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1.予測不可能な中で押さえておくべきこと
筆者の学校では、新型コロナウイルス感染症対策による5月の臨時休校中に「ロイロノート・スクール」という学習支援アプリを使った遠隔授業を実施し、6月の分散登校中も対面授業に加えてそれを併用して学習指導を進めることができた。しかし、都心の学校まで満員電車で通う多くの生徒の安全を考慮して、7月に入ってからも時差通学・短縮授業の分散登校が行われ、それは7月末まで続けられた。
今号の特集1は「休校明けの授業の工夫」がテーマであるが、今後の学校を取り巻く状況がまったく予想できず、かつ地域や学校によってそれが異なることも考えられるので、ここで筆者の学校の具体的な指導事例を列挙することはあまり意味がないであろう。しかし、一方でどのような状況下においても忘れてはならない大切なことはあるはずである。そこで、筆者の学校の指導事例を出しつつもそのことを議論の中心としていきたい。その「大切なこと」とは、①“常識”を見直す・変える、②大切なことを落とさない、③あせらないの三つである。
2.“常識”を見直す・変える
私たち教師には、「~すべきである」や「今まで~してきた」という“常識”がある。例えば、「受験のことを考えて、教科書は隅々まで教える」などはその最たるものであろう。しかし、この特殊な状況下ではその“常識”の中にはむしろマイナスになることもある。以下、その見直す・変えるべき“常識”を取り上げる。
① 「全てを教える」から「軽重をつける」へ
実は、これは何も特殊な状況下にかぎったことではない。授業で扱う教材が「100」あったとして、それを全て教えても生徒が学ぶのは「70」だったり「50」だったりする。では、教える量を八割にしたら学ぶ量も八掛けになるかと言うとそうでなない。枝葉の部分を減らして幹の部分を丁寧に扱えば、「100」教えていたときよりも生徒の学習する量が増えることもある。
したがって、特に「授業時間が足りない」という現状においては、指導計画や授業の設計を考える際に、重点的に扱う部分とそうでない部分を選り分ける必要がある。そして、授業でしか扱えない部分と生徒が自分だけでできる部分をはっきりさせ、授業では前者に重きを置いて指導することが大切である。
② 「教える」から「自ら学ぶ」へ
これも特殊な状況下にかぎったことではないが、現状においてはより一層大切なことである。先述のとおり、私たち教員は授業で教えたことはすべて生徒が学んでくれたと思いがちである。しかし、授業で扱ったことが全く身についていなかったことがテストで判明したということを、誰しも一度は経験したことがあるであろう。
一方、授業で扱ったかどうかに関係なく、生徒が自分の意志で学習したことはしっかり身についていることが多い。つまり、主体的に学んだことは確実な力となっているということである。これは新学習指導要領で「主体的・対話的で深い学び」として目指すべき改善点に上げられていることの一つであるが、勤務校の英語科では「自立した学習者」として以前から指導の重点に置いてきたことでもある。
筆者の学校の英語科では、「自立した学習者」を育てるための要素を「四輪駆動仮説」として提唱してきた。これは、生徒の学習が進む様子を自動車が四輪のすべてを駆動することでより力強く進むことに例えたものである。
その「四輪」とは、「授業」、「家庭学習」、「良質なインプット」、「楽しみ」の四つである。授業や家庭学習は大切であるが、その他に生徒が自分の意志で学ぶ活動が必要だという考えである。
ここで言う「良質なインプット」とは、授業以外で聞いたり読んだりするオーセンティックな英語教材を指す。勤務校では前者をNHKラジオ『基礎英語1~3』、後者を学年毎に配付する副読本(主にオックスフォード大学出版発行のもの)としている。一方、「楽しみ」とは、勉強とは思わずに英語に触れることを指している。例えば、洋楽を聞いて歌ったり、洋画を見て台詞を真似て言ったりすること等である。
これらは英語学習に成功した生徒に共通することを整理したものあるが、現状のような困難な状況下においては、今後益々重要になることだと考えられる。
この考え方に対しては、「生徒が学校以外でやることに期待しすぎではないか」という批判の声が聞こえてきそうであるが、筆者はそこにこそ“常識”を見直す・変える必要性を感じる。もはや従来どおりの指導方法では、期待される学習成果はあげられそうにない。その“常識”から抜けだし、授業で教えることと生徒が自らの意志で学ぶことの比率を変えなければ、これからの生徒の「学び」は保障できなくなると考えるべきであろう。
3.大切なことを落とさない
見直す・変えるべきことがある一方で、「これだけは落とすべきではない」という大切なこともある。そして、それらは臨時休校中の課題や遠隔授業等によってより鮮明に見えてきた。
① 双方向のやりとり
YouTube等で配信された授業動画は、遠隔授業ができない学校や地域の実践として注目を集めた。ただし、それらの多くは生徒の反応を前提としない一方的な“情報提供番組”であった。また、生徒との双方向のやりとりができるZoom等による授業も、教師が一方的に話しているだけであれば、情報提供番組でしかない。
言語学習指導がメインである英語科では、他の教科以上に授業で生徒がいかに言語活動を行うかが重要である。したがって、たとえそれが遠隔授業によるものであっても、実際に生徒に発声させたり仲間同士でコミュニケーション活動をさせたりする機会を保障したい。
② 音声を大切にした指導
遠隔授業が行えなかった学校では、課題のほとんどがプリントやワークブック等による問題演習であったと聞く。それはそれで仕方はなく、状況によっては今後もそういうことが続く可能性もあるだろう。したがって、生徒が学校で授業を受けるときには、これまで以上に音声を大切にした授業を行いたい。そして、再び臨時休校という事態がやってきた場合に備えて、それを補う方法を準備しておくようにする。
筆者の勤務校では、臨時休業中のロイロノートによる遠隔授業で、各学年とも授業で行うのとほぼ同様の音声による指導を再現した。新文型は複数の教師による場面を重視したモデル会話で導入し、導入した文型は文字を見せずに口頭練習し、教師を仮想の相手として会話をしてみる等の言語活動を教材ビデオに入れるようにした。生徒は、それらを見て内容を理解した上で練習を行った。例年の授業に比べれば量的にも少なく、かつリアルタイムで生徒を指導することはできなかったが、分散登校時の授業で確認したところでは、例年に近いパフォーマンス力を身につけられているように思えた。
4.あせらない
臨時休校で減ってしまった授業時数は、多くの学校が夏休みの短縮や行事等の振り替えでなんとかそれを補った。中には休日や祝日まで返上して授業を行った学校もあったという。
授業時数の確保は急務ではあるが、私たち教師は実際の指導であせってはいけない。教師のあせりは必ず生徒に伝播し、生徒は彼らを見ていない教師には背を向けてしまうからである。ここは生徒のことをしっかり考え、じっくりと腰を据えて指導にあたることを心がけたい。
① 教えなくても生徒は育つ
私たち教師は、「教えなければ生徒は育たない」と考えがちである。確かにそういう部分もあるが、多くの教育活動においては生徒の自ら伸びようとする力に任せても大丈夫である。
筆者の学校では、例年の授業では指導できていて遠隔授業では十分指導できなかった学習内容があり、その部分の定着を心配したが、結果的に生徒は教師の予想を上回る力をつけていた。もちろん、生徒が主体的に学習するように仕向けたこともあるが、生徒が自らの力で教師の指導の足りない分を補ってくれたようである。
② 「とりあえずやった」ことにしない
一番まずいのは、授業時間が不足する中で、「とりあえずやったことしよう」と済ませてしまうような授業をすることである。例えば、例年であれば2時間かけて指導する内容を1時間に詰め込んでこなすような授業がそうである。
どうしても時間が足りないと思われる場合は、授業では授業でしか教えられない内容に絞り、残りはプリント等にして、「これは授業でやりたかったができなかったこと」と正直に生徒に伝えて渡す方がよい。その方が生徒は教師を信頼して、その課題に取り組んでくれる。
また、課題を出しっぱなしにしてしまうこともここに含まれる。課題を生徒がどの程度行ったのかをきちんと把握し、それに対する教師のフィード・バックもしっかり行いたい。
③ 生徒を置いていかない
授業の遅れを取り戻すことに集中しすぎると、気づかないうちに生徒を置いていってしまう授業をしてしまう可能性がる。
平常の授業であれば、生徒が教材に関心を持つように事前にじっくりと語って聞かせる部分や、学習や活動をスムーズに進めるために丁寧に説明する部分があるはすである。ところが、授業を早く進めようとすると、そうした部分を省略しがちになる。
そのような授業が続くと、生徒の学習意欲をそぐことになり、結果的に生徒の学習が進まなくなってしまう。特に、より丁寧な指導が必要なスロー・ラーナーにその影響が出やすいので、十分な注意が必要である。
したがって、私たち教師はけっしてあわてることなく、生徒をよく見て彼らに何が必要なのかを見極め、教えるべきことと生徒に任せるられることを考えて指導することが大切である。
(『指導と評価』2020年11月号、図書文化)
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