教材研究と授業準備は、敎育実習生にとっては実習中のもっとも大切な活動の1つです。一方、先生方にとってはその大切さは十分に認識ながらも、他の仕事に忙殺されて、後回しにされがちな作業の1つでしょう。そこで、ここでは先生方を対象にして、教材研究と授業準備をどのように考え、どのように実行していったらいいのかを、長年教科指導に力を入れてきた者としてお話しいたします。
なお、タイトルからもわかるとおり、教材研究と授業準備は別のものとして話を進めていきます。両者がどう違うのかということはこの後の話をお読みください。
1. 教材研究について
一言で教材研究と言っても、いろいろなことがあります。その中では、次回の授業で扱う教科書の内容の検討は、どの先生でもなさるでしょう。本文を読んで内容と表現を確認する、新出単語を確認する、新出文型を確認する、練習問題を確認する、などです。ただ、それらはどちらかと言うと次項の「授業準備」にあたります。「教材研究」とは、それらの具体的な“作業”に入る前にすることとします。
では、何をするか? それはまず、教える内容の全体像を考えるところから始めます。授業の最終的なゴールを考え、それを実現するためのもっとも良い指導内容と、それを効果的に実行できる指導方法をイメージします。それができれば―できて初めて―、実際に準備しなければならないことが見えてきます。
例えば、令和3〜6年度版の教科書の1つである、NEW HORIZON(東京書籍) 3年生の Unit 1 を扱うことを例にして考えてみます。
この単元では、パラリンピックの国枝慎吾選手と上地結衣選手が話題の中心です。教科書の本文を読むだけでも要点を理解することはできますが、やはりどうしても情報量が足りません。2人の生い立ちや人物像までは書かれていないので、本文の内容だけだと、2人を知らない生徒の興味・関心を引くには不十分です。
そこで、それを補う各教員独自の教材が必要になってきます。雑誌などの2人に関する記事を使おうか、試合のシーンやインタビューの映像を使おうか、そもそもパラリンピックとはどのようなものかがわかる資料を準備しようか、など、たくさんのことが思い浮かびます。それらを実際に探すのは次項の「授業準備」になります。
ただ、実際に指導する直前にそれらを行おうとすると、それこそ他の仕事に忙殺されて頭がこちらに向かわなくなってしまいます。そこで、日頃から時間に余裕のあるときに、教科書の先の方まで見渡しておくようにします。そうすると、平素の生活の中などで、使えそうな教材を収集しておくことができるようになります。
筆者が最初にそれを行ったのは、大学4年時に1年間アメリカの大学に留学したときでした。日常生活や旅行中に出会ったあらゆるものが将来教材として活かせるのではないかと収集したり、写真に撮ったり、メモに残しておいたりしました。そして、実際に教員になってから、アメリカの文化を紹介するときなどの資料としてそれらが役に立ちました。
教員になってからも、教科書の題材にあるかどうかにかかわらず、これはいずれ使えるかなと思うものはストックしておくようにしてきました。それらのすべてが実際に使えたわけではありませんが、授業内容をより豊かにする材料にはなったと思います。
1つ面白い例を紹介しましょう。あれは2002(平成14)年度の研究協議会の公開授業で "There is/are/was/were 〜." の文をどうやって導入するかを数ヶ月前から考えていたときのことでした、いつも通勤時に前を通っている写真屋のウィンドーにかつて音羽通り(護国寺の参道であった道)を走っていた都電の写真が飾られていたことを思い出しました。それが思い浮かんだ瞬間に「これだ!」と小躍りしました。
その写真屋にお願いして件の写真のカラーコピーを取り、都電の古い路線図を同僚から借り、それらを使って生徒を驚かせながら件の文を一気に導入してしまおうと思い立ったのです。使った文は、①There was a streetcar line in Otowa-dori 50 years ago. ②There were a lot of streetcar lines in Tokyo 50 years ago. ③There is a streetcar line in Tokyo now. ④There are many subway and bus lines in Tokyo now. でした(加えて、これらが答えとなる疑問文も)。お店に飾られていた写真に日頃から興味を持っていたからこそ思いついた導入でした。
前任校で筆者の公開授業をご覧になった先生方や大学で筆者の授業を受けている学生から、「先生は授業のアイデアをどのようにして思いつくのですか?」とよく質問されることがありますが、それはいざ目的とする教材を目にしたときに、それまでにためてあった物理的及び精神的“ストック”の中から引き出されると答えるのがもっとも適切でしょう。日頃からいろいろなことに興味・関心を持ち、「これは授業で使えるかな?」と思ったことはどんどんためておくことをお勧めします。
2. 授業準備について
「教材研究」と「授業準備」は互いに関連し合っていますが、それをあえて分けてみたのは、後者を実際に授業を行うための教材を準備する“作業”と位置づけているからです。授業準備と言えば、単語カードを作成したり、導入や練習に使う絵(最近ならパワポの画面)を用意したり、音声教材の確認をしたり、など、それを忘れてしまうと授業に支障が出るようなことが思い浮かびます。しかし、ここではもう1つ、できれば毎時間やっていただきたいことを取り上げます。それは、「毎時間指導案を書く」ということです。
※ただし、指導案を授業をスムーズに進めるためのメモではなく授業の構成を練る段階で書き始めるという場合は、「授業準備」ではなく「教材研究」であるとも言えるでしょう。
先生方の中には、「指導案なんて、教育実習以来書いたことがないなあ」とか、「そんなものは公開授業や指導主事訪問のときに書けばいいものでしょ」と言う方もいらっしゃるでしょう。しかし筆者は、効果的で充実した内容の授業を維持し続けるためには、毎時間指導案を書くことが欠かせないと思っています。そして、実際に中学校の教師なってから定年退職するまでの34年間、ずっとそれを続けてきました。これに対しては、「指導案なんか書かなくても、私は毎時間ちゃんとした授業をしてきたよ」という先生もいるかもしれません。もちろん、毎時間同じような内容で、しかもそれほど展開数も多くないような授業であればそれも可能かもしれませんが、生徒の興味・関心を引き続け、彼らに様々な活動を授業で行っていくには、事前にしっかりとした授業の“シナリオ”、つまり指導案が必要だと考えます。
別のページでも触れたことがありますが、筆者はかつて「授業の名人」の研究をしていたことがあり、当時全国で「授業の名人」として有名であった何人かの先生を研究対象として取材したことがあります。その結果は「研究論文」のコーナーで筆者の修士論文としてお読みいただけますが、そこには書かなかったこととして、「授業の名人」の先生方は全員が普段の授業でも指導案を書いているということでした。たいていは、ノートに1ページないし2ページの指導案を書き、それを教卓の上に置いて授業をしていました。
そのノートをのぞかせてもらうと、書き方はその先生によって様々でした。授業の展開名(指導案の項目名)だけを書いている先生もいれば、オーラル・イントロダクションや生徒への質問などの英語を使う部分を詳しく書いている人もいれば、その時間で質問する生徒の名前まで書いてある先生もいました。ただ、共通していたことは、授業を始める前にしっかりと50分間の内容をイメージしていたことです。けっしていきあたりばったりで授業をするのではなく、最終的な到達点を考えて、そこに至る細かい活動をあらかじめ準備していました。ですから、そのような先生の授業を見ると、淀みなく、流れるように授業が進むように見えます。もちろん、長年の経験がそれを可能にしている部分もあるでしょう。しかし、そのような先生方でも―いや、そのような先生方だからこそ―、事前に指導案を書いて授業の全体像をイメージして授業に臨んでいるのです。
「でも、他にやなければならない仕事が多くて、指導案を書いている時間がない…」という嘆きが聞こえてくるのは重々承知しています。1学年しか担当していない先生で週に4プラン、2学年なら週に8プラン、小規模校で全学年を担当している先生なら週に12プランも作らなければいけませんから大変です。筆者はたいてい8プランでしたが、ある年だけは4種(中1・中3・高1・高2)・計11プラン(4+3+2+2)作ったことがあるので、大変さは知っています。しかし、「やらなくてはいけない」仕事(おそらく事務仕事や生徒指導)を優先して、「やらなくてもなんとかなる」仕事である授業をおろそかにしているかぎり、教師の本分である教科指導の充実は望めません。
授業準備のかぎは「毎時間指導案を書く」にあります。ぜひ実行してみてください。
なお、本件に関する筆者のより詳しい考えは、「英語教育雑感」のコーナーにある拙著雑誌記事
「いい授業のために「教案」を書こう:教案には何を書くか、書かないか-達人の教案拝見」(『英語教育』2011年4月号、大修館書店)でお読みいただくこともできますので、参考になさってください。
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