ロイロノート用の教材作成が大変で新規記事をなかなかアップできないので、既存のものを追加できないかと各項目を点検していたところ、「研究論文」のページの「1. 学位論文」のコーナーに学士論文をリストしていなかったことに気づきました。そこでその現物を探していると、書斎の本棚ではなく寝室奧の書棚で発見しました。今回はそれをアップしました。なお、きっと今はお忙しいであろう先生方向けではなく、少し余裕のありそうな学生さん向けです。その理由はこの後わかります。
原本は大学の学生控室の書庫にあるのですが、今から30年くらい前にわざわざ大学へ行って原本をコピーしてファイルしてあったので、それをコピー機で読み取ってPDFにしたものです。文字が少々薄いのは、元々がタイプライターで打った文字であることに加えて、当時のコピー機の性能の低さ(文字を濃くしようとすると周囲の紙のザラザラ感が目立ってしまうので薄くコピーした)によるものです。
(1) 本論文に見える"筆者らしさ"
さて、それを改めて見直してみると、いかにも筆者らしい論文であることがわかります。また論文執筆への道のりも今の自分の行動に似通っているということを改めて感じました。それぞれどういうことかと言うと…。
① 目立ちたがり屋
個人のホームページを作成して自分の実践等を公開しようという時点で、筆者がいかに目立ちたがり屋であるということはおわかりだと思います。そしてそれは、すでにこの卒業論文にも表れていました。
当時、筆者の大学の教育学部英語科では卒業論文を英語で書いていましたが(現在は必修ではないそうです)、仲間や先輩方への失礼を承知で言えば、多くの学生は「仕方なく」 書いているというのが実態でした。先輩方の話では、毎年多くの学生が30ページほどの論文を提出していたとのことで(当時はまだ卒業論文は各教授の研究室にあり、学生が自由に見ることはできなかったので、話に聞くしかありませんでした)、過去最高は"英語科史上最も優秀であった"と言われていた先輩の80ページとされていました。その先輩は残念ながら卒業後数年で病気で亡くなられたこともあり、後輩たちにとってその数字はもはや"聖域"と思われていました。
ところが、何を血迷ったか、筆者はそれを越えて自分が一番になってやろうと思ってしまったのです。しかも、どうせ越えるなら大幅に超えてやろう…。そして完成したのが、総ページ数159(資料等を含む)という、"聖域"の約2倍の量の卒業論文でした。もっとも、現物を読んでいただければわかるとおり、ダラダラと余計なことを書いたり資料を付けたりしているからその量になったわけですが…。
② 心配性
私は大変な心配性です。おそらくそれは母譲りです。特に、自分が責任をもって任されたことは、締め切りまでに終わらなかったらどうしようと常に考えています。したがって、何事も早めに、かつ計画的に行おうとします。校務の書類や公務外の原稿(雑誌記事等)は、依頼されたらすぐに書いて提出してしまいます。締め切りぎりぎりに出すということはほとんどありません(「忘れていた!」というときを除く)。本ページの記事も、ネタさえあればかなり前に書き上げてあります。現在新規記事をアップできないのは、ネタ切れと遠隔授業の教材準備が平常時以上に忙しいからです(汗)。
その心配性は、すでに卒業論文の提出時には培われて(?)いました。すでに大学を卒業なさった方の多くは、おそらく卒業論文を締め切りのぎりぎりに提出なさったのではないかと思いますが、筆者はあれだけの(どれだけの?)長編であった論文を締め切りの約1ヶ月前に提出してしまったのです。提出期限は卒業年度の1月末でしたが、筆者は最初から年内に書き上げてしまおうと計画してそのとおりに完成させ、年明けすぐに提出しました(論文の日付は「1月25日」)。当時はタイプライターで文字どおり「打っていた」時代でしたので、字句修正や文章の書き直しにも大変な手間がかかりました(語句以上の修正は新しい紙に打ち直さなければなりませんでした)。しかし、それも「卒論が終わらなくて卒業できなかったらどうしよう…」という心配をしていたからなのです。
もっとも、その心配性は子供の頃からあったわけではありません。例えば、小学生の頃は毎年夏休みの宿題が終わらず、8月末に母親に手伝ってもらっていたくらいでした。それが、中学生になった時に計画を立てて勉強することを学び、計画的に物事を運ぶことが自分にとって心地よいと悟りました。そして、高校生の時に自分で自分に勉強のノルマを課して、自主的に勉強することに安心感を覚えたのです。そうした経緯があって、大学生の時には現在に通じる心配性が身について(?)しまいました。
(2) 本論文の工夫点
この論文を書くにあたっては、3つの工夫をしました。1つは、英語の論文によく使われる表現を海外の論文や書籍から借りること。2つ目は、論文の中で主張する内容を実際に授業で実践し、その結果も載せること。そして3つ目-これはそれほど重要ではないのですが-は、表紙や各パートなどの題字をレタリングで見た目をよく仕上げることでした。
1つ目については、前年度から当該年度にかけてアメリカの大学(ネブラスカ大学オマハ校)に1年間留学していたことが役立ちました。もともとあまりマニュアル本に頼るのは好きではな性格なので(男性に多い傾向です)、大学の勉強と並行して、論文に使える表現集を独自に蓄積しました。具体的な方法は、教科書や論文を読んでいるうちに「これは使えるな…」と思った表現を見つけたらタイプライターでカードに打ち、機能毎に分けたラベルのところにためていくというものでした。1年間もやっているとけっこうな量のカードがたまりましたので、論文を書いている最中によくそれを参照して使いました。ただ、それらの借り物表現と筆者自身のつたない表現がややミスマッチのところがあるのが恥ずかしい点です。
2つ目については、論文を単なる理論集やアイデア集で終わらせないという、その15年後に書いた修士論文にもつながる思想を初めて具現化したことでした。具体的には、1年早く教壇に立っていた親友が務める高校で授業をさせてもらうという方法をとりました。もちろん、その時点ではまだ教員免許を取得しおらず、正式には授業を単独ですることはできなかったので、当該校の校長先生に直にお願いして、親友を教育実習の指導教官のような立場にすることで、授業をすることを許可してもらいました。論文の後半にその時の指導内容とその結果(生徒のアンケート回答)が載っています。
3つ目については、今の学生さんにとっては「?」なことでしょう。おそらく現物をご覧になってもそれはわからないと思います。上述したとおり当時はタイプライターで論文を書いていた時代で、その数年後に登場するワープロ(ワード・プロセッサー)もない時代です。ましてや、パソコンで論文を書くなどということは思いもよらない時代でした。つまり、タイプライターの文字以外のフォントや文字の大きさなどは表現できなかったのです。そこで、特に目出させたい題字や項目名は転写式のレタリングを施しました。要するに、1文字1文字転写シートにある文字をこすって貼り付けたのです。ずれたり曲がったりすると格好が悪いので、定規を使って慎重に作業を行いました。この辺りにも先述の「目立ちたがり屋」が出ていますね。それから、罫線も引けないので、表の線はすべて手書きです。
○終わりに
「忙しくて新規記事を書けない」と言っていながら、すでに本"つぶやき"は記事並みの長さになってしまっていました。自分の思いをつれづれなるままに書き綴るくらいの余裕はあったということですね。最後になりましたが、読者の方が学生さんであれば、今回ご紹介する論文(「研究論文」のコーナー参照)を卒業論文の参考にしてみてください(参考にならない?)。 (6/13/2020)
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