筆者がこの3月末をもって定年退職したことはトップページのお知らせや「つぶやき」の「145. 定年退職のご挨拶」でご報告したとおりです。しかし、その日を迎える直前になって、まったく予想だにしなかった劇的な日々を送ることになりました。本ホームページの更新が一時期滞ったのもそのためでした。
実は、3月上旬に歩行が困難になる「間欠性跛行」という症状が出始めました。この症状の原因として有名なのが腰椎脊柱管狭窄症または閉塞性動脈硬化症で、筆者の場合は症状からすると前者であろうという“見立て”が地元の病院の医師よりなされました。しかし、もう1つ重大な症状が出てきたところで「これはおかしい」と思い、ここ数年お世話になっている都内の大学病院で徹底的に検査をしてもらったところ、思ってもみなかった別の重大な原因が判明しました。
結局その場で即入院となって治療が行われたので、現在は自宅療養中ではあるものの、ほぼ通常どおりの生活ができるまでに回復しましたが、入院してしまったことで、退職間際のいろいろな“行事”等を欠席せざるをえませんでした。
まず、最後の最後の授業はオンラインで教室のプロジェクターに映った私の姿を見て生徒に授業を受けてもらうという形になりました。最後の会議での挨拶は事前に書いてあった文書を議長の先生に代読してもらい、離任式での生徒への挨拶も事前に書いてあった挨拶文を校長先生に代読してもらいました。そして、その日に予定されていた教員のお別れ会(今年は集合写真撮影のみ)も“主賓”の私が欠席したまま行われました。また、その翌日に予定されていた15年前の卒業生たちによる「退職祝いの会」も、病院のデイルーム(集会室)からオンラインで参加するという情けないことになってしまいました。特にその会には遠く名古屋、大阪、広島、福岡などからわざわざ駆けつけてくれた卒業生もいたので、本当に申し訳なく思いました。
最終的にはなんとか年度内に退院できたのですが、それは退職当日の3/31でした。そこで、迎えに来てくれた妻と息子に連れ添われたままタクシーで学校に行き(修業式・離任式のために買った背広を持ってきてもらいました)、残った退職関係の手続きを済ませてから帰宅したというわけです。当然、長年の間にたまった個人の荷物を片付けるということはできず、すべて英語科の同僚によって箱詰めをしてもらっていました。
まさかこのような劇的な最後を迎えることになろうとは夢にも思っていませんでした。これまでずっと人に迷惑をかけることだけはしたくないと仕事をしてきたつもりであったのに、最後の最後に大きな迷惑をかけることになってしまいました。やはり自分の心がけが悪かったからなのでしょうか…。(4/16/2022)
脚の浮腫を抑えるために包帯でグルグル巻き
(病院のベッドで。自撮り)
退院したその足で定年退職の手続きに
(学校の正門の前で)
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