本年1月27日(水)の毎日新聞朝刊のスポーツ欄に、全国高校サッカー選手権で優勝した山梨学院高校の生徒の話が載っていました。件の決勝戦は筆者もテレビで見ていましたので、そのときに活躍した生徒の話に興味がわいてその記事を読んでみました。話の柱は、その学校のあるサッカー部員が6年前にサッカー界のスーパー・スターであるクリスティアーノ・ロナルド選手に会ったときに、思い切ってポルトガル語で彼に話しかけたところ、ロナルド選手が勇気づけてくれ、そのときの思い出を胸に決勝戦まで頑張ったというものでした。
ただ、筆者がその話の中で最も関心を持ったのは、その選手がロナルドに話しかけたときに極度に緊張して、覚えてきたはずのポルトガル語のことばがたどたどしくなってしまい、その様子を見ていた記者たちが笑ったという場面の話でした。そのとき、ロナルド選手は「なぜ笑うんだい?彼のポルトガル語はとても上手だよ。」と記者達に言ったそうです。おそらく、そう言われた記者達は思わず笑ったことを反省し、顔をこわばらせて押し黙ったにちがいありません。
ロナルドのような反応は、日本にいる多くの外国人(主に西洋人)にも共通するものだと思われます。なぜなら、これまでに一緒に仕事をしたALTの中にもそういう人が多かったからです。その度に、自分の日頃の指導力のなさを反省したものです。
極度の緊張から、ことばが出てこなかったり言い間違えてしまったりする人がいたときに、周りの者が大笑いするというのは、授業中でもよく見かけることではないでしょうか。そういうときに心ある(?)教師であれば、「なぜ一所懸命やっている仲間を笑うんだ!失礼だろう!」などと他の生徒たちを叱るのではないかと思います。そうすると、生徒たちはたいてい下を向き、顔をこわばらせて押し黙ります。このような場面でのそのような教師の発言は、学級などの集団をきちんと育てるためには当然の指導と思われています。実際、筆者も以前はよくこのように指導していました。しかし、最近は「はたしてこれは正しい指導なのだろうか?」という疑問を感じることがあります。
なぜかと言うと、そのような場面で自分の生徒たちをよく見てみると、彼らはけっして発表している仲間をバカにしているわけではなさそうだからです。むしろ、頑張っている仲間の姿を自分のことのように見つめてハラハラし、緊張が極度に達した状態で見ているのです。そのようなときに仲間の失敗を見ると、張りつめていた緊張感がほぐれ、ホッとした気持ちが笑いとなるようなのです。そして、おそらく緊張してオロオロしている仲間に自分たちの笑い声で、「俺たちも同じように緊張しているんだ。がんばれよ!」と応援しているようなのです。実際、それでその生徒が落ち着いたということがよくあります。
もし自分の生徒たちがそのような気持ちで仲間を見つめていたことで笑いが起こったのだとしたら、先述したように生徒たちを叱るのは的外れな指導だと言えるのではないでしょうか。平素の自分の生徒の様子から、集団の中で弱い立場の生徒が仲間にバカにされているような場面に出くわしたのであれば、先述したようにきちんと指導する必要があるでしょう。しかし、自分が育ててきた生徒たちがけっしてそのような集団ではなく、仲間を励ますために笑いを使っていると判断できる場合であれば、むしろそのような指導を行うことは教師と生徒の間に溝を作ることになりかねません。そのようなちがいは、おそらくその時の生徒の様子でわかるはずです。したがって、自分の生徒にとって本当に必要な指導は何であるかを日頃からしっかりと見極め、適切に対処する必要があるでしょう。
なお、このような笑いは、人前で緊張する仲間を応援する日本人独特の文化と言えるのではないでしょうか。そして、ロナルド選手は日本人がなぜそういう場面で思わず笑ってしまうのかを理解できなくて、あのような発言をしたのではないかと思います。おそらく記者たちも頑張っている生徒を応援するような気持ちで見ていたにちいがいありません。そのあたりの文化のちがいを理解した上で件の記事を読まないと、「外国人に指摘されて自分の至らなさに気づいた、おろかな日本のジャーナリストたち」のように件の記事を読み違えてしまう可能性もあると感じました。
以上、今回はたままた読んだ新聞記事の内容から教師の平素の生徒指導のことに思いをはせました。(2/13/2021)
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