エピソード37⑥:二度目の採用試験

「エピソード37」シリーズの第6弾です。今回は前回同様に教職4年目のできごとについてお話しします。

 

「143. エピソード37④:高から中へ」にも書いたとおり、埼玉県の県立高校から埼玉大学教育学部附属中学校に異動するには異動後に「埼玉県の中学校の教員採用試験を受けて合格すること」という条件が付いていました。もちろん、異動してしまった後のことですから、実際には採用試験を受けなくても首になるということはなかったと思います。

 

「国立大学の附属中学校に異動するのに、なぜ県の採用試験に合格する必要があるのだ?」という疑問を持たれた方もいらっしゃるでしょう。それは次のような事情があるからです。

 

当時、全国のほとんどの国立大学の附属学校園では独自の教員採用を行っておらず、その学校がある都道府県の教員を“人事交流”のような形で採用していました。そして、ある程度の年数を附属学校園で過ごした後に都道府県の教員に戻るという人事が取られていました。埼玉大学の場合も同様です。おそらくこれは、多くの国立大学の教育学部がもともとその都道府県の「師範学校」であったということにも関係していると思われます。つまり、国立大学の附属学校園は教師の卵を育てるところであり、その指導者となる教員を交代で務めさせる場所でもあるというわけです。

 

筆者が県の教員採用試験を再度受けさせられることになったのは、この人事交流のためです。つまり、筆者は高校の教員採用試験には受かっていても中学校の教員採用試験には受かっていないので、将来県に戻る時に中学校の教員には戻れないであろうという予測があったからなのです。そのまま高校に戻れば問題が無さそうですが、中学校と高校では人事の管轄が異なるので、高校を”退職”してしまった筆者は中学に戻るしかなく、その時点ではそれさえもできない状態になってしまっていたのです。

 

そこで採用試験を附属中に赴任した初年度に再度受験したわけですが、ここでいくつかの“問題”がありました。

 

まずは、附属中の副校長に笑顔で「全ての面で一番の成績で合格すること」などとプレッシャーをかけられたことでした。いくら現役の学生たちに比べれば経験があるとはいえ、全ての面で一番の成績を取るなどという自信はありません。まったく新しい環境下に置かれたことやそのようなプレシャーがあったからか、5月の連休明けに体調を崩してしまいました。

 

次は、自分が指導したばかりの元教育実習生と一緒に採用試験を受けなければならなかったことです。当然のこととして予想していましたが、試験場で出会った元実習生はみんな目を丸くして、「肥沼先生、どうしてこんなところにいるんですか?」と質問してきました。その度に、「いやね、実は事情があって…」とそれを説明しなければなりませんでした。

 

そして、二次試験以降に何度かあった面接でもこの特殊な状況を何度も説明しなければならなかったことも面倒でした。面接官の先生(おそらく校長や指導主事)までは事情が知らされていなかったらしく、「あれ…? 肥沼さんは附属中の教員をなさっているのになぜこの試験を受けているのですか?」というような質問に何度も答えなければなりませんでした。

 

ところで、実際の採用試験の方は事前に考えていたよりも順調に進みました。一次試験で落ちてしまったら大変なことになったでしょうが、そちらはパス。二次試験にあった水泳は高校時代に水泳部で鍛えてあったので軽くこなし、英会話の面接もアメリカへの留学経験と授業を英語で進めることになれていたのでなんなく終わりました。そして模擬授業の面接も3年以上も実際に教壇に立って授業を行ってきたわけですから、自信をもって臨むことができました…。と、ここで1つ大変なミスをしてしまいました。

 

模擬授業の面接では、小学校の4年生の児童が目の前にいることを想定して①自己紹介を行い、②日本語のあることわざをわかりやすく説明する、という課題が与えられました。①も②も堂々とかつ落ち着いた態度でこなすことができ、自信満々で面接会場を後にしました。ところがしばらくしてから模擬授業の内容を振り返っていたときに、②のことわざの意味を別のことわざとかんちがいして教えてしまったことに気づきました。まったく異なる意味をそれが正しいかのごとくに堂々と教えてしまうという取り返しのつかないミスをしてしまった…。それに気づいたときに体中から力が一気に抜けてしまいました。

 

幸いにもそのような大ミスがあったのにもかかわらず、二次試験も無事に合格することができ、採用候補者名簿に登載されました。ただし、そのまま採用されるわけにはいかなかったので、改めて「辞退届」を出すという余分な手続きをしなければなりませんでしたが。

 

こうして約半年にわたる余分なプレッシャーから解放され、晴れて「中学校教師」としての長い道を歩くことになりました。それは元高校教師の筆者にとって大変な道のりでしたが(「151. エピソード37⑤:異星人との遭遇」参照)、同時にとてもやりがいのある“天職”とも言える仕事でもありました。(6/18/2022)

 

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