家系図 パート2

前回の「81. 家系図」では父方の家系図ができあがるまでのエピソードをお話ししました。今回は母方の家系図作成にまつわるエピソードです。

 

実は、家系図作りの実際の作業の開始時期は父方より母方の方が先でした。それは父が亡くなった年の夏に、気落ちしている母を励まそうと、母の生まれ故郷である京都の大文字焼きに連れて行ってあげたからでした。そして、母が2歳の時に父親(筆者の祖父)が亡くなって京都を離れて以来、一度も京都を訪れたことがなかった母を、生まれた場所に連れて行ってあげたかったからでした。そのために母の戸籍を京都市役所(上京区役所)で取りました。京都は先の大戦中も戦火を逃れたので、古い戸籍もしっかり残っていました。

 

それにしても京都の住所というのは面白いですね。縦横の通りの場所さえわかれば誰でも目的の場所に行くことができる古い表示方法が残っています。すなわち、2つの通りの交差点を探し、次に「上ル」か「下ル」で少し南北(御所に近づくことを「上ル」、離れることを「下ル」)に移動し、最後に「東入ル」か「西入ル」で東西に移動すれば目的地周辺に着きます。あとは具体的な番地を探すだけです。

 

このときも、そうして目的の場所(上京区大宮通寺之内下ル東入ル西北小路町)に難なく着きました。その場所には西陣織のお店がありました。その場所は西陣会館のすぐ裏だったこともあるでしょう。実は母の父親も西陣織の職人だったそうなので、偶然とはいえ驚きました。

 

このときは、ご近所を訪ねて、当時(昭和初期)のことをご存知のかたを探しましたが、それが可能な年代の方はみな亡くなっているか施設に入っているかで、有力な情報は得られませんでした。

 

その後もう一度、大阪に出張した帰りに京都に寄って調査をしましたが、思ったような進展はありませんでした。そこで、母が生きているうちになんとか解決させようと、平成30(2018)年8月に母の戸籍に書かれているすべての場所を訪ね歩く旅を1泊2日で敢行しました。

 

訪ねた場所は26年前に訪ねた母の生誕地、母の父親の実家の場所、その父親の実家の場所などでした。これらの場所を確定するために、京都市の下京図書館、歴史資料館、下京区役所、法務局にも情報を得に行きました。いずれの場所でも来館の趣旨を説明すると、とても親切に対応してくださいました。お世話になった学芸員の方をはじめとする市職員や法務局員の方には本当に感謝しています。

 

しかしながら、調べた内容が85年以上も前のこともあって、既知の情報(戸籍の情報)以外に母の親戚に関する有力な情報は得られませんでした。せめてもの救いは、当時の該当場所の絵図やそれぞれの場所で撮った写真を施設に入所している母に見せてあげられたことでしょうか。ただ、息子以上に(?)頭がしっかりしている母も、息子がなぜそこまでこだわりを持ってそんなことを調査しているのかはわからないようでした。

 

もう少し考えればさらに何か探せそうなこともあるでしょうが、現時点では一旦調査活動は終了したいと思っています。

 

なお、母方の家系図も名前や住所の詳細を隠してPDFで上げておきます。さらに、こちらには施設で暮らしている母のために作った「報告書」もあるので、それも上げておきます。前回も最後に書きましたが、みなさんもご自身の家族の家系図を作ってみてはいかがですか?

 

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母関係家系図2(HP用).pdf
PDFファイル 39.8 KB
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母のルーツを探る旅3の記録(HP用).pdf
PDFファイル 619.1 KB