以前は中1の最初の英語の授業で英語を学ぶ意義について指導する教師が少なくありませんでした。それは、中学校で初めて英語を学ぶ生徒をスムーズに英語学習へと導いてやりたいという思いからでした。ところが、小学校で外国語活動が行われるようになると、めっきりそのような指導が減ってしまったと聞きます。それは、小学校で英語を学ぶことが当たり前になって中学校に入学して来た生徒たちに対して、いまさら「なぜ英語を学ぶのか?」という問いかけをしても無駄ではないかという認識が広まったためと思われます。この傾向は現行の学習指導要領で小学校でも英語が教科として指導されるようになってからはさらに強まったように感じます。
しかし、“当たり前”になってしまった今だからこそ、改めて英語学習の意義を指導することは大切ではないでしょうか。なんとなく小学校の続きで学習するのではなく、環境が変わったところでもう一度原点に立って英語学習の重要性を生徒たちに認識させ、目標をもって学習に取り組んでもらうことが後々の学習成果にも大きな影響を及ぼすと思われます。その最も大きな理由は、英語はピアノなどの習い事と同じように技能を習得することが重要な教科だからです。ただ授業を受けていれば力がつくというのではなく、家庭学習をしっかり行ってこそ確かな学力として身につくのです。そのような学習を行うには、自らの意志で学習に取り組む主体性が必要です。その主体性を生み出す大きなかぎの1つが、英語は自分の将来の進路の幅を広げる重要な教科であるという認識を持つことです。
そこで、ここでは長年中学生を指導してきた者として、中1の最初の授業で「なぜ英語を学ぶのか?」ということの指導例を紹介します。
1. 生徒の考えを聞く
いくら英語学習の重要性を指導するといっても、いきなり教師の方から一方的にそれを説いても上辺だけの話になってしまい、生徒の心を揺さぶることはできません。そこで、最初に各生徒が英語学習に対して抱いている印象を引き出し、それを生徒みんなで共有することで、英語学習の意義を考えてもらうようにします。
筆者の前任校では、必ず中1の最初の授業で「なぜ英語を学ぶのか?」ということを話し合ってきました。生徒個人から直接意見を吸い上げるときもあれば、まずは班で話し合って出てきた意見を発表してもらうこともあります。そうすると、様々な意見が出てきますが、だいたい毎年それらは大きく2つのグループに分けることができます。それぞれの主な意見を見てみましょう。
<第1グループ>
・世界で最も多くの人が使っているから
・将来の仕事で使うかもしれないから
・学校の教科だから
・受験に必要だから
・親に勉強しろと言われるから
<第2グループ>
・外国語を学んでみたいから
・外国の人と話せるようになりたいから
・外国の文化に興味があるから
・歌や映画などを理解できるようになりたいから
・好きな物語を原書で読んでみたいから
上記の2つのグループはどのような視点で分けたかというと、<第1グループ>の意見はほとんどが「社会的な必要感」によるものです。一方の<第2グループ>の意見はほとんどが「個人的な欲求」によるものです。生徒の意見を聞いていると、自然にこれらの2つに分けられることがわかってきました。なお、心理学的には前者を「外的動機」、後者を「内的動機」と呼びます。
もちろん、外的動機であってもそれが自分の中で消化されて内的動機になっている生徒もいれば、内的動機も最初は外的動機がきっかけであった生徒もいます。したがって、両者を明確に区別する必要はないかもしれませんが、各生徒が持っている英語学習に対する意識を理解する上では大切な見方でしょう。
2. 生徒の考えを受け止める
上記のような意見が出てきたところで次のステップに移りますが、ここで「どの意見がもっとも大切か?」とか「大切な順に並べてみよう」などという指導をしてはいけません。そのような順位付けは、それぞれの意見を出した生徒の気持ちをいたずらに刺激するだけだからです。このようなテーマー特に内的動機-においては、個人の意見に対する優劣などはありません。
1の活動をもっと掘り下げたいということであれば、それぞれの意見を出した生徒にその理由を語ってもらうことです。そして、同じように考えた生徒にそのフォローをしてもらいます。そうすることで、そのような考えを持ったことがなかった生徒にも新たな視点を与えることができます。
では、教師はどのような指導をしたらいいでしょうか?
筆者の場合は、出てきた意見のそれぞれについてこれまでの自分の成長過程で経験してきたことを語ってあげます。そうすると、生徒にとってはまだ経験したことがないことでも、目の前にいる経験者のことばから疑似体験ができるのです。
その際に大切なことは、それぞれの意見に対して共感することだけを具体例とともに話すことです。けっして否定的なことを言ってはいけません。それは先述した順位付けと同じようなことになってしまうからです。大切なのは、生徒の思いを受け止め、それを認めてあげることです。それによって、生徒たちは安心してその先生の授業を受けることができるようになります。そしてそのことが、生徒の英語学習への主体的な取り組みを促すことにもつながるのです。
3. 一歩踏み込んだ指導をする
英語学習に対する生徒の考えを聞き、それをすべて受け止める指導を行いました。しかし、それだけではまだ不十分です。なぜなら、1で出てきたような意見はすでに英語学習においては“常識”となっていることが多いので、改めて取り上げたところで生徒の心を揺さぶることまではできない可能性があるからです。
授業を行う際に大切なことは、生徒の心が動くような驚きのある内容を指導することです。それによって、生徒はその授業で「学ぶことがあった」と感じ、次の授業も楽しみにします。逆に言えば、授業を受けなくてもわかっているようなことを何の工夫もなく指導する教師の授業は「つまらない」と感じてしまうでしょう。後者のようにならないように、ここでも生徒に驚きを与えるような指導を考えます。
筆者は、20年以上前から1と2の指導の後に次のようなことを生徒に言っています。
「正直に言えば、英語なんて学ばなくても、みなさんは自分の人生を立派に生きていくことができますよ」
すると、生徒たちは一瞬驚いて困惑したような顔をします。そしてたいていは「英語の先生がそんなことを言っていいんですか?」という反応が返ってきます。
もちろん、上記の発言には続きがあります。
「でもね、もし英語を学べば、みなさんの可能性は広がり、みなさんの人生はより豊かなものになるでしょう」
話し方にもよりますが、上記の発言で多くの生徒に笑顔が浮かんできます。なんとなく教師の発言を信じて、自分の将来に対して明るい未来を描いたのでしょう。もっとも何の具体的な例もなくそれで済ませてしまっては、相手をことば巧みに操る“怪しい人”になってしまいます。そこで、筆者はたいていいつくかの具体例を出して生徒を納得させています。
(1) 客観的事実の紹介
「英語を学べばみなさんの人生はより豊かになる」と言っても、「自分は将来英語を使うような職業に付くわけではないから関係ない」と考える生徒は少なくありません。そこで、そのような生徒の考えをくつがえすために、普段は英語を使う職業ではないのに、英語を使うことでそれがより豊かになった例を紹介します。特に、農業を営んでいる人や町工場で働いている人などでそれを実現した人の例を紹介すると効果的です。
国際市場で自社製品を販売する大企業とちがって、中小企業(例えば町工場や農家など)の場合は国内で仕事が完結すると思われがちです。しかし、今ではインターネットを使って販路を世界中に広げている会社も少なくありません。商売がより繁盛するだけでなく、それまでは外国の人との付き合いなどは無縁だと思っていた会社でも、英語を使って仕事をすることで外国の人と交流するようになったことが楽しいと言っています。そのような会社の実践や体験談は、テレビの番組やネット上の記事などで簡単に手に入れることができます。ぜひ生徒たちにそのような会社で働く人たちの例を紹介してあげてください。
(2) 教師自身の体験の紹介
英語の先生であれば、なんらかの機会を通じて外国の人と英語でお付き合いをした経験があるはずです。それを生徒に英語を仕事にしている人間としてではなく、一般人の一人として語ってあげるとよいでしょう。そのためには、仕事上での付き合いではなく、個人的な付き合いでのエピソードの方が効果的です。そうすることで、生徒は自分も将来英語を使って外国の人と交流することで何かを得られるかもしれないと期待するようになります。
筆者の場合は、よく自分の趣味に関するモノを外国から取り寄せる話をします。もちろん、それだけなら別に相手のサイトで購入ボタンを押して送付先を入力するだけですから誰でもできます。ところが、中にはそのサイト運営者の国以外には発送しないと明言している場合があります。このような時、筆者はけっしてあきらめたりせず、連絡先に自分がいかにそれが好きでそれをほしいと思っているかということをメールします。そうすると、たいていは相手も共通の趣味を持っている外国人から連絡が来たことを喜び、特別に日本に送ってくれる手続きを取ってくれます。これまでに何度かそのようなことがありました。つまり、英語を使うことで自分の希望を叶えることができたのです。
そのときのやりとりはコピーしてありますので、それを生徒にもパワポ画面などで紹介します。そうすることで、それが作り話ではなく本当にあったことであることを生徒に理解させることができます。
4. まとめ
ここまでお話ししたことはあくまでも筆者自身の経験によるもので、一般的に認められたものではありません。しかも、それらの話をした効果がどれほどあったのかということを客観的に調べたことがあるわけでもありません。しかし、何もしないよりは指導の効果はあるのではないかと思います。例えば、先日も10年以上前に指導した卒業生と病院で出会い(偶然にも筆者の診察医でした)、その卒業生から「先生の最初の英語の授業のことはよく覚えています。あれで僕も英語を勉強しようと思いました」と言われました。
生徒の主体的な学習意欲はどこで刺激されるかわかりませんので、あらゆる視点からの指導が大切です。今回の指導で一人でも多くの生徒が外国語学習を「やらされる」から「やりたい」と思って取り組むようになってくれれば、指導した意味はあると思います。
【付記】英語を「教える」という視点から考える
ここまでは生徒が「なぜ英語を学ぶのか?」という視点から考えてきましたが、それは同時に私たち英語教師から見れば「なぜ英語を教えるのか?」ということでもあります。ここではそれを「なぜ学校で英語を教えるのか?」と考えることにします。なぜなら、今や生徒が英語を学ぶ機会は学校以外に無数にあるからです。また、AIの進歩などで自動翻訳機などが発達し、もやは英語は(その他の言語も)学ばなくても外国の人とコミュニケーションをすることは可能になっているからです。
したがって、生徒に「なぜ英語を学ぶのか?」を指導する前提として、私たち英語教師が「なぜ学校で英語を教えるのか?」ということを明確に意識している必要があります。この点について、筆者は埼玉大学の「英語科指導法A」(2014-18, 22-23年度に非常勤で担当)の初回の授業で学生にも考えさせてきました。それは、英語教師を目指す学生にそれを意識してほしかったからです。
(1) 学校教育における英語教育の位置
学校で英語を教えるというのはどういうことなのでしょうか。それを考えるきっかけとして、筆者が大学の授業で示してきたパワポの画面を見てください。
上記の図で伝えたかったことは、①英語教育は学校教育の一部である、②英語教育は「生徒」及び「保護者」と「教師」の間の関係の中にある、③教師は生徒や保護者の「ニーズ」を受け止めつつ、教師としての「願い」を指導する、という構図があるということです。先述した1や2で生徒の考えを聞き受け止めることを提案したことも、このような図の中に表すことができます。
キモは、一番外側に「塾」や「外部情報(ネット等)」も配置していることです。とかく私たち教師は教科教育は学校で行うものと考えがちですが、特に英語は学校以外の場所にもたくさんの学習機会があります。それをおさえずして学校の指導だけを語っても片手落ちです。それがあってなお、「なぜ学校で英語を教えるのか?」ということを私たち英語教師は考えなければなりません。
(2) 学校教育における英語教育の意義
では、学校で英語教育を行う意義は何でしょうか?もちろんそれは学習指導要領の「目標」に書かれています。しかし、筆者は長年の経験からそこに書かれていること以上のことを各教師が意識している必要があると思っています。そして、それこそが学校で英語を指導する最も大きな理由なのです。
はたしてそれは何でしょうか?
それはここでは言いません。これを読んでいる教員の方や学生のみなさんに考えてもらいたいからです。ただ、それでは不親切ですし、「本当はあなたもわかっていないから書かないんでしょ」と思われてしまうかもしれないので、答えのヒントを出しましょう。
それは、学校で英語を学ぶということは、塾やインターネット等で個人で英語を学ぶのではなく、学級という集団の中でそれを学ぶという特殊性があるということです。その特殊性ゆえに導かれる私たち英語教師が指導すべきことは何かを考えてみてください。
これは、心ある英語教師の方であればすでに意識して指導なさっていることでしょう。学生のみなさんにはまだわからないかもしれませんが、大学の教科教育法、教育心理学等で学び、教育実習で実感してみてください。筆者の言わんとしていることを理解していただけると思います。
なお、この件に関する筆者の答えは本コーナーの最終節「20. 授業を成立させる最も重要なこと」で記すつもりです。それまでお待ちください(笑)。
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