『いだてん〜東京オリムピック噺〜』の附属中関係者

このドラマは、副題に「東京オリムピック噺(ばなし)」とあるように、前半は日本が初めてオリンピックに参加するまでの道のりを、後半は幻の1940年東京オリンピックと1964年東京オリンピックまでの道のりを、それぞれ一人の主人公の活躍を軸に描いた二部構成の作品です。

 

 

 

第一部は、主要な舞台が東京高等師範学校でしたので、たくさんの附属中関係者(教官など)が登場しました。第二部には、オリンピックの招致活動や運営に重要な役割を果たした人として、何人かの卒業生が登場しました。

 

(1) 第一部の登場人物

〇金栗四三(かなくりしそう) 附属中学校陸上部指導、長距離走行事参加

第一部の主人公で、日本人として初めてオリンピック(ストックホルム大会)に参加したマラソン選手です。また、正月の風物詩となっている箱根駅伝を中心となって実現した人としても知られています。

 

演じたのは、歌舞伎俳優の中村勘九郎さんでした。


金栗氏は附属中の卒業生でも旧教官でもありませんが、高等師範学校の卒業生というつながりから、附属中の陸上部の指導に来てくれたり、当時行われていた多摩川マラソンという学校行事にゲストとして参加してくれたりしたことが記録に残っています。

 

写真は昭和8年の多摩川マラソンでゴールする金栗氏です。

 

〇嘉納治五郎(かのうじごろう) 附属中学校校長

第一部の準主役であり、ときに主役ともいえる存在感があった人物です。講道館柔道の創始者であり、「日本体育の父」とも呼ばれている人物です。日本初のオリンピック委員として金栗四三をオリンピックに送るとともに、幻に終わった1940年東京オリンピックを招致した人でもあります。

 

演じたのは、嘉納氏よりだいぶ背が高い役所広司さんでした。


嘉納氏と附属中との関りは、なんと言っても氏が附属中の校長を長年務めたことでしょう。途中の中断をはさんで3期、計23年余りの長きにわたってその職に就いていました。これは当時は東京高等師範学校の校長が附属中学校の校長も兼任していたからです。氏が唱えた「勢力善用 自他共栄」というスローガンは、今でもときどき生徒に紹介されています。

 

〇永井道明(ながいどうめい) 附属中学校教官

第一部の主要な登場人物の一人で、東京高等師範学校の体育の教授でした。永井氏がスウェーデン体操を軸にまとめた『学校体操教授要目』は今日の学習指導要領体育編に影響を与えていると言われています。多くの学校体育館にある肋木(ろくぼく)というはしご状の遊具も氏が導入したものです。

 

演じたのは、2013年のNHK朝ドラ『あまちゃん』でコミカルな役を演じてメジャーになった杉本哲太さんでした。


永井氏と附属中の関りは、氏が1893(明治26)年に附属中の助教諭兼訓導に就任したことから始まります。当時の教え子には後に内閣総理大臣になった鳩山一郎(元総理大臣・鳩山由紀夫、元外務大臣・鳩山邦夫の祖父)がいました。師範学校では博物学を専攻していましたが、附属中ではもっぱら体育の授業を担当していました。

 

〇可児 徳(かにいさお) 附属中学校教官

永井氏とともに第一部の主要な登場人物の一人で、東京高等師範学校の体育の助教授でした。スウェーデン体操を説く永井に対して、競技と遊戯の重要性を説いた人物でした。ドッジボールを日本に紹介した人としても知られています。第1回箱根駅伝で優勝した東京高等師範学校の監督も可児氏でした。

 

演じたのは、2022年のNHK朝ドラ『舞い上がれ』にも重要な役で出演した名バイプレーヤーの古舘寛治さんでした。


可児氏と附属中との関りは、氏が1899(明治32)年に高等師範学校の助教授に就任したことに始まります。附属中の体育の授業も兼任で担当しました。また、附属小学校でも当時としては画期的であった男女混合のダンスを教え、運動会で実施したという記録があります。

 

<おまけ> 役者として、スタッフとして

実は、第一部にはもう1人、附属の関係者がいました。それは、附属中と同じ敷地内にある附属高等学校に1974年から2013年まで在職した元体育科教員の鮫島元成先生です。ドラマでは、役所広司さんが演じる嘉納治五郎の後ろを歩く、柔道の指導者の1人として出演していました。鮫島先生は役所広司さん他に柔道の指導をするスタッフでもあり、オープニング・テーマの画面にも「柔道指導」として名前がクレジットされていました。

 

(2) 第二部の登場人物

〇杉村陽太郎(すぎむらようたろう) 附属中学校卒業生

附属中第10回卒業生で、東大卒業後に横浜正金銀行に勤務し、国際連盟事務局次長兼政治局長、イタリア大使、フランス大使などを歴任した国際派でした。1933年からはIOC委員となり、嘉納の命を受けてイタリアのムッソリーニから1940年のオリンピックを譲ってもらう交渉したした人物です。

 

演じたのは、本人同様に長身の加藤雅也さんでした。


杉村氏は身長185㎝、体重100kgという、当時としてはかなりの巨漢で、中学生の頃から大柄で目立っていたといいます。中1の時に柔道部の上級生たちが「新入生のくせに生意気だ」と杉村氏にからんだところ、全員を投げ飛ばしてしまったという逸話が残っています。実は、杉村氏は12歳のときから嘉納治五郎の「嘉納塾」の塾生として柔道を学んでおり、それを知らなかった(知っていてあえて挑んだ?)上級生が負けてしまったということなのでしょう。

 

筆者がドラマの中で印象深かったのは、杉村がムッソリーニと交渉する直前に緊張のあまり頭を抱えて、「俺は外国語は得意なんだが、人間関係は下手なんだ!」と叫ぶシーンで、"附属中生あるある"(?)だと思って笑ってしまいました。なお、実際の杉村氏は、この頃はすでに胃がんに侵されており、フランス大使在任中に亡くなりました。

 

〇平沢和重(ひらさわかずしげ) 附属中学校卒業生

附属中第18回卒業生で、東大卒業後に外務省に入省し、米国から帰国する途中の氷川丸上で嘉納治五郎の最期に立ち会った人物です。また、外務省を退官後はNHKの解説委員を務めました。1964年の東京オリンピックの招致活動では、得意の英語を生かした招致演説をしました。

 

演じたのは、歌手としても活躍している星野源さんで、プロモーション写真では、左の本人と瓜二つの髪型とポーズで写っています 


平沢氏の附属中時代のエピソードもいつくか残っています。前出の金栗四三も参加したことのある多摩川マラソンでは、1年時に1~3年生までの総合順位で9位、1年生だけでは3位という成績を収めたという記録があります。また、全国中等学校陸上競技大会などにも出場しました。部活動は「端艇部」(たんていぶ。今で言う「ボート部」)に所属していたようですが、陸上の長距離走も得意なスポーツ万能選手だったようです。

 

なお、NHKテレビの解説委員となってからは、その美声と聞き手との対等なレベルでの話しぶりから、女性に大変人気があり、「マダム・キラー」の異名をとっていたと言われています。演じる俳優に歌手でもある星野源さんを起用したのも、そのあたりのことを考えてのことでしょう。

 

〇淡野 徹(だんのとおる) 附属中学校卒業生

附属中第63回卒業生で、附属高校を卒業後、航空自衛隊の第1期操縦学生となり、優れた操縦技術が認められて、ブルーインパルスの操縦士の一人となりました。そして、1964年の東京オリンピックの開会式当日は仲間4人とともに1機ずつが異なった色のスモークで五輪のマークを描きました。淡野氏は、その中の黄色を担当しました。

 

演じたのは、女優・竹下景子さんの次男・関口アナンさんでした。ただし、ドラマでは駿河太郎さんが演じたの松下治英編隊長以外のパイロットには目立った台詞がなかったので、ほとんどの人が淡野氏のことは印象に残っていないかもしれません。


ドラマでも描かれていましたが、隊員たちは事前に50回ほど練習をしたのに、一度も五輪を描くことに成功したことがなかったそうです。また、開会式前日は雨模様で、当日も雨か曇りという予報だったので、飛ぶことはないだろうと5人とも酒を飲んで寝てしまってしまったところ、朝になって快晴であることがわかって、あわてて準備したということが、淡野氏の思い出話としてネット上のビデオで確認することができます。

 

<おまけ> 東京パラリンピック2020のブルーインパルス飛行シーン

2021年の東京オリンピックの開会式でもブルーインパルスによる五輪のスモーク描写がありましたが、あいにくの曇り空で煙がよく見えなかったという人が多かったようです。ちなみに以下の写真は東京パラリンピックの開会式(8/24)の日のものです。その直前にブルーインパルスの飛行があるということを知って、「見えないかなあ…?」と待ち構えていたところ、煙を吐きながら所属基地に帰っていく途中のブルーインパルスが附属中の真上を通りました。それを中庭でビデオ撮影したので、そこから何枚かを静止画カットしてみました。

あっ、ブルーインパルスが見えた!

もしかして、こっちに来る?

附属中の真上を飛んでいくぞ!

おお-!(首は後ろに90度)