今回から「エピソード37」という新しいシリーズを立ち上げ、教員生活37年間のエピソードについてお話ししたいと思います。そうです。"37" とは 37 years のことで、37 episodes ではありません。したがって、最終的に何回になるかは現時点では不明です。その第1回は、教員になる直前の話です。
今ではどうかわかりませんが、37年前の埼玉県の教員採用試験は一次試験が7月末、その結果発表が8月中旬、2次試験が8月末、その結果発表が10月に行われたと記憶しています。企業の入社試験のスケジュールに比べるとやや(かなり?)遅いスケジュールですね。しかし、それ以上に企業と決定的にちがっていたのが、合格発表後の扱いでした。
企業であれば、入社試験に合格すると実際に入社するまでに何度か研修が行われたりして、入社式までにある程度その会社のことがわかるようになっていると思います。ところが、教員採用試験では合格した後には特に何もなく、3月末に実際に赴任する学校が決まるまで何の連絡もなかったのです。そのせいで、「自分は本当に教員になれるのか?」という不安をずっと抱えていました。
筆者の場合、赴任先の学校の校長から連絡があったのは3月25日頃だったと記憶しています。後でわかったことですが、それほどまでに遅くなるのは、現職教員の異動をすべて終えてから空いている場所に新任を宛てるからのようです。現職教員の異動も3月に入ってからでないとわからないような状況ですから、新任の勤務先が新年度が始まるぎりぎりまで待たされるのも仕方がないのかもしれません。
さて、赴任先の校長からの電話の第一声は次のようなものでした。
「私はムラヤマ高校校長の〇〇というものですが、面接をしたいので今度の月曜日に本校に来てもらえませんか?」
「『村山高校』? そんな学校が埼玉県にあったっけ? まさか東村山(東京都)じゃないよな…。」
自分が話している校長の学校の本当の名前が「モロヤマ町」(毛呂山町)にある埼玉県立毛呂山高等学校であることに気づいたのは、電話の最後に校長が学校までの行き方を説明してくれたときでした。それまでどこの学校かもわからずに話していたのですから、呆れてしまいますね。
毛呂山高校は、自宅からの直線距離では25㎞くらいのところにある(後に統廃合で廃校になってしまったので正確には「あった」)のですが、毛呂山町が普段使っている電車(西武線)とは異なる電車(東武線)の生活圏の町だったこともあって、同じ生活圏にある「ムラヤマ」(東京都東村山市、武蔵村山市)の方に意識が引っ張られてしまったようなのです。
さて、電話を切った後に毛呂山高校の場所を地図で探すと、筆者の自宅からはかなり不便なところにあることがわかりました(詳細は次回に)。そこで、赴任前ではありましたが、兄の自家用車で面接に行くことにしました。「まあ、どうやって来たかなんてわからないだろう…」という、それまでの脳天気な(?)学生生活&アメリカ留学で身につけた少し常識はずれの手段で赴任地を初めて訪れました。そこは、周囲を豚舎と田んぼに囲まれたのんびりとした雰囲気の場所でした。
(1/22/2022)
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