『いだてん』つながり

本ホームページを開いてから、主に「終礼の話」の本をご希望の方から連絡のメールをいただくことが時々あります。ところが、先日これまでとは全く異なる用件の連絡をいただきました。

 

1月下旬のあの日、学校の事務室の筆者のメールボックスに大きな厚い封筒が入っていました。筆者は勤務校(以下「本校」)で入試担当をしているため、日頃から塾関係からよく書類が送られてきており、この時も本校の入試の直前であったことから、またアンケート調査か何かが届いたのだろうと思っていました。しかし、封筒の裏を見ると、仙台市の住所と女性の名前が書かれていました。姓はだいぶ前の卒業生に覚えがあったので、その卒業生からの手紙かなくらいに思って封を開けると、当初の予想とは全く異なる方からの手紙であることかがわかりました。

 

手紙の差出人は「Yさん」という、筆者の2歳年上の女性で、本ホームページの「つぶやき」のある記事を読んで、本校宛に送ったということでした。その記事とは「35.『いだてん』と勤務校関係者」でした。なんでも、Yさんのお祖父様が同ドラマの主人公であった金栗四三と同時期に東京高等師範学校に通われており、学生時代からつけていた日記が蔵にあるので調べてみたところ、まさに大河ドラマに描かれたいくつかの場面が個人の記録として残っていたとのことでした。

 

Yさんは大量にあるお祖父様の手書きの日記(教員を退職されるまで数十年間つけたいたらしいです)をパソコンで打ち込む作業をなさっており、その一部である東京高等師範学校在学中の明治44年のものを送ってくださいました(これだけでもかなりの量です)。その年の11月19日の日記の内容は以下のもので、まさにドラマの第5回で描かれていた羽田でのオリンピック予選の結果と祝賀会の様子が詳細に記録されていました(注:太字は筆者強調)。

 

 十一月十九日(日)曇・小雨

高商ノ弓述会午前九時ヨリ、長、井上、中里、西尾君ト予ト五名行ク、午後四時近クマデ、長、中里、西尾氏入賞(予ハ以後何処ニモ出演ハスマジト決心シタ)▼帰舎シタラ隅ニ電報カ電話ニテカ今日ノ羽田ノ競走マラソン競走(廿五哩)ニ於テ本校ノ金栗第一着、野口君第四着、橋本君第五着トノ事、万歳ノ声全舎ニ響キ渡ッタ、惣チ撰手出迎ノ事、祝賀会ノ事ニテ奔走マタ奔走、円デ又候提灯行列的デアッタ、イヤ本校ノ名誉、校長ノ喜ビ、全員ノ歓喜天地ヲ震撼シタ、到底コンナ紙面ニハ予ノ愚筆以テ尽ス事ガ出来ヌ!▼食堂ニ於テ撰手慰労会、来賓ニハ坪井、可児、佐々木、津幡、菅野、諸先生、例ノ遠山氏モ何レモ痛快極マル演説!

峯岸先生ノ発声ニテ撰手万歳三唱、本校万歳ヲ三唱シテ解散、賞品ハ百円ノ銀杯(中八金)(日々新聞社ヨリモ銀杯)ト金メタル、Olymipc…トカケルモノ、吁、我国開闢以来ノ壮挙…多忙故詳細ハ略ス

国際オリンピック大会予選会!

 本校ノ名誉!金栗四三君第一着

 

これはすごい!「金栗」こと金栗四三(中村勘九郎)、「野口君」こと野口源三郎(永山絢斗)、「校長」こと嘉納治五郎(役所広司)「可児」こと可児徳(古舘寛治)などの本校と関係のあるドラマの登場人物たちの姿が生き生きと描かれています。なお、「峯岸先生」とは金栗がオリンピックに出場した際の資金集めを行った後援会会長で本校の社会科教官も務めた峯岸米造氏と思われます。彼らと本校の関係は前出の「35.『いだてん』と勤務校関係者」で紹介しています。

 

他にも東京高等師範学校の卒業アルバムの写真のコピーが何枚かあり、関係者であれば喉から手が出るほど欲しいであろう写真がありました。

 

その日のうちにメールでお礼のことばを送ると、再びYさんから丁寧なお返事が来て、次は件の卒業アルバムを拝借できることになりました。そちらが届いたら、今回の続編をお伝えしましょう。(2/20/2021)

 

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