大学院に通うということ(その2)

「57. 大学院に通うということ」でご紹介したとおり、筆者は1998年~2000年に東京学芸大学大学院教育学研究科に通いました。前回は進学を思い立ってから入試に合格するまでのことをお話ししましたが、今回は入学してからのことをお話ししたいと思います。

 

大学院生活の話に入る前に、読者の方の多くが思っているであろう「現職を続けながらどうして大学院に通うことができたのか?」という疑問に答えたいと思います。もちろん、そこにはいくつかの好条件の重なりがありました。

 

① 校務の配慮

前回も書きましたが、校務の仕事軽減は一切ありませんでした。しかし、1つだけ管理職にお願いしたことがありました。それは、修了に必要な授業の多くが木曜日にあったので、木曜日を研修日として学校の授業を空けてもらうことでした。これによって木曜日は朝から4つの授業を取ることができました。もっとも、そのためには朝と帰りの学活を担任団の先生にお願いしなければなりませんでしたが、それも快く引き受けてくださいました。また、木曜日だけで単位をそろえられるわけではないので、その他の日に1~2日は勤務時間の修了(17:00)と共に学校を出て1時間かけて大学へ向かって、5限(18:00~)と6限(19:40~)の授業を取りました。もちろん、行事等がある場合はそちらを優先したので、大学院の授業を欠席するということは何回かありました。

 

② 大学の配慮

そもそも前年度より現職教員を受け入れやすいように授業時間帯を変更してくれたくらいですから、実際に授業が始まってからも“目に見えない”配慮がありました。まず、行事等で欠席しなければならないときはあらかじめ相談しておけば、課題提出の猶予や発表日の変更などに柔軟に対応してくれました。また、現職の強みが活かせる場面(例えば勉強している内容が実際の学校現場ではどう活かせるか・活かされているかということを知りたい場合)では、ゲスト・ティーチャーのような立場で活用してもらい、それを評価してもらいました。さらに、筆者の場合は学生時代にアメリカの大学に留学していた際に1つだけ取った大学院の授業の単位をこちらの大学院の単位に認めてもらえたために、本来なら受講すべき授業を半年分免除してもらいました。これは通う日を一日減らすことにつながったので、大きな負担軽減でした。

 

③ 勉強時間の確保

実はこれが一番大変なことでした。まず、教科書等の本や資料を読む時間は基本的に通勤・通学電車の中でした。幸いにも(?)、通勤は片道約80分、通学は片道60分電車に乗っていましたので、その間が主な勉強時間でした。そして、主に土日はレポート等を書く時間に費やしました。これは④の家族の協力があってこそだったと思います。ただ、校務をきちんとこなすことを優先していたので、それ以上の勉強時間を確保するのは難しく、大学の図書館に行ったのはなんと2年間で一度きりでした。つまり、課題はできる範囲でできることをやると割り切る一方、その範囲でできる最大限のことを効率よくやるという姿勢で臨みました。大学の先生も現職の教員の事情はよく理解してくださっていたので助かりました。

 

④ 家族の理解

最後に忘れてはならないことを1つ。大学院に通ったのは20年以上前のことではありましたが、それ以前もすでに一日12時間以上仕事をするのが当たり前になっていて、家族、特に妻の協力が無ければ仕事を続けられない状況でした。そこにさらなる負担増の可能性があった中で、妻に入学を承認してもらいました。ただ、大学院の授業を終えて帰宅すると夜10時を過ぎることが多かったのに、それでも普段無制限に仕事をしている日よりも早く帰宅するという“珍現象”がありました(笑)。また、国立大学と言っても学費(当時は入学金20万円、学費42万円/年)もばかになりませんし、自宅-職場ー大学院を結ぶとほぼ三角形になる間の交通費も通勤定期以外の支出が増えますので、家計への負担増も了解してもらいました。

 

以上のような好条件があったからこそ大学院へ通うことができたのですが、自分でそれらの条件を引き出す努力をしたからこそ実現だきたとも思っています。「自分にはそんな環境の余裕はない」と思っている方も改めてそれらを見直してみて、少しずつそれらを自分の方に引き寄せてみる努力をしてみてはいかがでしょうか? 案外、それまで自分が思っていた以上に周囲の理解が得られるかもしれません。

 

今回はここまでとします。次回は筆者が実際に取った授業についてお話ししたいと思います。(8/29/2020)

 

◇その3(大学院の授業①:英語教育関係)へ 

◇「大学院に通うこと」のメニューページへ

「つぶやき」に戻る

「ホーム」に戻る