大学院に通うということ(その4)

「大学院に通うということ」シリーズ第4弾です。今回は英語教育以外で取った授業のいくつかについてお話しします。

 

大学院を修了するには自分の専攻の授業以外に「共通選択必修科目」が2つありました。それ以外にも他専攻の授業も取ることができたので、修了に必要な単位は英語教育ではなくそちらでかせぐことにしました。

 

そうして取ったのが、①「多言語多文化教育特論」、②「教科情報教育方法論」、②「教育相談演習Ⅰ」の3つの授業でした。このうちの②と③について印象的だったことをお話しします。

 

② 教科情報教育方法論

この授業は、修士論文を書くのに必要な統計学の基礎を学ぶ授業でした。すでに英検の助成研究の報告書を書くために統計学は本で自学自習したことがあってある程度の知識は持っていたのですが、再度きちんと学んでおきたいと思ったからです。授業内容はどちらかというと統計学の初心者向けだったので、自分がやってきたことを追認してもらったような授業でした。

 

授業内容よりも印象的だったことがありました。それは同じ授業を80歳の女性が取っていたことでした。その女性は元小学校の教師で、定年後20年経ってまた勉強がしたいと大学院に入り、修士論文を書くために統計を学んでいたのです。とても穏やかなレディーという感じの女性でしたが、それでも現役当時の姿を想像させる気丈さがにじみ出ている方でした。もちろん、その歳の方が学んでいるわけですから、その約半分の年齢(当時)の筆者が怠けるわけにはいきません。その人の存在感に尻をたたかれた気がしました。

 

③ 教育相談演習Ⅰ

この授業は、教育心理の一分野で児童臨床心理を学ぶ授業でした。先生は「場面緘黙」を研究されている第一人者の方で、テレビ等にもよく出ている先生でした。したがって、講義でありながら、ご自身のそれまでの実践を映像で見せてくださったので、単なる机上の論理ではなく、実践的な内容を学ぶことができました。

 

「場面緘黙」とは、ある一定の条件下になると口を閉ざしてしまう子供の状態を指します。家族とはよく話すのに学校ではまったく口を開かない子供がその典型的な例です。そうした子供の気持ちに寄り添い、現場の先生方と協力してその子供を支援していく実践について学びました。長期取材の対象となった児童が先生方の指導でだんだんと心を開いていき、最終的には仲間と話ができるようになっていく姿を見て、涙が出てくるほど感動したのを覚えています。

 

大学院は主に自分の専門分野を深める場所です。しかし、教員であることを考えると、単にその教科だけでなく、教育全般のことについて理論と実践を学ぶことができるのが、大学院に行く魅力の1つだと思います。

 

次回(第5弾)は最終回で、修士論文のことについて取り上げます。(10/24/2020)

 

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