公開授業へのこだわり

今年度の研究協議会は11月9日に行われ、筆者は公開授業も行いました。あれから3ヶ月余りも経っているので、今更その話をするのもなんなのですが、先週の月曜日にその時の発表要項(PDF)を「研究協議会情報」のページにアップしたことと、つい先日その授業を見てくれた大学時代の同級生(埼玉の公立中学校教諭)からメールをもらったことで、また頭に浮かんできたことを記したいと思います。

 

以前も書きましたが、筆者にとって公開授業は大変なプレッシャーです。なにせ、毎年全国各地から150名以上もの方がお見えになるからです(過去最高は平成23年の293名)。中には毎年のように見に来られる「リピータ-」もいらっしゃいます。時間とお金や労力を使って来られる方々に、少なくとも「見に来て損をした…」と思われない授業をしなければならないという強迫観念(?)にも似た気持ちを公開授業の数ヶ月前から持ち続けるのです。

 

そんな筆者には、公開授業に対するある”こだわり”があります。それは、「公開授業は”打ち上げ花火”を見せるのではなく、普段どおりの授業を見せる」ということです。「打ち上げ花火」とは、公開授業のその時だけに焦点を合わせた特別な授業ということです。何らかの研究指定校にされた学校の先生の公開授業にありがちなのですが、何か新しいことや成果らしきことを見せなければならないというプレッシャーからか、おそらく普段の授業では行っていないだろうと思われるような特別な授業を公開なさることがあります。

 

しかし、筆者自身が長年にわたって全国の先生方の授業を見てきた経験からすると、参観者の方が本当に公開授業に求めているのは、そのような"特別な"授業ではなく、普段の授業で何を指導したらいいかのヒントが得られるような"ごく普通の"授業ではないかということです。したがって、自分の公開授業でもできるだけ普段どおりの授業を公開するようにしています。筆者の公開授業のタイトルがここ10年くらい「基礎基本の徹底から表現活動まで」に固定されているのも、そのような理由によります。

 

ただ、いくら「普段どおり」だと言っても、何の工夫もないまま毎年同じような授業を見せていたら、参観者の方に飽きられてしまうでしょう。そこで、その年になってから、または遅くとも数週間前から、新たに始めたり工夫をしたりして普段の授業に根付いた活動を何かしらご覧いただけるようにしています。今回のそれは、今年度の後期から始めた Chat活動でした。なんとか公開授業当日まではルーティン活動になっていたので、参観者の方には、筆者が特別な指示を出さなくても生徒がしっかり活動してくれていたのをご覧いただけたと思います。

 

なお、その授業がどのようなものであったかは本欄の「31. 公開授業のこと」「32. 公開授業の裏舞台」に、その授業をご覧になった方々が何をお感じになったかは「筆者の授業」にそれぞれ記事がありますので、ご関心のあるかたはそちらをご覧になってみてください。

 

このようにこだわりのある公開授業ですが、定年まであと2年余りとなった筆者としては、そろそろ後進にその役目を完全に譲ろうと思っています。幸いにも、英語科にはベテラン、中堅、若手の授業上手がそろっており、筆者など遠く及ばない素晴らしい授業を見せることができる人材がいるからです。次年度は上記3人のうちの誰か(おそらく2人)の公開授業をご覧いただけると思いますので、楽しみにしていてください。

 

えっ?「まだ引退するのは早い」ですか? う~ん…。もう勘弁してもらいたいんですけど…。(3/1/2020)

 

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