“名人”との再会

先生方は、自分と比べて教科指導の教員としての腕前がはるかに高い先生(ここではそれを「授業の名人」とします)と出会ったことがあるでしょうか。筆者は、長年いろいろな研修会に参加してきたこともあって、これまでに全国で活躍する何人もの授業の名人に出会ってきました。特に、30代後半に自分の指導の方向性に悩んでいた時期に出会った、全国にその名を轟かせていた綺羅星のような授業の名人には、自分の教育観を大きく変えられるほどの影響を受けました。

 

そのときに学んだことは、当時現職を続けながら通っていた東京学芸大学大学院の修士論文にまとめてありますが(論文は「研究論文」のコーナーでお読みいただけます)、その研究対象の一人が富山県砺波市立中学校に勤められていた中嶋洋一先生でした。

 

中嶋先生は、当時から「名人中の名人」として全国にその名を知られていた先生で、公開授業があれば全国から参観者がやってくるというほどの先生でした。1999年10月の研究授業の前に、「近い将来に管理職になりそうだから、おそらく現役最後の公開授業になるだろう」という噂が全国を駆け巡ったときは、筆者も年休を取って夜行バスで公開授業に駆けつけました。

 

中嶋先生はその後まもなく管理職になられ、さらに数年して関西学院大学の教授へと転身なさって後進を育てるとともに、全国の悩める教師の救世主として活躍されました。そして昨年その仕事を退職され、現在はかつて住んでいらした埼玉に活動の場所を移して、「英語“わくわく”授業研究所」の主宰や「中嶋塾」の塾長として活動されています。

 

その中嶋先生に、先日十数年振りにお目にかかりました。先生が主催なさっている中嶋塾の特別例会に筆者を講師として招いていただいたからです。実は、本年8月に行われた英語授業研究学会全国大会のシンポジウムで中嶋先生とは同じシンポジストとしてお目にかかる予定だったのですが、筆者が急に入院してしまって、そのときはそれが叶いませんでした。また、11月には前任校で行われた中嶋塾の研究授業でもお目にかかれる機会があったのですが、こちらも筆者の体調不良で実現しませんでした。今回は、“三度目の正直”だったわけです。

 

久しぶりに振りにお目にかかった中嶋先生は、以前とまったく変わらずパワフルなオーラを発する方でした。実は、前回お目にかかったときは中嶋先生と一対一で話をしたのですが、先生の話を聞いていると自分が引き込まれてしまいそうな“恐怖”すら感じたものです。かつて中嶋先生の生徒たちは先生のことを「中嶋教の教祖様」と呼んでいましたが、教祖とはこういう人のことをいうのかと納得した覚えがあります。

 

流石に筆者も年齢を重ねたせいか、今回はそのようなことは感じませんでしたが、それでも中嶋先生が発する一言一言は筆者の心に響きました。自分が目標とする人と同じ時間を過ごせるというのは本当に嬉しいものです。

 

久々の「授業の名人」との再会でした。(12/17/2023)

 

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