗が日本人として初めてストックホルム・オリンピック(1912年)に参加したときにそのマラソン足袋をはいて走ったことから話題となり、以来マラソン用の足袋やスポーツシューズを生産するお店として有名になりました。

 

「播磨屋は1902(明治35)年に職人の足袋を中心に、手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)、猿股(さるまた)などの製造販売を行う専門店として、東京高師近くで創業した。」(『NHK大河ドラマ・ガイド  いだてん 前編』NHK出版、p.138)とあるとおり実在したお店で、戦後は「ハリマヤ運動用品株式会社」として「ハリマヤ」ブランドのスポーツシューズを生産していました。しかし、1990年に生産を終了し、お店も撤退しました。

 

さて、その「播磨屋」があった場所(地図の③)に1982年に碑が建ちました。碑版といっても、独立したものではなく、お店があった場所に新たに建てられたビル(筆者が訪れたときは1階がお弁当屋になっていました)の外壁に埋め込まれているものです。件のドラマが放送されたことによって改めて注目され、文京区が配付した『いだてん』関係のパンフレットにもこの場所が記されています。

 

碑版には以下のように記されています。

 

1982 OCT. セキスイハウス

  金栗足袋発祥之地

    黒坂辛作 

        長治郎 印

 

碑版に刻まれている「黒坂辛作」(くろさかしんさく)とは、件のドラマにも同名の登場人物として出ていた、金栗四三がお世話になる足袋屋「播磨屋」の主人のことです。ピエール瀧(のちに三宅弘城)が演じていた役と言えば覚えている人も多いでしょう。件のビルを地図で見てみると、ビルの名前は「黒坂ビル」となっており、おそらく黒坂辛作の子孫が所有しているビルであると思われます。 

  

戦後のハリマヤ本店

(「金栗足袋本舗」とある)

※店名が右からなので戦前かも

ドラマの「播磨屋」の店内

※右が“初代”辛作を演じたピエール瀧、左が金栗四三を演じた中村勘九郎

ドラマの「黒坂辛作」(右)

※“二代目”辛作を演じたのは三宅弘城


 

ゆかりの地の関係地図②:後楽園付近

◎講道館 ※すぐ北の「ローソン」がある場所は現在地に移る前の旧講道館があったところ

 

◎講道館

講道館は、1881(明治15)年に嘉納治五郎によって創設された柔道の総本山です。筆者のように柔道の経験がない者でも、小さい頃から柔道関係のドラマやアニメなどに度々出てくる場所として、その名前はしっかりと脳裏に刻まれていました。本校に勤務するようになって、嘉納治五郎の名前や功績を改めて聞くようになってから、再びその名前を耳にすることが多くなりました。

 

ドラマ(『いだてん』)では、講道館が直接取り上げられる場面はあまり無かったと思いますが(柔道場で柔道をとっているシーンが何度かあったと思いますが、それが講道館であったかは覚えていません)、嘉納治五郎とは切っても切れない場所であり、先述した文京区の『いだてん』ゆかりの地のパンフレットにも載っているので、本ページでも紹介することにしました。なお、茨城県水戸市にある有名な「道館」(こうどうかん)とは一文字ちがいの同音ですが、特に関係はありません。

 

創設当初は下谷北稲荷町(現・台東区東上野)に置かれましたが、数度の引っ越しを経て現在の場所に落ちつきました。地図(◎印)でもわかるとおり、文京区役所が入る文京シビックセンターという高層ビルのすぐ裏手にあります。東京メトロ丸ノ内線の「後楽園」駅(地図①の「茗荷谷」から東京方面へ1駅)のすぐ近くで、同線が地下鉄では珍しく高架を走っているところなので、池袋方面からの電車では、駅を出てすぐ左手に同館が入るビルを見ることができます。

 

同館は本館と国際柔道センターの2つのビルで構成されています。後者には柔道関係の歴史がわかる資料館(室)などもあり、誰でも無料で見学することができます(平日10:00~17:00)。丸ノ内線の線路を挟んで東京ドームの反対側にあるので、何かのイベント等で東京ドームに出かけたときは、ついでに寄ってみてください。 

 

☆同館ホームページ:講道館トップページ (kodokanjudoinstitute.org)

 


右:講道館本館

左:講道館国際柔道センター

本館前の嘉納治五郎像

国際柔道センターの2階にある資料館(上)と師範室(下)。無料で見学できる。


 

以上で今回のぶらり旅は終わりです。次回もお楽しみに!(2/25/2023)

 

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