大学院に通うということ(その5)

「大学院に通うということ」シリーズ第5弾、最後の回です。今回は修士論文のことについてお話しします。

 

大学院の修士課程を修了するには、一般的に修士論文を書く必要があります。芸術系ではそれが作品であることもあるでしょう。筆者が所属していた教育学研究科でも修士論文が必須でした。

 

修士論文には、一般的に科学的な実証研究が求められます。簡単に言うと、統計的データに基づいた研究成果を示すということです。したがって、多くの大学院生が統計学を学び、その人が教育関係であれば教育現場で何らかの実験をしたりアンケートを採ったりして論文を書きます。ただ、本ホームページの「修士論文」のコーナーにも書きましたが、そうした傾向に対して、筆者には入学前からある疑問がありました。

 

過去の修士論文を見ると、その多くがかなりミクロな視点での研究でした。すなわち、「~であれば、~である」という結論を導くために、かなり局所的な指導事項を取り上げ、その効果について論じているのです。もちろん、それらに意味がないとは言いません。しかし、筆者はもっとマクロな視点で論文を書いてみたかったのです。つまりそれは、「~すれば、授業が向上する」というようなものでした。要するに、せっかく勉強するのだから、それが即自分の授業の向上につながるものにしたかったのです。そしてそれは、きっと他の多くの教師も求めていることだろうと考えました。

 

それを入学直後に指導教官の馬場哲生先生に伝えると、「それは面白い!」とすぐに話に乗ってくださいました。さらに自分の目指したい方向が「授業の名人」と呼ばれている人の授業を分析して、共通する普遍的な事項を取り出してまとめることだと説明すると、馬場先生は「修士論文は何も数字に物を言わせる実証研究だけではない。そうした事例研究も上手にまとめれば立派な論文になり得る」とそれを支持してくださいました。しばらくすると、先生は筆者の研究に「名人の授業を科学する!」という仮タイトルを付けてくださいました。

 

こうして修士論文の方向性は決まりましたが、1年目は中3の担任をしていたこともあって時間がなく、主に通勤・通学列車の中で過去の関連論文を呼んだり、自分の論文設計に時間を費やしたりしました。そして、2年目は少し自由な時間ができたので、全国を回っていろいろな先生方の授業を見せていただきました。もちろん、後で分析するためにビデオを撮らせていただいたり細かい記録を付けたりました。

 

ただ、授業を見ただけではわからないことが多いことにも気づきました。それはその先生がなぜその活動をやっているのかということが明確にならないと、名人の授業がなぜ名人たる指導を可能にしているのかがわからないからです。そこで、これぞと思う先生には"密着取材"を行い、授業以外の教育活動における言動も観察させてもらい、さらに放課後にそれらの指導の裏側にある指導観のようなものをうかがいました。

 

そうして見えてきたことをまとめたのが実際の修士論文です。それより以前に学会誌や研究冊子等に投稿した論文のような統計を使った実証的研究ではありませんでしたが、自分のーそしてもしかしたら多くの英語教師のー授業向上に役立つのではないかと思われる「名人」の先生方の「技」と「心」を示せたと思っています。実際、修士論文を書いた直後に担任した学年では、筆者の授業が以前のものと比べて大きく向上したと感じています。つまり、大学院で学んだ成果が現れたというわけです。

 

修士論文を書くために調査してわかったことは他の先生方も知りたいであろうと思い、その年(2000年)の全国英語教育学会埼玉大会の自由研究発表部門で発表させていただきました。そうしたところ、50席しかない部屋に約150人の参加者が席の間の通路も埋め尽くすほど聞きに来てくださりました。そのことからも、筆者の論文が多くの先生方の関心を引く研究であったことがわかりました。

 

また、その場で月刊『英語教育』のコーディネーターの方に声をかけていただき、同誌の2001年3月号に4ページにわたって本研究の核となる部分を載せさせていただきました(実際の記事はこちら)。

 

なお、件の修士論文は本ホームページの「研究論文」のコーナーで現物をPDFでお読みいただくことができます。もちろん、ご自身の研究に自由にご利用(引用)いただいて構いません。

 

改めて考えてみると、あれからもう20年も経ったことになります。研究内容の核となる部分は今でも十分に通用することだと思っていますが、どなたかにその内容を発展させていただけないかと願っています。

 

◇終わりに◇

これまで5回にわたってお送りしてきた「大学院に通うということ」シリーズ。もしこれを読んだ先生方の中に「よし!自分も大学院に行ってみよう!」と思った方がいたら、長々とこれを書いた甲斐があったというものです。

 

学び始めるのに年齢は関係ありませんが、条件的に都合のいいときがあれば、チャンスを逃さずにチャレンジすることをお勧めします。頑張ってください。

 

 

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