エピソード37②:通勤は”痛勤”?

筆者の初任校(県立高校)が自宅から公共交通機関(電車)を使って通うにはやや(かなり?)不便な場所にあるということは、前回(「エピソード37①」)述べました。今回はその内容を具体的にご説明するとともに、その次の話につながるエピソードもお話しすることにします。

 

筆者がかつて住んでいた実家は埼玉県所沢市にあります。所沢は西武鉄道の本拠地で、西武ライオンズ球場(現メットライフドーム)、西武園遊園地、狭山湖など、西武グループが手がけた観光地がたくさんあります。つまり、西武鉄道(西武新宿線・池袋線)の生活圏にあるわけです。一方、前回お話ししたように、筆者の初任校となる埼玉県立毛呂山高等学校がある毛呂山(もろやま)町は、東武鉄道(東武東上線・越生線)の生活圏にあります。西武池袋線と東武東上線はいずれも東京の池袋駅を起点にしていますが、それぞれが少しずつ離れていく形で埼玉県内の異なった市町村を走って行き、両者をつなぐ駅や鉄道もないので(JR武蔵野線と同川越線がかろうじて両者を結んでいますが…)、両者をまたぐように通勤するには、直線距離からは想像できないほど大変な時間と労力がかかることがあります。それをこれからお話ししましょう。

 

まず、筆者の実家から西武新宿線・池袋線の交差駅である「所沢」駅までは徒歩約10分です。ここから新宿線の下りに乗って終点の「本川越」まで約20分かかります。次に東武東上線に乗り換えるのですが、最寄りの駅である「川越市」までは本川越から10分ほど歩かなくてはなりません。そしてここから東上線の下りに乗るのですが、川越市から先は本数が半分に減るので、ここで少し待たされます。「小川町」行きか「寄居」行きに乗ると10分ほどで「坂戸」に着きますが、ここでさらに「東武越生(おごせ)線」に乗り換えます。ところがこのローカル線は単線であることもあって本数がさらに少なくなり、朝でも20~30分に1本しかないので、ここでまた少し待たされることになります。ローカル線らしい短い車両の電車に乗って3駅行くと、ようやく初任校の最寄り駅である「川角」に着きます。ただ、“最寄り駅”と言っても、そこから学校まではさらに約20分歩かなくてはなりません。住宅地を抜けて田んぼが広がる場所まで来れば前方に学校が見えてきますが、すぐには着きません。田んぼの間を流れる小川沿いにしばらく歩くとようやく学校の裏門に着くというわけです。

 

職員の朝の打ち合わせが8:35から始まるのですが、到着するのはいつもその5分前でした。家を出るのが6:30でしたから、ちょうど2時間かかっていたことになります。直線距離(自動車で通う最短距離)で25㎞しかないのにこれだけかかるのですから、どれだけ大変な通勤であったかを理解していただけるでしょう。さらに何かの都合で早く学校に行かなければならないこともあり、6時前に自宅を出ることも少なくありませんでした。帰宅も部活動が終わってから帰れば8時過ぎになります(しかも当時は週6日)。これでは体力以前に気力が切れてしまいそうでした。そこで、電車通勤は3ヶ月でやめて、7月からは大学時代に手に入れたバイク(ホンダCB400T)で通うことにしました。しかし、バイク通勤も冬になるとつらくなるので、10月には中古の車(ホンダ シティー・ターボ)を手に入れて自動車通勤に切り替えました。こうして学校までの往復は“痛勤”から“楽勤”になったのですが、実際にはそれ以上に“痛勤”と感じることがありました。それは次回お話しします。(2/5/2022)

 

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